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    国沢真理子さん脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察

    アニメ版『星のカービィ』で、国沢真理子さんが担当した回は、共同脚本回をふくめて、以下の22話。

    第7話  逆襲! ダイナブレイド
    第12話 デデデ城のユーレイ
    第17話 パームとメームの指輪物語
    第23話 迷子のダイナベイビー
    第25話 エスカルゴン、まぶたの母
    第29話 激辛! ファミレス戦争 国沢真理子
    第32話 歯なしにならないハナシ
    第42話 メーベルの大予言! (後編)
    第45話 真夏の夜のユーレイ! (前編)
    第46話 真夏の夜のユーレイ! (後編)
    第52話 悪魔のチョコカプセル! (前編)
    第53話 悪魔のチョコカプセル! (後編)
    第61話 肥惨! スナックジャンキー
    第62話 たかが占いされど占い
    第66話 さまよえるペンギー
    第75話 夢の恐竜天国! (前編)
    第76話 夢の恐竜天国! (後編)
    第81話 ドキッ! かたづけられない女
    第87話 襲撃! カラスの勝手軍団
    第89話 オタアニメ! 星のフームたん (吉川監督と共著)
    第96話 ワープスターの危機! (前編) (吉川監督と共著)
    第97話 ワープスターの危機! (後編) (吉川監督と共著)

    国沢さんの担当回は多い。おそらく吉川監督に次ぐ多さ。
    共同脚本の回を除いた単独担当回で、前後編をそれぞれ別にカウントしたら、19話を担当している。

    国沢脚本は強気なエスカルゴンと幼いデデデが特徴。
    あんのうんさんの登場までの、エスカルゴン回の担当者である。

    この人は幽霊話担当の人でもある。ポーの『落とし穴と振り子』のパロディがある第12話「デデデ城のユーレイ」と、ヒッチコックの『サイコ』のパロディがある、第46話 「真夏の夜のユーレイ! (後編)」と、『鳥』のパロディ回の第87話 「襲撃! カラスの勝手軍団」はこの人。そのせいか、国沢脚本のデデデとエスカルゴンは共に恐がり。
    ダイナブレイドの回も、この人の担当で、基本的に母子の物語。第25話「エスカルゴン、まぶたの母」も母子ものである。
    国沢さんの脚本はカップル描写やコンビ描写が多く、デデデとエスカルゴンの関係の描写もその文脈で登場したりする。
    カップルをテーマにした話の具体例としては、夫婦愛の話である第17話 「パームとメームの指輪物語」。 サモの片思いの話の第62話 「たかが占いされど占い」。
    また、第42話 「メーベルの大予言! (後編) 」や第45話 「真夏の夜のユーレイ! (前編) 」や 第76話 「夢の恐竜天国! (後編) 」等。起承転結の「承」の部分をカップルの会話が埋めていたりする。

    国沢回の特徴は「薬物」と「拘束」と「ホラー」と「カップル」と「母親役に味方し、父親側を攻撃」と「魔獣が職業人」だ。

    国沢デデデはパワータイプ。
    第12話 ハンマーで、エスカルゴンの部屋のドアを何度も叩いて破壊。
    第32話 腕力で、手かせ、足かせと戸棚の鍵を破壊。
    第52話 素手で、エスカルゴンの部屋のドアを何度も叩き、開けてもらえないので最後は何度も蹴って破壊。
    第81話 ハンマーで、「中にいれるぞい」と署長の家のドアをがたがた揺すった後、ハンマーの一撃で破壊。

    ハンマーでカービィをふっとばす、吉川デデデもかなりの攻撃力だ。これは原作に沿う表現。
    逆に野添デデデは財力(魔獣)頼み。


    国沢真理子さんの脚本だと、デデデは殴るのはちょっぴり少なめなかわりに、エスカルゴンを夜のトイレに長時間閉じ込めたり、隠し財産の宝石を奪ったり、故郷へ帰ろうとするのを無理矢理引き留めたり、とかなりひどい。
    しかし、この人の回では、エスカルゴンのデデデへの復讐が成立する話が多い。
    エスカルゴンがデデデを捕獲したり、殴ったりする、歯なしにならないハナシはこの人。
    歯なしにならないハナシとデデデ城のユーレイでは、鎖で拘束されたデデデが恐怖に震える様を、エスカルゴンが楽しく見物する。
    第42話 メーベルの大予言! (後編)では、屋根にひっかかったデデデをエスカルゴンが笑う。
    第61話 肥惨! スナックジャンキーはデデデ(とカービィ)が拷問のようなダイエットを強制される話なのだが、エスカルゴンはノリノリで見物している。
    あんのうん脚本だとストレートに「苦痛」の話になるが、国沢脚本だと「拘束」や「恐怖」や「嘲笑」の話が多いかな。


    国沢脚本回は、さくま良子先生の『星のカービィ』やひかわ博一先生の『星のカービィ デデデでプププなものがたり』に元ネタがある回が多い。
    例えば「部屋いっぱいに暖房器具を並べる寒がりなデデデ」は、ひかわ先生が何度も描いたネタ(6巻2話など)。これが「第66話 さまよえるペンギー」の最後の「金とテクノロジーで解決ぞい」と、クーラーと扇風機を並べるデデデの元ネタ。
    細かなものも含めたら、ほぼ全話にマンガが元ネタと思われる所がある。ここまでやるなら、これは「アニメをマンガにあわせる」という戦術なのだろう。
    例えば、デデデがアニメでもマンガでも「オバケ怖い」といっていた方が、逆よりも読者は安心するかもしれない。
    国沢デデデと国沢エスカルゴンは明らかに、ひかわデデデやひかわポピーに似せてある。考えようによっては、リスペクト。

    「ゲームを原作にしたアニメを平行して連載している、同じゲームを原作にしたマンガに似せる」ということ自体は、マンガ側にもメリットのある話だ。アニメを見てマンガも読んでみた、みたいな人がすんなり入れる。
    マンガ→アニメ版の読者には「パクるな」と怒る人もいたろうが、「あ、わかった」とおもしろがった人もいるかもしれない。
    国沢回は映画のパロディも多い回だ。ジュラシックパークとか、ヒッチコックの「鳥」とか。そういう脚本家なんだろう。
    まあ0から話を考えるよりも、面白いものが早く作れるよな。

    ちなみに「アニメ→マンガ」になったネタもいくつかある。
    アニメ放映時期の少し後のひかわ先生の「デデデが自分を主役にした映画をとろうとする話」は「星のデデデ」の影響があるだろう。もっとも展開は大分違う。

    国沢脚本の主な回について

    まず、第25話 「エスカルゴン、まぶたの母」の話の元は、ひかわ博一先生の「星のカービィ」の3巻、第1話「ポピー、プププランドの大王になる!?」だろうと指摘しておく。
    これは、デデデ大王の一番の部下のポピーが、弟に手紙で「プププランドの大王に出世した」と書き、弟がいきなりたずねてくる話だ。ポピーはデデデに脅し込みで頼み込んで話を合わせてもらう。デデデはポピーにひどい扱いを受けるが、おおむねガマンしてくれる。が、カービィが本当のことを言ってしまう。弟は「うん、知ってた」とあっさりいう。
    ひかわポピーは一貫して「大物に憧れる小物」という、キャラクターである。

    話をアニメ第25話に戻して、エスカルゴンのおっかさんの「虫も殺せない臆病者の息子に そんな大それたことできるわけないよ」の台詞を考えてみよう。
    この回のエスカルゴンは主君のデデデに背き、勝手に国王を騙るという常識的に考えて大罪を犯し、そのために泣き落としたり、「税金あげるでげすよ」と村人を脅す、手段を選ばず大それたことをする人物なのだが、デデデとつきあって変わったのだろうか。臆病な人物こそ、恐れから大それたことをしでかすということなのか。
    この話はパターンとしては典型的な「エディプスコンプレックス」で、「虐げられた息子が、王である父親を殺し、母親と愛し合う」を基本としている。

    ついでだが、国沢脚本のデデデは、侮辱されれば女も殴ろうとする。エスカルゴンの母親を魔獣におそわせたり、「たかが占いされど占い」の回でたぶらかされたとメーベルをハンマーで殴ろうとして、カービィに阻止されたり。国沢脚本のデデデは、あまり理不尽な理由では怒らない。馬鹿にされたからといって、そこまでやるかというのはあるが。

    同じく「エスカルゴン、まぶたの母」から、エスカルゴンの台詞を引用する。
    「どこかの国の大王になることを夢見て旅立ったが 現実は厳しく さまよっているところを 陛下に拾われたのがやっと」

    「雇われた」ではなく「拾われた」という台詞に、自己評価の低さがみてとれる。
    これはデデデから逃げないわけだ。「この広い世界で自分の居場所は、故郷を除いて、陛下の側しかなかった」という意味だよな。デデデは一応、エスカルゴンを救ったことにはなるな。

    エスカルゴンは高い地位についた、と言っても過言ではなかろう。普段のデデデによる扱いがエスカルゴンの自尊心を傷つけていることは、想像に難くないが、エスカルゴン閣下はデデデ陛下以外の全ての国民に威張れる立場だ。
    エスカルゴンが「あんなバカに仕えることはないだろうに」という母親に「私の主君を悪く言うのは、やめて欲しいでげす(私のこれまでの人生全否定でげすか)」と返せるような人物だったら、虚言はなかったかもしれない。しかし全国民の中で、一番デデデを悪く言ってるのは、エスカルゴン。

    まあエスカルゴンがデデデから離れようとして引きとめられる場面も、国沢脚本の第42話「メーベルの大予言! (後編)」にあるから、気に入られてからは逃げられなかったのかもしれない。
    でも「広い世の中には、陛下以上に私を気に入って大切にしてくれる、誰かがきっといるでげす」なんて、エスカルゴンには思えないんだろう。

    「陛下と一緒に」「わしはいやぞい」(第23話 迷子のダイナベイビー )や「わしにつきあうぞい」「やだーっ」(第42話「メーベルの大予言! (後編))「陛下 私を捨てるでげすか!?」(中略)「永遠に離れないと誓った夜をお忘れでげすか」「すっかり忘れたぞい」(第76話 夢の恐竜天国! (後編))等々の場面を見ると、おたがいにやだやだいいつつ一緒にいるのが国沢脚本のこの二人だな。まあ両思いになると、話がおわっちゃうからね。

    「永遠に離れないと誓った夜をお忘れでげすか〜」の第76話「夢の恐竜天国! 後編」はカップル特集回でもあって、デデデとエスカルゴンのやりとりは、村長夫妻や署長夫妻やサモとメーベル、フームとボンとカービィのやりとりの間に挟まっている。その後、いつもどおり二人で一緒にいるんで、エスカルゴンが必死で追いついたか、デデデが速度を落としたか、転んだのだろう。

    その夜がいつなのかは、単に国沢さんの回だけ追うと、42話以降76話までの間のいつか、でいい。
    例えば、大予言の回で、デデデに捕まったエスカルゴンが母親のことをあきらめて「わかったでげす。世界の終わりまで陛下と共にいるでげす」と言って、デデデが「わしもぞい」と返せば、「永遠に離れない」誓いは成立するな。

    しかし、72話の「ワドルディ売ります」(野添脚本回)で、エスカルゴンがデデデからいったん離れていることを考えると、72話から76話までのいつかということになる。
    しかし72話以降、76話までに離れないとか誓いそうな回がないんだが。
    72話の後で、城に帰った時に「一度わしを捨てたくせに、どの面下げてもどってきたぞい!」「もう陛下と永遠に離れたりしないでげすから、どうかお許しを……。」とかいうやりとりがあったとか?
    72話以前に「永遠に離れない」と誓ったのなら、先に誓いを破ったのはエスカルゴンの方ということになるよな……。

    国沢脚本回で気になるのが、第42話 メーベルの大予言! (後編)のデデデの
    「おまえもよくわしのおしおきを喜んでくれたぞい」の台詞。
    おしおきの具体例がないから、「女装など恥ずかしい格好をさせる」とか「デデデのことを美しいとか偉いとかほめたたたえさせる」とかいう、精神的ないじめも可能性としてはある気がする。が、暴力という前提で話をすすめよう。

    ここで、ああ、エスカルゴンはマゾなのか、と考えるとデデデにだまされそうな気がする。あくまでもデデデ側の見方だからだ。この回のデデデは「わしは何か悪いことをしたか?」とエスカルゴンに聞くような人物だ。
    これまでの暴力全て、叩いたデデデじゃなくて、叩かれるようなことをした、エスカルゴンが悪いってことだよな。暴力をふるう人間には、自分を怒らせた相手が悪いとしか考えない人物がしばしばいる。エスカルゴンとしては
    「はぁ? 喜んでるわけないでげしょ? 陛下の馬鹿力で叩かれたら、普通に痛いでげす」と思ったかもしれない。しかし、文脈的にデデデのこの台詞の大意は
    「わしはこれまでおまえと過ごせて楽しかったぞい(ありがとう)」なので、そっち重視で受け取ったのだろう。もしデデデがエスカルゴンにこれまで殴りまくったことの、許しをもとめたりしたら、次回からどつき漫才がやりにくくなるだろうから、そこは反省できないな。

    デデデはエスカルゴンを「逃がさんぞい」と背後から抱きしめている時に「どうだ 好きか」と、自分を受け入れることを求めていた。これは好意を持つ相手に強引に迫られるという、少女漫画やレディースコミックスの典型パターンなのだが、このアニメでは、三頭身のペンギンが二頭身のカタツムリに迫っているだけである。
    この回のデデデには「相手が嫌がれば嫌がるほど拘束するのは面白く、相手が痛がれば痛がるほど殴るのは楽しい」という嗜虐趣味はない。暴力的だが求めているのは、他人の苦痛ではなく、自分が愛されることである。


    「有害な習慣」をめぐるデデデとエスカルゴンの攻防

    国沢デデデには、嗜癖(しへき)の気配が漂っている。誘惑に弱く、何かにはまりやすい人物なのだ。そして苦痛と苦労はとことん嫌う。
    嗜癖(addiction:アディクション)の本来の意味は「有害な習慣」である。
    子供向けアニメだから、やることは「お菓子のむちゃ食い」や「おまけ付きお菓子の大人買い」だったりするが、むなしさを酒や賭け事で埋めるのと、本質的には変わらない行動である。そして「自らの健康を損なう」とか「犯罪に走って豚箱(留置場)入り」とか、一時の欲のために色々なものを失う。
    なぜ、フィギュアをチョコの中に入れると売れるのかというと、それによって単なる買い物から、ギャンブルになるからである。

    背景として、デデデに浪費癖(買い物依存症)がなければ、このアニメの物語が成立しない。デデデが衝動的に魔獣を買ったり、レースや格闘大会や花火大会などのイベントを主催しなかったら、絵的にも華がない。カスタマーとのギャグも成立しない。だから、アニメ版のデデデに「己の身の破滅を考えず、快楽に耽る」傾向があるのは、もっともではある。
    買い物依存症度チェックというものがあるのだが、この基準でデデデは割とやばい。もし、家にアニメグッズが山盛りあるとかいう人がいたら、チェックどうぞ。

    買い物依存症で、宝くじ程度ながらギャンブル癖があり、時に莫大な借金を背負うのは、ひかわデデデの特徴でもある。ひかわ博一先生のまんが版がなければ、アニメのデデデ大王は借金大王じゃなかった可能性すらある。ひかわデデデのやばい所は、ここ。
    質問12 買い物をしたあと罪悪感、恥辱感、不安感におそわれる。

    自分でも「むだづかいはいけない」と思いつつ、止められないところだ。
    アニメデデデは、楽しく浪費している。

    そもそもゲーム版「星のカービィ」第一作も「デデデ大王が国中の食べ物を奪ってしまった」だから、自分の欲望のおもむくまま、後先や周囲の迷惑を考えないキャラだというのは、スタート地点ですらあるだろう。あのまるいお腹はそれを表している。

    なお、アニメ版では国沢脚本でもあんのうん脚本でも野添脚本でも、デデデはカービィよりは、エスカルゴンと食べ物争いをしている。カービィはむしろチョコエッグの殻とか、のびたチャーシュー麺とか、カニ魔獣とか、デデデがいらない食べ物をやる相手。もちろん例外はある。

    それと脚本家ではなく、絵コンテ担当者のセンスかもしれないが、デデデがいやらしくお皿をなめたのは、たぶん国沢回の第29話 「激辛! ファミレス戦争」のみ 。普段は自慢の歯でがつがつ食ってる。なめるのは単に足りないってことかもしれないけど、甘えの強い口愛期的性格を感じさせる仕草。
    淋しい女は太る』というタイトルの本が昔あったけど、淋しい男だって太るよな。

    食品関係のネタは原作が原作なので、このアニメにとても多い。
    でも、国沢デデデには「自分を大切にしない」という、アルコール使用障害(アルコール依存症)と同じ不健全さがある。他の脚本家のデデデにはそれはない。
    例えば、友永コリエ脚本の第80話「 強壮! ドリンク狂想曲 」だと、「身近な他人を大切にしない」のがエスカルゴンに問題視されている。

    デデデが自ら堕ちていった、第61話 「肥惨! スナックジャンキー」の回は薬物依存あるいは摂食障害の話だ。国沢脚本回に薬物依存はあっても、デデデを含めた誰かが憑依される話はない。あえていうならカラスにテレパシーで操られた鳥達だな。国沢脚本回だとダイナベビーは薬物で魔獣にされかかっていたし、それをうっかり飲んだカラスは魔獣になった。「激辛! ファミレス戦争」も、薬物で人を操る話である。「さまよえるペンギー」なんて、火山に薬物を投与していた。

    依存症専門のセラピスト クレイグ・ナッケンによると、こうだ。
    「何かに依存する人間は とにかく快感を追求し 同時に苦痛を避けようとする」
    マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第70回「ギリシャ神話のアポロンは依存症だった!」
    デデデが臆病なのは、吉川脚本で決定済みだし、原作のゲームでも、さくま良子先生のマンガでも、ひかわ博一先生のマンガでもそういう描写はある。
    しかし、「注射嫌い」とか「麻酔ナシはいやぞい」とか「痛み止めがあるはず」とか、明確に苦痛を避けようとする描写が多いのは、アニメの中では国沢デデデだけのような。割とリアル。
    吉川デデデは第74話「モスガバーの逆襲!」で、カービィを倒すためなら我が身の苦痛や危険もなんのその、という男らしさを見せていた。

    国沢デデデに嗜癖があるのと対になる感じで、32話以降の国沢エスカルゴンからは「陛下はだらしないから、私が面倒見ないといけないんでげす」という共依存的な愛情を感じる。これもひかわポピーから受け継いだ側面だろう。
    国沢デデデがだらしないのは、第12話「デデデ城のユーレイ」の「一人でトイレにいけない」ですでにそうだが、この話はエスカルゴンがデデデの面倒を見ることを拒み、さらには復讐を試みる話だ。しかし、第32話 「歯なしにならないハナシ」の、エスカルゴンの「そんなに食べて! 寝る前にはちゃんと歯をみがくでげすよ」「ああんもう 全然いうことを聞かないんだから」というお説教は本気であろう。第61話 「肥惨! スナックジャンキー」なんて、エスカルゴンは寝言で「陛下 もう食べちゃだめでげすよ」と言っている。第81話 「ドキッ! かたづけられない女」の冒頭のデデデが食べ散らかしたお菓子の包み紙などのゴミを見ての、エスカルゴンの「あーあ こんなに散らかして」あたりのやりとりもそう。あざ笑ったり、お説教したりしながらも、「おいたわしや」とデデデを心配する国沢エスカルゴン。特に第61話 の重いデデデを必死でひっぱって、マイクカービィから助けようとするエスカルゴンは健気。

    エスカルゴンの罪と許し

    中期までの国沢エスカルゴンはことのほか、デデデに対して反抗的だ。以下に主なエピソードを列記。

    第12話 デデデ城のユーレイ (デデデを鎖で拘束して刃物でおどす)
    第17話 パームとメームの指輪物語 (隠し財産)
    第25話 エスカルゴン、まぶたの母 (勝手に王を騙る)
    第32話 歯なしにならないハナシ (ハンマーで叩く。拘束して歯医者に連行)
    第42話 メーベルの大予言! (後編) (横領)

    指輪物語の時の隠し財産(宝石)が、エスカルゴンの正当な財産かどうかはこの時点では不明なんだけど、この回で拾得物横領もはかっているし、小悪党には違いないな。

    デデデ大王もよく殴るだけで済ませてるな。
    筆者は歴史に詳しいわけではないが、皇帝に逆らった司馬遷が宦官にされたことぐらいは知っている。

    エスカルゴンはいつもデデデにひどい目にあわされているから、少しぐらいやり返したって、と思うかもしれない。
    しかし主君と臣下の関係に、平等を求める方が間違っている。
    これは、国沢エスカルゴンにデデデ以外に、仕える相手がいなくて当然かもしれない。
    普通の感覚の主君なら、主君への謀りごと、暴力、騙り、横領のいずれかの時点で国外追放だろう。

    まあ、ギャグアニメだから、エスカルゴンがデデデにいじめられるという、いつものパターンをひっくり返すのが面白い。視聴者には受けただろう。

    この反抗的な前半の国沢エスカルゴンについてだが、単なるギャグでこうだったわけではないだろう。
    おそらく、デデデに逆らい、カービィ達の仲間になるルートが、暗に想定されていた。
    公然と反逆まではしなくても、こっそりカービィ達を助けてくれるとかね。
    これ自体は脚本家として、常識的な発想。
    例えば、第12話 「デデデ城のユーレイ」は、エスカルゴンとカービィとブン達が組む話だ。第25話 「エスカルゴン、まぶたの母」はエスカルゴンを、カービィとブンとフーム達が助ける話。
    第42話 「メーベルの大予言! (後編)」 の回で、デデデがカービィのために公園をつくるきっかけになったのは、エスカルゴンとの会話である。
    そしてデデデとエスカルゴンが揃って、カービィ達の仲間になる第66話 「さまよえるペンギー」も、国沢脚本だ。

    昔話の典型のひとつとして、「敵の女や家来が主人公に味方する」というのがある。これを「不実な妻」のモチーフとか言ったりする。例えば「ジャックの豆の木」では巨人の妻がジャックに味方する。

    もし、エスカルゴンに焦点をあてる回の担当者がずっと国沢さんだったら、エスカルゴンは「普段は仲が良いが、時々カービィ達と組んで、デデデに仕返ししているキャラ」のまま最終回を迎えたかも。デレツンとでもいうのかな。

    それが変化したのは、第39話「忘却のエスカルゴン」からだ。これ以降、エスカルゴン回の担当者は、あんのうんさんになる。39話のあんのうんエスカルゴンは、とってもデデデに従順。

    どの話をどの脚本家が担当するかを決める権限は監督であり、シリーズ構成である吉川惣司さんにある。
    吉川監督としては「ぞんざいな扱いをされつつも、デデデ陛下についていく。デデデは連れていく」という路線の方が、自分のエスカルゴンのイメージに近かったのかも。

    そして、第39話から数えて、直近の国沢回が第42話 メーベルの大予言! (後編) だ。
    国沢エスカルゴンの大きな分岐点は、この話になる。
    ここで話が急展開するのは、そろそろ放映一年目の節目の回というだけではない。
    担当者が変わるって事は、エスカルゴンの言動が変わるわけだ。
    国沢さんの「デレツン」なエスカルゴンと、あんのうんさんの「ツンデレ」なエスカルゴンを無理なくつなげるため、国沢さんの方から歩み寄ったのがこの回。
    逆に国沢さんの「仕返し」路線を受ける形で、あんのうんさんが書いたのが、第55話「ある愛のデデデ」の回。

    第42話以降、国沢エスカルゴンはデデデを慕っている。前から恨んではいても、嫌ってはいなかった。第23話 迷子のダイナベイビーの回でも、すでに「こうなれば陛下と運命を共に」という台詞がある。だが、第42話から後は、デデデに対する明確な敵対行動が消えている。

    妖星ゲラスの赤い光の下で、おまえと一緒にいたいと抱きしめられたり、ダンスに誘われたり、感謝されたり、罪を許されたり、抱き合って泣いたり、ちょっといいところを見せられたりして、国沢エスカルゴンは落ちたんだろうな。

    42話以降の国沢脚本回では、デデデの側も12話のような、エスカルゴンを意図的にいじめにかかるような行動はほぼとっていない。残念ながら、「腹が立ったから殴る」はこのコンビの日常だ。国沢デデデは復讐されても反省はしなかったが、逃げられそうになったので反省したんだろう。

    すごく不平不満があるのに、国沢エスカルゴンがデデデと別れられないのは「面倒を見てくれ」といわれると、「嫌だな」という気持ちと同時に「うれしい」と感じてしまうからだろう。
    「私には私を必要としてくれる人が、必要なんでげす」ということ。

    そして第42話から後は、エスカルゴンの苦労するお世話係といった描写が増える。第45、46話 「真夏の夜のユーレイ! (前後編) 」は、とりわけデデデのエスカルゴンに対する暴力がひどい回だ。
    ただ、46話はエスカルゴンが両腕を広げて、陛下は私のモノ的に抱きついてる状態で、二人で同じベッドに寝ていたり、シャワールームでエスカルゴンがデデデに抱きついて泣いているという、暴力と共に、身体の接触が濃厚な回でもある。
    「ベッドがひとつしかないぞい。エスカルゴン、おまえは床で寝るぞい」とかいわないデデデは寛容だな。ああ、臆病なのか。

    一緒にいると決めてから、一気に甘い関係になったようだ。

    でもそれでエスカルゴンが「やっぱり陛下は、私を頼ってるでげすね」という感じに安心していると「我が身大事ぞい」と、デデデに裏切られるという第76話 「夢の恐竜天国! (後編) 」の展開。
    きっとシリーズ途中でのハッピーエンドを阻止したんだろうな。 男同士の愛憎劇で視聴者の興味をつなぐ、朝のテレビアニメというのもどうかとはおもうが、面白ければいいか。

    実はこの46話 「真夏の夜のユーレイ! (後編)」のみ、ネットオークションで台本を入手した。
    この台本には、仕上がったアニメと明らかに違う所がある。台本にはファイアーカービィが魔獣を倒した後、幽霊屋敷が火事になり、あわてたデデデがエスカルゴンを「じゃまだ!」と押し倒し、エスカルゴンが「ヒドイデゲス!」と痛がる場面がある。できあがったアニメでは、火がついてふたりで「あっちっち」と言っているだけだ。
    演出の原田浩さんか、吉川惣司監督か、監修の桜井政博さんが、削ったのだ。上の方の判断では「実はデデデは優しい。そこ大事」とか?

    単に尺の問題ではないだろう。かわりに追加された場面がある。
    アニメでは、赤ペンキをかぶった後、一人になったデデデが「えすかるご~ん どこへいったぞ~い」と探し回る場面があるが、台本にはない。
    台本よりもこっちの方がデデデの臆病さが出ているかな。後の「探したんだぞい!!」ともつながるし。

    この殺伐とした場面が切られたことを踏まえて、国沢さんは76話 「夢の恐竜天国! (後編) 」では、「永遠に離れないと誓った夜を お忘れでげすか~」「ム…… すっかり忘れたぞい」という、痴話げんかにも聞こえるやりとりを書いたのだろう。
    同じく「デデデを信じちゃいけないよ」って話でも、印象がずいぶん違う。

    なお、46話には、デデデに呼ばれて鎖を外した、エスカルゴンの上にデデデが落ちる場面がある。76話 「夢の恐竜天国! (後編) 」でも、ゴミ箱に入っている場面でデデデがエスカルゴンの上に倒れる。エスカルゴンの台詞は「おもおもおも重いです」
    きっとデデデは、エスカルゴンの重荷なんだな。

    76話以降、国沢脚本の回で、二人の関係に特に大きなイベントはない。最後までおおむね仲良く過ごしていたし、エスカルゴンはこまめにデデデを心配していた。後半になるとほぼ全ての脚本家の話で、このコンビは仲が良い。

    どこまで最初に想定があったのかはわからない。だが国沢脚本回だけ見ると結果として、悪人のエスカルゴンがフーム視点で改心してカービィの味方になるのではなく、デデデ視点で改心してデデデの味方になるという方向に物語は向かった。


    まとめ

    アニメ『星のカービィ』の脚本は、先行するさくま良子先生の『星のカービィ』やひかわ博一先生の『星のカービィ デデデでプププなものがたり』を参考に書かれている。どちらもヒット作だ。
    それは第一話からある特徴なので、吉川監督自ら「マンガも参考に」と考えたものと思われる。
    特に、ひかわ作品の影響が強いのが、国沢真理子さんが脚本を担当する回。

    国沢回のデデデとエスカルゴンの関係が、嗜癖の問題があってだらしない人物と、共依存的で口うるさいエスカルゴンの関係なのは、ひかわ作品の影響といえる。
    ただ、ひかわデデデの嗜癖は「浪費癖」で、口から入るものに対する嗜癖はない。ひかわカービィの食い意地が張っているからだろう。
    そこは国沢デデデの個性。薬物というか、酒を飲んで暴れるネタはひかわマンガにもあるが、それで暴れるのはカービィで、ひかわデデデは被害者だ。
    デデデを馬鹿にしているのは、国沢エスカルゴンとひかわポピー共通の特徴。でも、デデデの不幸で「ざまあみろ」と笑うのは、国沢エスカルゴンの個性。ポピーは同情的だ。


    エスカルゴンの物語が急展開する理由は、実の所「不明」なのだ。

    このアニメの30話前後に、スポンサーを兼ねる原作者(任天堂および桜井さん)とそれ以外のスポンサー、その意を受けたプロデューサーもかかわる水準での、なんらかの仕切り直しがあったのはたしかだろう。
    あんのうんさんの参加はそれと関連するが、エスカルゴンメイン回の担当者があんのうんさんに変更された理由は定かではない。あんのうんさんの過去のキャリアが「不明」だからだ。

    おそらくこの方針変更の時期に、このように仕切り直された。

    「ギャグ重視」
    「デデデは悪人というより、あほの子」
    「エスカルゴンは意外に受けたので、てこいれする」

    これは、ひかわ版やさくま版のような「デデデとその側近とカービィを中心にしたギャグ作品」にアニメ版を向かわせるもの。
    これを受けて、国沢脚本回のデデデとエスカルゴンは「お互いに対する攻撃が絶えない関係だったが、世界の終わりを前に、お互いの必要性を再確認し、涙ながらに和解」ということに。
    そういう方向にドラマチックな展開にするつもりは、誰にもあんまりなかったんだろうが、テレビアニメは視聴者の反応を見ながらの連載作品ということだ。
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