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    桜井政博氏のゲームシナリオに関する考察

    今回は桜井氏の著書から、氏のゲームシナリオに関する考え方について探る。

    プロットとは何か

    シナリオを制作する際、いわゆる"ストーリー"というものは、お話を時間の順番で設定したもののこと。で、"プロット"になると、お話を見せる順番になります。
     たとえば……「夢の泉からナイトメアが沸き出した。だからデデデ大王は夢の泉の源、"スターロッド"を隠し、ナイトメアの流れを止めた」というのがストーリー。「デデデ大王がスターロッドを隠している。最後にわかったその理由は、夢の泉からナイトメアが沸き出したため、夢の泉の流れを止めるためだった」というのが、プロット。推理ものなどに限らず、事象を前後に組み替えるのが、いかに大切であることか。

    「いきなり操作したい」週刊ファミ通 2007年7月27日掲載 『桜井政博のゲームについて思うことX Think about the Video Games 4<桜井政博のゲームについて思うこと> (―)


    「読者に意外な印象を与えるために、原因ではなく結果から話をはじめよう」ということだろう。
    これと似た文章が映画脚本の理論書の古典である『シナリオ構造論』(1952年)にある。

    E・M・フォスター教授の例をかりて説明すれば「王が死んだ、それから王妃が死んだ」と云えば物語であり、「王が死んだ、その悲しみのために王妃も死んだ」と云えばプロットなのだ。後者にも勿論時間的な脈絡があるが、それよりも因果律の意識が強いのである。(中略)「王妃が死んだ、しかし王の死の悲しみのためであったと知るまでは誰にもその原因がわからなかった」といえば、その中に神秘性の含まれたプロットであり、高度の展開を可能とする形式である。(中略)王妃の死を考えて見ると、もしそれが物語であれば、われわれは、「それから?」と聞くだろうし、プロットであれば「どうして?」と聞くだろう。


    これを私なりにいいかえるなら、こうだろうか。

    「大王が死んだ、それから側近が死んだ」はストーリー。
    「大王が死んだ、そのさびしさのために側近も死んだ」と云えばプロット。
    「側近が死んだ、しかし大王を失ったためとは、しばらくの間、誰にもわからなかった」と云えば、謎のあるプロット。
    これで小説を書くなら、大王のではなく側近の葬式から始める。
     
    実は『シナリオ構造論』のこの部分は川端康成の『小説の構成 (スティルス選書)』から、引用されたものだ。文中で明示されているように、E・M・フォスターの『小説の諸相(小説の構成)』(1927年)にもほぼこのままの文章がある。昭和7年(1932年)に発行された研究社版を確認したが、その訳では「プロット」は「構成」となっていた。だからこのブログでは孫引きどころかひ孫引きになる。旧仮名遣いなので、昭和7年の版から直接引用することはしない。
    個人的な話だが、私は『シナリオ構造論』を鳥海尽三氏の『アニメ・シナリオ入門 (シナリオ創作研究叢書)』の言及で知った。
    「効果的なプロットとは何か」という理論や技法の話が、小説から映画脚本、アニメやゲームのシナリオへと一世紀近く前から連綿と受け継がれてきたことがわかる。

    プロットの定義というのは、本によってややずれがある。
    例えばウィキペディアのプロット(物語)の項はこれだ。似たようでいてやや違う。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88

    さて。このシナリオ理論を桜井さんに教えたのは誰だろう。

    1. アニメ『星のカービィ』の際に色々と話し合った、アニメ脚本家吉川惣司監督。
    2. 『星のカービィ 鏡の大迷宮』の時にかかわった、特撮出身の人が多いフラグシップの方々。
    3. 『スマッシュブラザーズX』で密なやりとりをした、ゲームのシナリオライター野島一成さん。
    4. 自分で勉強。あるいは他の映像関係者。

    これはスマブラXの時期のコラムだが、桜井さんはアニメ『星のカービィ』の脚本を毎回チェックしていた。また、初代カービィの頃から、シンプルなものとはいえゲームのシナリオを書いている人だ。この部分は謎である。

    夢の泉のシナリオを書いた時点では、おそらく理論には通じていなかっただろうから、シンプルながら「実はこうだった」とした桜井さんには、物語構成のセンスがあったということになる。

    亜空の使者でもデデデは「その人物の意図がわかるのは、話がかなり進んでから」という役回りだ。おそらく桜井さんの仕業。
    アニメ版ではデデデは「何かというと悪巧みをしている人物」だったが、これも「人をだますことがある人物を、主要人物にしておくと物語に謎ができる」という作劇術の都合で性格が決まっている面もあろう。

    夢の泉も、亜空の使者もデデデの「実はこうだった」が、明かされる所は無言劇だ。
    映像から察する能力が低い人や子供には、何が起こったのかよくわからない可能性があるな。
    一応公式サイトによるフォローはあるので、マニアは安心。

    “亜空の使者”の謎 2008.4.10(木)
    http://www.smashbros.com/wii/jp/gamemode/modea/modea17.html
    この桜井氏の文章、デデデとメタナイトの話が多いな。

    熊崎信也氏ディレクションのカービィシリーズでは、この点を改善していて『星のカービィwii』では、「実はこうだった」と明かされる所でちゃんと台詞による会話がある。
    そのかわり、ゲームのオープニングにもエンディングにも言葉による説明がないので、「よくわからなかった」という人はやはりいるだろう。

    この桜井さんの文章全体は、物語として序章が長いゲームがあるのが気になる、という趣旨だ。
    世界が荒野になって主人公が敵に襲われているところから話を始めて、あとで「なぜ世界は荒野になったか」を説明すればいい、みたいな話だろう。

    全てを奪われる主人公

    亜空の使者のシナリオは、だいたいこう展開している。

    桜井
    わたしはどちらかというともう少し
    シリアスな感じをイメージしていたんですね。
    たとえば、大きな部隊がいきなり全滅して、
    そこからひとりのキャラクターだけが逃げだして、
    仲間を取り戻しながら戦うという、逆境的な。

    社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』
    https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rsbj/vol4/index2.html



    「全てを奪われた主人公がそれを取り戻す」というのが、主題だというのだろう。
    初代カービィでは「全て奪われた大切なもの」は「たべもの」だった。
    『新・光神話 パルテナの鏡』のステージごとのシナリオにもこういったものはある。ピットが指輪になっている話がそれだ。
    これが桜井氏のシナリオの個性ともいえる。
    いきなり操作したい、というゲームならではの事情もあるだろう。が、映画作法の本である『フィルムスクールで学ぶ101のアイデア』には「スタートは遅く」という言い方で、事件がかなり進んだ段階で映画は、はじまるべきだと書いてある。

    桜井氏は「危機的状況になったところから話をはじめ、途中で実はこうだったと謎が明かされる」というのがいいシナリオだと考えているようだ。
    実は基本に忠実な人なんじゃないだろうか。


    おまけ







    追記

    個々のゲームのシナリオについての、より詳細な分析はパーペンさんが書いておられます。
    桜井政博が描くゲームシナリオ - Papen's Piling
    http://dougin-1809.hatenablog.jp/entry/2016/08/25/010420

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