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    吉川惣司監督脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察

    吉川監督は、キャラを作った人だけあって、初期から終盤まで、あまり二人の関係のパターンが変わらない。

    ただ、最初のオープニングでは、大砲の時にちょっと出てくるだけのエスカルゴンが、72話からの新オープニングでは常にデデデと一緒なのを見ると、すごい出世ぶりだ。
    デデデとエスカルゴンのコンビには、放映当時から視聴者の支持があったらしい。
    おそらくオープニングの絵コンテは両方、吉川監督本人だろう。

    第1話と第100話、その間に数多くあるデデデがエスカルゴンを殴ったり、エスカルゴンがデデデにしがみついたり、二人で抱き合っている絵がこのアニメにおける両者の関係の基本。
    吉川脚本のデデデとエスカルゴンは暴君とそのしもべが基本。
    後半やや関係が甘くなり、エスカルゴンが強気になる。両者共に幼くなり、距離は縮まっていく。
    支配と服従が、やや支配と反抗に振れていくが、双方の依存心がその葛藤を飲み込む感じかな。吉川エスカルゴンのデデデに対する依存は「弱気な者が強者を頼る」というもの。
    第5話や99話の「窮地に陥るとお互いを頼る」というのが、吉川監督回の二人の関係の基本。
    対照的なのが「窮地に陥ると相手を見捨てる」という野添回。

    抱き合っている時間が長いのが特徴

    他の脚本家が強烈な台詞で二人の関係を上書きしていくので、通しで見ると吉川回の印象は薄い。

    しかし、『装甲騎兵ボトムズ』では吉川惣司脚本回と言えば、男女間だけでなく、男同士でも好きとか愛しているとかいう台詞が飛び交う回だ。
    今でもボトムズファンの間で話題になる、クエント編のこの台詞も吉川回。

    シャッコ「クエントには無い言葉だが、おまえはかわいくなった…」
    キリコ 「失望したか?」
    シャッコ「いや、今のおまえの方がずっといい。」


    他にクメン編の最後のヒロラム・カンジェルマンがポタリアとの決闘の後、「愛していた」と言って死ぬ場面も吉川脚本。
    同じくボロー等の敵役が部下に助けられる場面も、ほぼ吉川回。

    他にボトムズの脚本家といえば、鳥海尽三さんと五武冬史さんがいるが、彼らの回では男同士で愛していると言ったり、敵の部下が上司を心配したりするような場面はなかった。
    吉川脚本は悪役側の男同士の関係が濃い脚本だとは、間違いなく言えるな。
    おそらく『星のカービィ』では、吉川さんは絵を監督できる立場だから、台詞ではなく動きで表現したって事なんだろう。
    吉川回のデデデとエスカルゴンは抱きついた後、そのまま抱き合っている時間が長い。第5話とか、第64話とか、99話とか。
    他にもあるが、すでにリストがあるので、ここではこれ以上は書かない。
    デデデとエスカルゴンの間の暴力場面と、身体接触場面のリスト(まとめ)

    始終抱き合っている表現については、吉川監督的には恐れという感情を、子供にわかりやすくしただけで、深い意味はないのだろう。
    「種族の壁」と「性別の壁」により、深い意味を感じにくくなっているしな。
    生殖は同種の異性とするものなので、異種の同性が抱き合っていても、多くの人はそれを「人がイヌを抱いている」ようなものとして受け止める。
    もしデデデとエスカルゴンが同性でも、同種だったら視聴者の見る目はかなり違っただろうな。
    「デデデとエスカルゴンが異種族の異性」と「デデデとエスカルゴンが同種族の同性」のどっちがカップルに見えやすいだろうか。まあ、前者の場合は「かなわぬ恋」だろうし、後者は「行き過ぎた友情」に見えるだろうな。カタツムリは雌雄同体なので、もしカタツムリ二匹が抱き合っていたら、詳しい人はカップル認定するだろうが。
    でも異種の同性だと「人がイヌを連れ歩いている」ように「主従」らしく見える。大きさに差があるので、どちらが主人かも一目で分かる。

    登場人物が抱き合っていること自体は、子供向けアニメでは珍しいことではない。
    『ポケットモンスターXY』「追憶のトレイン!シトロンとホルビー!!」でも、人間がポケモンと抱き合いまくっていた。
    また、カートゥーン『スポンジ・ボブ』では、ボブ(海綿)とパトリック(ヒトデ)が怯えて、男同士で抱き合っている場面があった。
    なお、マンガだが手塚治虫の『魔神ガロン』(1959年連載開始)には、不審な人物の訪れに驚いた敷島博士(青年)が俵教授(中年?)にぴょんと抱きつく場面がある。
    昭和時代のアメリカのアニメでは、よくある表現だったのだろうか。
    そもそも、ひかわ博一先生の『星のカービィ デデデとプププなものがたり』でも、デデデは側近のポピーと時々抱き合っていた。

    悪役同士の暴力についても、子ども向けアニメではままあることだろう。
    『ゲゲゲの鬼太郎』五期の第17話「さすらいの蒼坊主」(脚本 三条陸)では、ぬらりひょんが腹を立てて、手下の朱の盆の頭をキセルの柄でぐりぐりしたりしていた。

    デデデとエスカルゴンはなぐった直後に、抱きあったりしているからおかしいのだろう。
    第49話でハンマーで殴られた数分後に、デデデに抱きつくエスカルゴンは、とても殴られ馴れている。


    吉川惣司監督脚本回のデデデの考察で書いたように、吉川デデデが意図的にヒステリー型性格に造形されているのなら、デデデがなにかというとエスカルゴンとくっついているのは、
    1、他人を当てにして、寄りかかろうとする。
    という依存的な性格の動きによる表現なんだろう。


    監督の意図はどうあれ、なにかというと、抱き合っている主従は変である。どちらかというと、エスカルゴンが勝手に抱きついて来ることを許す、デデデの側が変だ。「王の体に許可なく触れてはいけない」というのは、古代においては鉄の掟であり、現代でも王族や皇族が存在する国では常識だろう。これは暗殺を警戒というより、敬意の問題である。まあ、デデデは成り上がりだから、そういう高貴な感覚がわからないのかな。「陛下ってお強いでげすね」と10回口先で言われるより、1回抱きつかれる方が男としてのプライドが満たされるとかで、エスカルゴンに与えられた特権なのかも。
    「怖いからと言って、いちいちくっつくな、うっとうしいぞい」と言ってデデデが、エスカルゴンを振り払うような関係だったら、エスカルゴンもここまで耐えていない気がする。
    この点は話数がある程度進んだ、野添脚本の第40話の入浴シーンで「デデデの体に触るのも、エスカルゴンの日常業務のうち(特権が明確にある)」と仕切り直されたようだ。
    常識的に考えれば、体に触れることを許す、ということは格別の信頼の表明である。



    場面集

    それでは吉川脚本回のこの二人の関係を、追ってみよう。

    第1話 「出た!ピンクの訪問者」
    カービィの宇宙船のドアが開くとき、おびえたエスカルゴンがデデデの背中に隠れながらしがみついている。
    魔獣が暴れたので、デデデがエスカルゴンをおんぶして、走って逃げている(おそらくゲーム「星のカービィ64」のデデデが、カービィをおんぶしていたことから)。
    この1話を見るに、最初は「腕力に勝るデデデがエスカルゴンの保護者」というジャイアン的な関係が想定されていたのだろう。
    デデデが殴りまくっているけど、エスカルゴンはデデデのことを頼っているし、デデデはエスカルゴンを守る、みたいな。
    第1話から「実は子分には優しいところもある」みたいなデデデのキャラを、立てておくことで単なる悪人ではないとしておきたかった。
    でもこの後の展開を見るに、全体として「デデデの面倒を見るのがエスカルゴンの役目」という方向に関係は流れて行ってる。もちろんデデデ大王は主君として、エスカルゴンの生活と地位を保護しているという前提がある。

    主従としては、下が上を守る、でいいような。
    ひかわ先生の『星のカービィ デデデでプププなものがたり』には、デデデを盾にしてポピーが側近を首になる話があった。そっちが普通だろうな。
    天皇陛下の護衛(皇宮護衛官)になった人が、上司に「陛下が襲われるようなことがあったら、身をもってかばうように」という意味のことを言われて、「大変な仕事についたな」と実感したと読んだことがある。
    http://magazine.campus-web.jp/archives/50350
    しかしアニメ版『星のカービィ』ではワドルディ全員が、近衛兵ってことでいいんだろうか。

    第2話 大変! 戦士のおうち探し
    デデデがカワサキの店で「カタツムリの塩焼き」を頼もうとしていた。
    1. エスカルゴンに対するいやがらせやおどしが主目的
    2. カタツムリとかサザエとか、貝類が好物
    どっちだろう。とりあえずエスカルゴンがびくっとして、「それはご勘弁を」と言ったので、やめてあげたみたいだけど。

    第3話 「え! メタナイト卿と対決? 」
    デデデの運転する装甲車から降り落とされた、エスカルゴンが「ちょっとお待ちを~」という場面がある。デデデは待たなかったので、エスカルゴンはぶつぶついいながら、自分でデデデの謁見室まで歩いてくる。
    このパターンは吉川脚本の第98話にも「うわ ああっちゃあ ちょっと待って」と空襲から先に逃げるデデデを、追いかけるエスカルゴンという形で出てくる。95話分の時間経過により、だいぶ口調が砕けている。
    このパターンは国沢脚本の第76話の「へ、陛下、わたしを捨てるでげすか」や、あんのうん脚本の第95話「置いてかないで~」にも使われている。

    第5話 「怒れ! ウィスピーウッズ」
    デデデと一緒に迷子になった時のエスカルゴンは、最初「迷子のエスカルゴンを許してー」と哀願していたが、一度デデデと喧嘩した後、「やっぱり一緒にいくぞい」「そうするでげす」と泣きながら抱き合い、デデデと手をつないで歩き出してからは「迷子のエスカルゴンとデデデ大王を許して」と台詞が変わっていた。

    この二人が不幸な場面で抱きあうことについて、一番ふつうな理由は、憎まれ役が許されるため。上記の台詞は視聴者に許しを乞うているのだ。
    視聴者に「こいつらひどい目にあえばいいのに」と思われなければ、悪役としては失格だ。
    しかし、嫌われ過ぎると、「デデデが嫌いだから、アニメを見るのをやめよう」ということになる。
    実際そんな人いただろうな。
    ゲームという原作もあることだし、それはまずい。
    視聴者に「かわいそうだし、もういいか」と思ってもらうために、怯えてみたり、悪役同士では仲良かったりするという、人間味アピールをしてみたりしているのだろう。
    まあ視聴者としても、許して終わりたいよね。
    「なんだか雰囲気がいやらしくて嫌い」という人もいただろうが、それはそれで悪役らしい要素かも。

    表現が手をつなぐになるのは、想定対象年齢がまだ親やお友達と手をつないでいる、小学校低学年の子供だからじゃなかろうか。中年男同士(エスカルゴンはことによったら初老)が手をつないでいるとか、かなり珍しい光景だけど、きっと幼稚園児や小学生は「とっても仲良しなんだね」と受け取ってくれる。ゲーム版『星のカービィ』で「くちうつし」は知っていても、キスというと「くちうつし」の子供の目には、何かというと抱き合ったり添い寝しているデデデとエスカルゴンは、この上なく愛し合ってる。
    対象は子供から大人までとは言うけれど、このアニメは思春期や若者はターゲットにしていない気がする。でも、ニコニコ動画ではそのあたりに受けていそうだし、ナゾだ。

    第14話 「夢枕魔獣顔見勢」
    初期の吉川エスカルゴンは、想定されている年齢が高いこともあって、デデデの自分に対する扱いがひどいことについての、長いつきあいゆえのあきらめのようなものがある。
    「いやなら 強制的に寝かせるぞい」
    「はいはいわかりました どうせこうなるんじゃないかと 思ってたんでげすよ」
    逆に最も反抗的なのは、番外編のエビゾウ回の「しらねえ そこもつな!」かな。
    だんだん若返ってないか?

    第38話 「読むぞい! 驚異のミリオンセラー」
    この回に、吉川デデデの曲がり角があるような気がする。この回で文盲設定が追加され、お子様化が進んだ。エスカルゴンもこの回では、割とデデデに意地悪。先行する第24話 「ニンジャ、ベニカゲ参上! 」(脚本 山口伸明 )や第32話 「歯なしにならないハナシ」(脚本 国沢真理子)あたりのお子様デデデを踏まえての路線変更だろうか。ちなみにこの時のカウチポテトしているデデデが、国沢脚本の第61話 「肥惨! スナックジャンキー」のデデデにつながっている。
    吉川エスカルゴンが吉川デデデに対して犯した最大の罪は、この38話で面白い本を音読してあげなかったことじゃなかろうか。その後、本をとりあげられるという形で復讐されている。
    それでも主な脚本家の中で、一番頭がいい印象を受けるデデデは、他人をだます吉川デデデ。

    第41話「メーベルの大予言! (前編)」
    これは後半を担当しているのが、国沢さんというのもあってか、エスカルゴンが国沢エスカルゴンっぽくデデデを心配するお世話係である。
    「悲鳴が聞こえたので(寝室まで)見に来てみたらば」などの台詞がある。
    第41話をエスカルゴンを中心に考えると、デデデが悪夢という問題で、自分ではなくメーベルを頼ったことで、まずは嫉妬する。デデデはメーベルで問題が解決しなかったので、仕方なしにエスカルゴンを頼る。しかしエスカルゴンにもその問題は解決できず、デデデは魔獣に頼る。しかし最後はメーベルがその悩みを解決する。エスカルゴンはデデデの悩みをとりのぞいてくれたことで、メーベルに感謝する。
    でもメーベルに感謝した後、エスカルゴンはその場で寝てしまった、デデデに寄り添って一緒に寝ているんだよね。
    デデデが安心したことで、安心したのだろうというのはあるけど、一方的にライバル認定した相手の前でくっついて見せるって、正妻アピールだろうか。

    第74話「モスガバーの逆襲! 」
    吉川エスカルゴンのデデデとの葛藤は、自らデデデを殴りに行くのではなく、この時のように、デデデを裏切ってフーム達の側につくという形をとる。しかしこれはカービィを倒すことに執着し、「息が出来ない」と苦しむデデデの身を案じたともとれる場面である。これが吉川エスカルゴンの「陛下を助けて」なのかもしれない。自分や城の住人全てが、巻き込まれている状況ではあったから、断言はしない。
    おそらく『装甲騎兵ボトムズ ザ・ファーストレッドショルダー』のペールゼンとリーマンの関係と同じ話。
    デデデ大王とエスカルゴンのような、英雄の敵である王様とやばい発明家の組み合わせは古代からあり、有名な話はギリシャ神話のミノス王とダイダロスだろう。
    ダイダロスは牛と交わりたい女性のために、牛の着ぐるみを作ってあげた。その結果生まれたのが人の体に牛の頭のミノタウロス。それを閉じ込めるための、迷宮の建築も指導した。その後、訪れた英雄テセウスに恋した王女アリアドネに糸を使うという、迷宮の脱出方法を教えた。そのため、王の怒りを買って、ダイダロスは息子のイカロスとともに、牢屋に閉じ込められた。ダイダロスは自分と息子のために、鳥の羽をロウでかためて翼を作った。イカロスの末路はよく知られているとおりだ。
    フームにモスガバーの弱点を教えたエスカルゴンは、役割的にはミノタウロスの迷宮の脱出方法をアリアドネに教えたダイダロス。エスカルゴンがあのあと牢屋に入れられたりしなかったのか、気になる。


    第98話 「発進! 戦艦ハルバード」
    第98話の物語冒頭で登場人物達がベッドで寝ているのだが、エスカルゴンは小さなデデデのぬいぐるみと一緒に寝ている。絵的にはあんのうん脚本回の第50話 「貯めるぞい!のろいの貯金箱」の通販宣伝番組内の描写と似ている。しかしこのぬいぐるみは、第94話の時にはなかったはずで、その間に自分で作ったのだろう。本当は本人と添い寝したいのだろうな、と思わせる場面だが、この脚本には続きがある。
    このすぐ後で、空襲に驚いたエスカルゴンが、デデデに抱きつこうとして、デデデの抱えていた枕で突き飛ばされる。
    三角関係で、枕に負けたわけだな。
    深読みすれば、最終回の急展開の中で、エスカルゴンがデデデを裏切っても違和感がないように、扱いがひどい場面を入れておいたのかもしれない。


    第99話「撃滅!ナイトメア大要塞」
    あんのうん脚本の第51話「センチメンタルカービィ」で革命について、「陛下もおしまい」と言ったり、第77話 「ロイヤルアカデデデミー」の時に「(フームが)自由と平等の民主主義国家を打ち立てようとしておるぞい」と我が身の心配をするデデデに「それはすばらしいでげ」と言いかけてハンマーでなぐられたりと、他人事だったエスカルゴン。
    しかし、吉川脚本の99話「撃滅!ナイトメア大要塞」では一緒に投獄されているのだから、当然のことではあるが、「私らの運命はギロチンの露と消えるでげす」といっていた。
    密航が見つかった後、エスカルゴンはデデデによりかかりつつ、後ろにかばって、反抗的な目つきでこっちを見ている。陛下に手を出したら許さないでげすよ、みたいな。デデデのドジで見つかったのに、忠義だ。
    同じ回でエスカルゴンが「あなたには絶対計算できないと思う」とデデデに対して言ってるが、「陛下」じゃなくて「あなた」とか、どこまで親しいんだろう。もちろん、「あなた重いんだからぁ」第69話(脚本 山口伸明)とかがあるから、これが初めてじゃない。
    吉川惣司脚本回の『装甲騎兵ボトムズ』26話は、年配の王族であるカンジェルマンと、若き元親衛隊員ポタリアの愛憎がドラマのひとつの核だ。カンジェルマンは、自らの命を狙うポタリアに、昔は身分も年もこえて「俺」と「お前」とよびあった仲ではないかといい、決闘の末「愛していた」と言い残して死ぬ。
    回が進むごとに、エスカルゴンのデデデに対する口調がどんどん砕けていくのは……
    1.エスカルゴンが無礼者だから
    2.デデデがバカにされてるから
    3.身分をこえて親しい仲だから
    どれもありそうだが、ボトムズ26話にならうなら3が答えとなる。
    吉川監督的には「愛していた」とか言い合う仲で、常に敬語と敬称とか逆におかしいということなのだろう。

    最後に

    吉川脚本だとスケールが村レベルながらも、前提として物語展開は「国家内権力闘争」で、エスカルゴンは権力者に従う人物なのだ。やはり女性の脚本家だと話が「家庭内権力闘争」の方に傾きがちなのかもしれない。他に男性の脚本家というと山口さんがいる。この人も野添さんやあんのうんさんのように「誰がお茶を出すか」で大事に至るような世界を描いてはいない。自然破壊をもくろむ男二人組で、とても仲が良いだけである。ただ、子供の視聴者には、国沢さんのだらしないお子様デデデと心配する口うるさいエスカルゴンのような、夫婦げんかや親子げんかに見える「家庭内権力闘争(ホームドラマ)」の方がわかりやすいだろう。これはコロコロコミック連載のひかわ版にならっているように思える。だが、監修者の桜井氏の意向でもあろう。

    ただ、権力闘争とはいえ、吉川惣司監督はボトムズのクメン編の描写を見るに、鳥海尽三さんに比べて、「政策」より「政局」に関心を持つ人のような気がする。
    簡単にいえば「この国をどうしたいか」という話より、「この国の長になるべきは誰か」という話に関心を持つ。このふたつは似ているが、同じではない。ボトムズのようなSF的な世界観でひたすら政策話をしたら、「社会派ハードSF」になりそうだから、愛憎劇でいいのかもしれないが。
    男性週刊誌にも「首相と副大臣の仲が最近よろしくないから、今後の政策に変化があるだろう」というような政局話は山と載っている。
    吉川監督には、「どんな人物が権力を握っているか」「その人物のお気に入りはどんな人物か」という視点から、物語内の政治を見る傾向があるのだろう。それでも、『星のカービィ』の作品内では、「政策」らしきものを実行しているのは主に吉川デデデではある。
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