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    アニメ『星のカービィ』の中の英雄伝説のテンプレート

    今回は、アニメ版の『星のカービィ』の全体の物語は、どういうテンプレートに従って作られてるのか、考察する。

    アニメ版『星のカービィ』の冒頭数話で示される物語はだいたいこうだ。

    異常な誕生によりハンデを持つ主人公。その主人公には王の座を奪うという予言があり、王に敵視されて捨てられる。その後主人公は化け物を倒し、人々に英雄として認められる。

    うん、フロイトの「エディプスコンプレックス」の語源である、ギリシャ神話である、オイディプス王を典型とする古典的英雄伝説のテンプレだな。

    オイディプスの神話はだいたいこうだ。

    妻との間に産まれた男子は父殺しになると予言されていたため、王は妻との交わりを避けていた。だが、酔って妻と交わって子供が出来てしまったため、父親は牧人にその子を捨てるようにと言って預け、子供は捨てられる。この子がオイディプスである。そして牛飼いに拾われ、他国の王の子として育てられる。その後、父と知らず父を殺し、母と知らず母と結婚する。 
    参考 アポロドーロス『ギリシア神話』

    この「ありがちな話を独自に書く」ことを小説家志望の人に、基本として叩き込もうと言うのが、大塚英志の『物語の体操』だ。彼はオットー・ランクというフロイド派の研究者が、エディプス(オイディプス)からモーゼ、イエス、ヘラクレス、ジークフリートといった人物を主人公とする古今の英雄神話から抜き出した共通の構造を紹介する。


    a 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
    b 彼の誕生には困難が伴う。
    c 予言によって、父親が子供の誕生を恐れる。
    d 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
    e 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
    f 大人になって、子供は貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる。
    g 子供は、生みの父親に復讐する。
    h 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

    大塚は手塚治虫の『どろろ』や自作の『摩陀羅』も、これと共通の構造を持つと述べている。『どろろ』はおそらく日本神話のヒルコを意識している。

    サイヤ人で尻尾があって、じっちゃんに育てられて、ラディッツを倒した『ドラゴンボール』や地球に捨てられたキン肉星の王子である『キン肉マン』も、だいたいこの流れに沿う。

    それではこのテンプレと照らし合わせる形で、アニメ版『星のカービィ』を分析してみよう。

    a 原作のゲームがあるので、カービィがナイトメアやデデデ大王の子とはならなかった。
    ナイトメアの失敗作というフームの推測はナイトメア(神)の子という路線だが、推測のままで終わる。生まれながらの星の戦士というのが、アニメでは高貴な血筋にあたる。

    b  これは正常な誕生をしないという意味。桃から生まれるとか。アニメ版では、カービィは早すぎた誕生により、ほぼ「ぽよ」としかしゃべれないとなった。神話や伝説では「何らかの奇形」というパターンがよくある。『王書―古代ペルシャの神話・伝説』 (岩波文庫)では黒髪の一族から、生まれながらに銀髪の子が生まれ、怒った父親に捨てられる。

    c カブーの予言によって、デデデ大王が星の戦士カービィを警戒する。この「予言」には「予知夢」というバージョンもあり、父親が悪夢を見たが故に捨てられる王子の話もある。
    この「予知夢」パターンは「星のカービィ」では第41話「メーベルの大予言! 前編」で見られる。実のところ、第一話よりも第41話の方が、デデデ大王がカービィを倒そうとする理由がよくわかるのだが、一話きりの設定で終わってしまった。
    ナイトメアが星の戦士を警戒しているという設定もあった。

    d  カービィの星形宇宙船がこの箱にあたる。順序が逆にはなるがデデデ大王が生まれたばかりのカービィをハンマーで谷間に落としているのは、英雄伝説でいう王である父が子供を捨てる場面の再現である。ソポクレス「オイディプス王」ではテバイ王ライオスは、我が子に殺されるという運命を避けるために、赤児の足を鉄串で貫きうち捨てるという残虐な選択を行った。参考名著44 「オイディプス王」:100分 de 名著
    単なる残酷表現ではない。ああいうテンプレが数千年単位で存在するのだ。

    e  身分がいやしい、というわけではないが、まだ子供のフームがカービィを育てる。

    f  このアニメでは「大人になって」がない。アニメではカービィと血のつながりのようなものを感じさせるのは、伝説の星の戦士メタナイトである。

    g  王である生みの親への復讐についてだが、デデデ大王相手なら最初の数話ですでになしている。ナイトメア相手なら最終話だ。神話や伝説によくある王座を奪う展開は「ぽよ~」のアニメ版カービィでは、まず存在しないだろう。

    h  魔獣を倒し、星の戦士としてププビレッジの皆に認められる。ナイトメアも最期に彼を認める。
    デデデ大王が最終回付近でカービィの仲間にならなかった理由は、当時は二期の可能性があったからだろう。
    ラスボスを別のキャラに変えて、中ボスは相変わらずデデデ大王というゲームと似たようなパターンに持ち込むつもりなら、下手に全面的な和解やデデデ大王によるカービィの英雄としての認知をさせない方がいい。

    星のカービィ トリプルデラックス』で言えば、ナイトメアをセクトニアに、カスタマーサービスをタランザに入れ替えるような感じだろうか。
    さらにカービィに助けを求めてくる、妖精さんという新規ゲストを追加。
    これで、地上の勇者カービィを敵視するセクトニアとその手先タランザ、相変わらず敵側と仲良くしてカービィをいじめるデデデ大王のパターンで話が続けられるな。

    アニメ版の話の展開がゲーム通りでないという不満はわかる。しかし、ベテラン脚本家の吉川惣司監督は「子供に受けるヒーローストーリー」を作ろうとして、こう改変したのだろう。子供はありきたりな話がすきだ。
    元のゲームがRPGで、堂々たる英雄物語を展開していたとかでもなければ、大枠から変えられてしまうのはある程度仕方がない。


    少しだがゲームの方についても、書いておこう。
    ゲームの『星のカービィ』第一作の物語は、
    「さすらいの若者が、父親にあたる王を倒し、母親を手に入れる」というエディプスの世界をシンプルに表現した物語だ。
    『星のカービィ』の取り扱い説明書に記載された物語は、星のカービィ - カービィWikiで読める。

    『星のカービィ』第一作には母親というか、ヒロインがいないように思われるかもしれないが、乳児にとっては「母親=食べ物」だ。もう少し穏当に表現するなら「ママはまんまをくれる人」かな。
    『星のカービィ』の主力対象年齢が幼児なら、傑作な物語だ。
    この話を書いた当時の桜井政博さんが、まだ若者だったからこそかもしれない。

    二作目の『星のカービィ 夢の泉の物語』の取説でデデデの一人称が「わし」なのは、初期にはデデデ大王は「カービィの父親ぐらいの年の男」という古典的な想定があったんじゃないだろうか。

    「敵」から「仲間内のライバル」になるにつれ、ゲームのデデデの年齢はカービィの少し上、あたりで落ち着いた気がする。
    デデデ大王自身も何かを倒して、自ら英雄となろうとする若者、みたいな扱い。
    トリプルデラックスのデデデでゴーのポーズ画面の「この国は女王…じゃない、大王さまがおさめてやるぜっ!」はそういう物語をあらわしている。

    夢の泉は「生身の善き父と神である悪しき父の争いがあり、息子は敵と見なしていた善き父親を倒した後に、善き父親の愛を知り、彼に代わって悪しき父を倒す」みたいな話かな。
    この場合は父親も、祖父的な存在に反逆する「息子」という扱いだ。
    おおざっぱに言って、スターウォーズもこういう話。

    食欲の次は睡眠欲か。次はオイディプスよろしく女の取り合いでもしそうな流れだが、現在の所、デデデとカービィが女を取り合ったゲームはないんだよね? アニメのパイロット版はその方向だったらしいが、筆者は見ていない。トリデラでは、カービィが敵とデデデを取り合ってた。

    『星のカービィ 夢の泉の物語』から星のカービィの世界の悪役が「精神的な悪」という方向に。
    病を憎んで、人を憎まず。
    下村真一さんがディレクターの『星のカービィ2』以降はこういう「デデデじゃなくて、とりついた何かが悪い」という方向の作品もいくつかある。
    熊崎信也さんのデデデでゴーは、「セクトニアではなく、セクトニアの病ですらなく、発症させた何かが悪い」だった。

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    タグ : アニカビ

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