バカもカゼをひく-『星のカービィ』63話を免疫学的に考察

    「馬鹿はカゼをひかない」
    「カゼは人にうつすとなおる」
    両方とも迷信。前者は微妙な部分が残るが、後者は明らかに間違い。
    しかも「流れ星にお願い事をするとかなう」のような人畜無害な迷信と違い、うっかり信じると他人をばかにしたり、害したりとろくな展開がなさそう。
    少なくとも「免疫とは何か」について誤解を広める。
    これが「刷り込みとは何か」についての誤解なら、そうそう視聴者の人生に関わらないだろうけど、カゼは視聴者全員がひくだろう。
    アニメの台詞をそのまま信じる人はいない、という人もいるかもしれないが、上のふたつがなぜ間違っているか説明するのは大人でも難しい。ましてや子供では「ふーん、そうなんだ」になってしまう。そして親が「それは違うのよ」と訂正するのも、特に前者はかなり面倒くさいことになるんじゃなかろうか。

    詳しく知りたい人は、本文どうぞ。

    なお、私も医師ではないので以下の文章の中には、大ざっぱというのをこえて、明らかに間違っている部分があるかもしれない。疑問があったらご自分で検索されるか、書籍にあたられることをおすすめする。

    ストレスと免疫

    以下、数行はアニメ『星のカービィ』63話からの引用。この「ナントカ」が「バカ」のことだというのは、番組内で明言されている。
    また、カゼにも色々あるけど、アニメ内に高熱を出しているらしい描写があるので、この文章ではインフルエンザを想定する。

    「ナントカは風邪をひかないというのは本当かぞい」
    「それは科学的事実」
    「脳を使わないと色々なところが鈍くなり 結果的に体がばい菌に近くなるから 風邪をひきません。これを免疫と……」
    「わけがわからんぞい」


    本当にわけがわからないな。
    まず「脳を使わないと鈍くなる色々なところ」って、具体的にはどこだろう。
    「体がばい菌に近くなる」とは、どういう状態のことか。
    そして「体がばい菌に近くなる」と、なぜカゼをひかないのか。
    一般に「免疫」といえば「一度かかった病気には二度とかからない。あるいは軽くて済む」という獲得免疫のことだ。「免疫がつく」の「免疫」はこの獲得免疫だ。
    もっともこの場合、獲得免疫は関係がなさそうだ。

    体内に侵入したばい菌を片っ端からやっつける、自然免疫というのもある。
    白血球がばい菌を食べる光景はよく知られているが、もしかしてあれを原始的ととらえてこういう表現をしているのだろうか。
    自然免疫も人間の場合、かなり高等化されたシステムだ。
    「免疫」を「白血球が近くのばい菌を食べるだけの単純な仕組み」と考えてるのかな。一般人の認識はそうかもしれないが、それは違う。
    それにそれは「鈍くなる」のではなく、免疫が鋭くなるのだ。

    同じようにウイルスに曝露されながら、ある人は感染しやすく、ある人は抵抗性を持っている。このようなウイルス感染に対する感受性の違いは、それぞれの個体が持っている「自然免疫」と呼ばれる抵抗力の差によって決定されると言われる。
    (中略)
    自然免疫は、気道などの粘液中に含まれるリゾチームなどのタンパク質分解酵素や、インターフェロンなどの抗ウイルス性のタンパク質がつくられやすいかどうか、ウイルスに感染した細胞を破壊する能力を持ったナチュラル・キラー細胞(NK細胞)や、異物を処理するマクロファージなどの機能が高いかどうかによって決まるとされている。
    免疫・「自己」と「非自己」の科学 多田富雄

    わけがわからないと思われる方が大半だろうが、体の抵抗力が高まることを「鈍くなる」とか「ばい菌に近くなる」とかいうのは、見当違いだということはなんとなくわかっていただけるだろうか。それは高度な防衛システムが、きちんと機能するということなのだ。
    そしてバカだのなんだのという脳の問題の他に、様々な要素が「カゼをひきやすいかどうか」には、関わっているという前提もここで確認しておきたい。

    むしろ「脳を使いすぎると、体のあちこちが鈍くなりますから、カゼをひきます」の方が正解に近いような。
    この場合の「脳を使いすぎる」は「あれこれ思い悩む」の意味ね。

    脳ではなく白血球が主導権を握ることを「体がばい菌に近くなる」と表現するのは、脳のおごりだろう。もしある人間の体に他の人間の脳を移植すれば、その脳は白血球に殺されてしまうだろう。これを拒絶反応といい、よく知られた現象だ。
    自分が何者かを決める権限は、脳ではなく白血球をはじめとする免疫系の側にあるとすらいえるのだ。

    あえて原文を残し気味に書き直すならこうかな。
    「脳や体を使いすぎなければ、そのぶん白血球が元気になり、ばい菌をよく退治してくれるから風邪をひきません。この自分の体を守る働きを免疫と……」

    おそらく以下のような「科学的事実」が元ネタなんだろう。

    ストレス時に分泌されるコルチゾールやノルアドレナリン、アドレナリンなどの、いわゆるストレスホルモンは、すべて「免疫力低下」を誘導することが分かっている。
    ストレス時に副腎皮質から放出されるコルチゾールは、リンパ球を減らし、免疫を低下させるため、免疫抑制剤として広く使われている。

    こころの免疫学 藤田紘一郎

    人間の精神と神経、免疫のつながりを研究する学問は「精神神経免疫学」という。
    ここで、人間の体について、基本的なことを確認しよう。
    肉体は、脳につながる電線である神経を通じ、電気信号で脳と情報をやりとりしているる。それと同時に、内臓その他で作られ血液中に溶け込む様々な化学物質で、脳をふくむ体の様々な器官同士が互いに情報をやりとりしている。
    血液中に溶け込み、心臓の鼓動を早めたり遅くしたりする、主に内分泌系の情報伝達物質をホルモンという。コルチゾールはこれにふくまれる。
    人の神経系は交感神経と副交感神経に大きくわけられ、ノルアドレナリンは「闘争か逃走か」といわれる緊張状態をつかさどる、交感神経から分泌される神経伝達物質である。
    脳は神経のかたまりとして電気信号とともに、化学物質で情報を処理している。アドレナリンの他に、ドーパミンとか、セロトニンとか、β-エンドルフィンとかが脳内の伝達物質として有名である。
    人の気分が変われば、脳を流れる電気信号と共に、化学物質も変化する。そしてそれらの変化は脳から神経、神経から血管、そして血管の中の白血球へと伝わる。

    白血球は、様々な化学物質の影響を受け、また白血球達自身も様々な化学物質でおたがいに情報をやりとりしている。
    上記引用文は、白血球が脳からの情報伝達で、活動をおさえめにすることを語っている。
    免疫系が情報をやりとりする際に、使われるたんぱく質を特別に「サイトカイン」という。
    カゼの際の発熱は、この「サイトカイン」の一種の「インターフェロン」の働きによる。カゼをひいたときに、眠くなるのもこのためだといわれている。ウイルスの侵入を察知した白血球は、逆に脳に命令するのだ。
    「自分達の戦いの邪魔をしないように寝てろ」

    二十世紀初頭に、十年以上にわたり結核患者の治療に従事していた本邦大阪在住の医師・石神亨も、以下のような観察(1919)を残している。
    「仕事上の失敗、家族間の不和、羨望などが認められたり、神経質な患者の経過は一般的に良くなかった。(中略)一方、検査結果は進行性の結核を示唆しているにもかかわらず、良好な経過をたどった患者たちに共通していたのは、彼らが楽観的で、心配しない性格の持ち主であったということである」
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)


    ここでは「楽観的で心配しない性格」が良いとされている。

    しかし63話の展開だと、デデデは自分が風邪をひかないことに悩んで風邪をひきそうだな。
    「風邪をひく人民どもは、心も体も弱い免疫弱者ぞい」ですまして、後は笑ってテレビを見ているようなら、風邪をひかない種類の馬鹿かもしれない。賢い気もするが。
    自分が風邪をひかないことを、全く悩んでないカービィは真の免疫強者だ。
    ゲームで「なやみのないやつです」と形容されるだけはあるな。

    過度のストレスを受けていると感じているときに風邪をひきやすい、という傾向は、1991年、厳密に計画された大規模な実験的研究によって、医学的に妥当なものであることが米国のコーエンたちの研究によって示された。
    彼らは、三百九十四名の健常ボランティアを募り、用意した同一の施設で生活してもらった。(中略)そして、五種類の上気道感染ウィルスを鼻から投与し、感染症の発症率を調べたのである。その結果、日常生活で受けているストレスが強いと答えた者ほど発症率が高いという相関がみられた。
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)

    なお、『こころと体の対話』ではストレスを受けても、自分でそれを回避出来る場合は発症率に影響しないというようなことが書いてあった。
    同じような仕事をしていても、「今日はここまでにしよう」といえる上司は、それを決められない部下より健康に生きられるそうだ。

    嫌なことがあったらすぐ行動するデデデは、他人を不健康にしながら、自分は健康に生きてそうだな。

    ロンドンのペッティンゲールらは、乳がんの告知を受け、単純乳房切除術を受けた患者が、その後どのような精神状態にいたったかを面接で診断し、また同じ患者たちの経過を十年以上にわたって調査した(1985)。
    その結果、患者たちはその精神状態によって、
    (1)医学情報を得て病に対して積極的に対応しようとする患者
    (2)たとえば「用心のために医師が乳房をとっただけよ」のように、診断を否定したり軽視する患者
    (3)病を禁欲的に受容する患者
    (4)診断を告知されて絶望した患者
    の四つのカテゴリーに分かれた。
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)


    簡単にまとめると
    「ストレスにより人は風邪をひきやすくなる」
    「特にストレスから逃れられないと感じている人は、免疫力が低下する」
    「ストレスがあっても気にしない人間や、解決に前向きな人間は病が重くなりにくい」
    こういうことのようである。

    つまり、能天気で苦悩しない人間だけでなく、積極的に脳を使っている人間も風邪をひきにくいようだ。また脳を使っていても、自分の力で多くのことを決められる権力者も病を得にくい。

    デデデに関しては「あれだけ好き勝手に生きていれば、風邪なんかひかないだろ」という方向に話を展開すればよかったかも。

    辛いことがあっても悲観せず、問題解決に前向きで、考えた上で多くのことを自分で決めて、努力する「かしこい」人をもバカ扱いすることになるので、「バカはカゼをひかない」の真偽は偽である。

    悩みがないという悩み

    一番簡単な修正方法は、どこかにさらっと「それ、迷信」というツッコミをまぜておくことだろう。こんな感じで。

    「カスタマー、馬鹿は風邪をひかないというのは本当かぞい」
    「それは迷信ですから、お気になさらず」
    「迷信でもいいから、風邪がひきたいぞい」
    色々と間違った解説をするぐらいなら、こっちの展開の方が無難だった。

    あるいは、最後の場面で、オチをつけておくとか。
    「カゼが辛いぞい。でもこれでわしが馬鹿でないことが証明されたぞい」
    「はぁ? 陛下、まさか本気でその迷信を信じていたんでげすか?」
    「え? じゃあ、わしの苦労はなんだったんだぞい」

    正しく詳しく解説しないのならば、「馬鹿は風邪をひかない」は健康な人を馬鹿にするためだけの言葉にしかならない。風邪をひいた人が「自分は馬鹿じゃない」と慰められるとしても、科学的には「馬鹿で後ろ向き」の可能性もあるし、むなしい慰めではなかろうか。
    「風邪をひいたりしないため、前向きに生きましょう」というのなら、教育的で感動的なメッセージになりうるが、
    「風邪をひいたりしないため、脳をつかわないようにしましょう」では何がなんだか。

    だいたい「脳を使わないから」というのを風邪をひかない理由にするなら、「よし、脳を使うぞい」とかいう方向に流れる方が、水風呂に入るより話としてはなめらかではなかろうか。絵は地味だろうけどね。

    「脳を使いたいぞい」
    「はあ、それでは難しい本でもお読みになれば」
    「そもそも、文字が読めんぞい」
    「そうでげしたね。では免疫学のビデオを見るでげす」
    「ぐー(居眠り)」
    「まあこうなるでげしょうよ」

    後はストレスをあえて求めるとか。水風呂も肉体にストレスを与える行為ではある。

    「エスカルゴン、わしは風邪がひきたいぞい」
    「げほげほ……私のようにストレスまみれの生活をしていれば、脳が疲れて免疫力が落ちるでげすよ」
    「そうかぞい? だったら、どうしてこんなにストレスの多いわしが、風邪をひかんぞい」
    「へ? だったら、陛下を鎖でベッドに縛りつけた上で、一晩中陛下の悪口を枕元でいってあげるでげす。」
    「それはいやぞい」
    「ストレスを感じたいんでげしょ? ついでにそばでセキもしてあげるでげす。それで飛沫感染が成立して、陛下もカゼになるでげす」
    「もっとましな方法はないのかぞい」

    生物にとって拘束されることは、非常にストレスを感じる行為だ。たとえば、ネズミを板に貼りつけて、二四時間放置すると、典型的なストレス症状が現れる。ハンス・セリエは、実験動物を拘束し、注射をする実験をしていて、現在のような「ストレス(ストレッサー)」の概念を発見した。参考『カラー版 細胞紳士録 (岩波新書)


    「フーム、わしは悩みが欲しいぞい」
    「国王なんだから、国の行く末について悩めばいいんじゃない?」
    「我が国は平和で食物にも恵まれ、識字率も99%で、愚民どもは幸せそうぞい。何を思い悩むことがあるぞい」
    「……まず村人全員が同じ感染症にかかるような、公衆衛生の問題を悩めば? きっと熱が出るわよ」
    「こうしゅうえいせいとはなんぞい?」
    その後は保健所を建てようとか、予防接種をしようとか、手洗いうがいキャンペーンをしようとか、感染者を隔離しようとか、汚物は消毒とか、医療性廃棄物は焼却とか、医大や看護士学校をつくろうとか、適当に保健教育的な話に。
    でも、結局それで悩むのはデデデ以外。

    それから上記に書いた「楽観的な人はカゼをひかない」の他にも、バカはカゼをひかないについての説があるようなので、軽くふれておこう。

    ホント!?「バカは風邪ひかない」には医学的根拠があった! - NAVER まとめ

    上記リンク先によると、馬鹿はカゼを自覚しない、という意味での使われ方が古くからあるそうだ。つまりこういうことだろうか。

    アニメとは逆にデデデ一人だけ、カゼをひいている想定。
    「わしはカゼなんかひいてないぞい。げほっ。コンビニに行ってお菓子を買って、カワサキの店で食事してくるぞい。くしゃん。ついでに村中を視察するぞい」
    「パンデミックを引き起こす気でげすか。カゼをひいたら、おとなしく寝てなきゃだめでげしょー」
    「そんなのつまらないぞい。ずずっ。でかけたいぞい」

    割と教育的に展開できそうだな。あんのうんさんより、国沢さんっぽいけど。

    国沢さんの第32話「歯なしにならないハナシ」は「歯を磨きましょう」というひじょーに常識的な教訓話。
    吉川監督の第85話「まぼろしの紫外線!」も「オゾン層を大切にしましょう」だな。
    吉川監督とか国沢さんは「科学的に正しいかどうか」を、かなり気にして脚本書いているよね。

    この63話の脚本を担当した、あんのうんさんは「名誉」をめぐる話を多く書いている。
    例えば、第37話「お昼のデデデワイドをつぶせ!」と第70話「トッコリ卿の伝説」はこの人だ。
    この話のテーマはあえていうなら、「バカにされまいと、つまらない見栄をはるのはバカである」ということだろう。


    風邪をひかない理由あれこれ

    デデデが風邪をひかなかった理由をアニメでは「脳をつかわないから」だけですませているが、風邪を引かない理由なんて様々だろう。
    話が複雑になるから、他の可能性には言及しなかったんだろうが、ここでは考察しておく。

    現実的に考えれば、一番の理由は「デデデは他の人物と種族が違うから」だろうな。

    例えばイヌのジステンパーに人間は罹らないし、ブタのコレラにはニワトリは罹らない。こういった自然に持っている体の抵抗力も、「免疫」の働きである。
    免疫・「自己」と「非自己」の科学 多田富雄

    同じく風邪をひかなかったカービィは明確に宇宙人なんだし、地球の微生物で火星人が滅んだ『宇宙戦争』の逆の話なのかもしれない。

    次は、前に風邪をひいていた、かな。
    第4話あたりでデデデがひいた風邪がしばらくたってププビレッジで流行したが、白血球に免疫学的記憶があったので、デデデは発症しなかったとか、そういう獲得免疫の話。

    他に考えられるのは「デデデが引きこもりだから」かな。
    人にあわなければ、うつされることもない。
    インフルエンザにかからないためにはどうすればよいですか?
    6) 人混みや繁華街への外出を控える
    インフルエンザQ&A

    いくら寒い思いをしても、誰にもあわない引きこもりは風邪をひかない。
    デデデは水風呂に入っているけど、その後でワドルディ以外の誰にも会っていないのなら、カゼをひかなくても当然だな。
    カゼも感染症という基本に立ち返るなら、感染者への接触も正しいカゼのひき方だよね。

    「カスタマー、どうしたらカゼをひけるか教えるぞい」
    「他人にうつされればよいでしょう。すでにカゼをひいている人の看病でも、すればよろしい。多くの医療従事者が、それでエボラに感染しました」
    「そうかぞい」
    その少し後……。
    「えーすかるごーん。看病してやるぞい。注射とかどうぞい?」
    「あっ、あのちょっと。乱暴はやめて、よして。いま、熱があるんだからぁ。いやーん、もうっ」
    エスカルゴンに迷惑をかけた後は、他人に看病を申し出て、片っ端から「結構です」と断られる展開。
    「誰かわしにカゼをうつすぞーい」

    これに関連してもうひとつ。
    「カゼは人にうつすとなおる」
    カスタマーの言ったこれは間違い。でもこの番組中に訂正はない。
    実際に他人にうつそうとする人は少ないだろうけど、迷信を広めないで欲しい。
    おおざっぱにいって、ウィルスの侵入により、免疫が本格的な戦いを始めるのに2、3日かかる。白血球が応戦することで、発熱などの症状が出る。
    実は発熱はウイルスのせいというより、白血球のせいなのだ。
    そして通常、インフルエンザは2、3日で本格的な症状は治まる。
    だから、うつした人がなおった頃に、うつされた人が発症する。
    この獲得免疫は鳥類をふくむ高等生物にしか存在しない。たとえば、下等生物であるカタツムリには存在しない。カタツムリは変温動物でもあり、感染症にかかっても、おそらく人間のように発熱はしない。
    下等生物はカゼをひかない。正しくは免疫の組織的な応戦がないまま、生き延びるか、弱っていく。これは科学的事実。しかし、エスカルゴンはその点でも進化したらしい。

    体内の冒険

    この話の脚本を書いたあんのうんさんは「体内の冒険」を書く傾向があるみたいだ。
    デデデとエスカルゴンとカービィがパイ魔獣「パワーストマック」の胃袋に入ってしまう、第57話「パイを笑う者はパイに泣くぞい!」と、デデデがヘビに飲まれる第95話「デビル・カービィ」もこの人だ。
    このアニメシリーズで、他に「体内の冒険」をやった脚本家は、クジラにのまれる第71話「密着! ホエール・ウォッチング」の柔美智さんかな。クジラにのまれるパターンでは、ディズニー版ピノキオが有名。原作の小説版ピノキオではサメにのまれる。お腹を切ったときに人が出てきそうなのは、クジラよりサメだろうけど、サメは小さいからディズニーはクジラにしたのだろうか。

    巨大な生物の体内を冒険する話は、古典的である。
    ヘビに飲まれる話は日本では「夏の医者」として、古典落語にもある。
    もっとも95話の描写だと、「赤ずきんちゃん」か、「狼と七匹の子ヤギ」のような、外の誰かに助けてもらう話の方が近いかもしれない。
    57話のパイの回は大きな相手を内部から倒すという点では、「一寸法師」とおなじようなものかな。

    体内の冒険について詳しくはこちらを参照 生ける洞穴

    しかし、この63話のように機械で小さくなって、通常サイズの人体を冒険するパターンは、かなり近年の話だ。『ミクロの決死圏』(1966年)という映画がこの63話の元ネタだろう。

    しかし、手塚治虫先生の言葉を信じるなら、この「主人公が小さくなって人体の内部を冒険する」「それによって病気を治療する」というパターンのルーツは手塚治虫なのだ。

    リチャード・フライシャーが監督した特撮映画『ミクロの決死圏』は、手塚治虫のマンガ『吸血魔団』(1948年)と、それを元にテレビアニメ化した『鉄腕アトム』「細菌部隊の巻」(1964年)をヒントにしたとも言われていて手塚マンガとも縁がある。
    虫ん坊 2012年09月号:手塚マンガあの日あの時 第24回

    上記のとおり、『吸血魔団』は『ミクロの決死圏』の18年前に出版されている。
    この『吸血魔団』は五年後に手塚自身により、焼き直しされていて、私はその『38度線上の怪物』の収録されたコミックスを持っている。
    38度線上の怪物 TezukaOsamu.net 
    これは『吸血魔団』と違い、http://www.amazon.co.jp/gp/product/4063738221/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4063738221&linkCode=as2&tag=suisyokyu-22" target="_blank">アマゾンでも買える。
    『38度線上の怪物』はカビの毒で主人公達が小さくなって、結核の人の体に入る話だ。

    残念なことにこの昭和28年(1953年)の漫画の方が、2002年の『星のカービィ』のこの63話よりも科学的なんだよね。
    手塚先生は医者だから、解剖学的に正確に描けて当たり前ではあるが……漫画家としてはやはりすごいことだ。医学は50年でとても進歩したんだが、それに興味のない人は未だに迷信の中にいるのが、この21世紀の現実なんだな。

    デデデの体のどこに魔獣とカービィは入ったのか。
    どうやらアニメスタッフの誰も設定しなかったようで、何の説明もない。
    デデデが鳥類かどうかすら不明だが、人類と同じという前提で話を進める。

    デデデのカゼが「カゼ(上気道感染症)」なら、ウイルスのいるところは、せいぜい鼻からのどの上の方。
    悪化して「気管支炎(下気道感染症)」になっているのなら、胸の上の方の真ん中。
    でもカービィの入った所って、デデデが手をあてている位置からしても、それよりさらに下のような。もはや肺炎?
    肺炎にしては、カービィの入った場所が広いし、肺胞っぽくない。
    しかし感染性胃腸炎では、セキやくしゃみや鼻水は出ない。代わりに吐くかトイレ行きだ。
    どちらにしろ気管支や胃までは、前から見てまっすぐに落ちていく。肺に入るなら途中の気管支で右か左に大きく曲がる。アニメではなんだか左右にうにうにしているけど、誤解を生むだけのギャグだな。
    動きが欲しいのなら、手塚先生のように呼吸にあわせて、上下にカービィを揺さぶればよかった。
    そして、デデデがくしゃみをしたのがカービィのせいならば、鼻のあたり(上気道)で戦っていることに。肺や気道でカービィが暴れて苦しくなったというのなら、せきをするだろう。
    気道の図はこちらに

    素人考えだが、この部分を科学的に描いても、アニメーターの手間はそんなに変わらない気がする。デデデがお腹ではなく、のどをおさえて苦しむだけでだいぶちがう。

    また、人の気道(息の通り道)は一面粘膜で覆われている。
    気管や気管支のぬれた粘膜の表面には線毛細胞があり、たくさんの毛をはやしている。参考『カラー版 細胞紳士録 (岩波新書)
    でも、カービィが入ったのは、ふさふさなところじゃなかったな。
    手塚先生は主人公達が気道に入ったあたりで、さりげなく背景をふさふさに描いている。
    カービィやウイルス魔獣が細胞ひとつと等しい大きさに縮んだなら、ふかふかぬるぬるのじゅうたんに描いてもよかったんでは。

    つまり、ウイルス魔獣とカービィが戦う場所は「まっすぐすいこまれた」「のどのあたり」で「ふさふさ」で「ぬとぬと」なところで、はき出された原因は「せき」であるべきだったんじゃないかと。

    デデデは人間じゃないから、とか、あれは未知のウイルス魔獣だから、とか言い訳はあるだろうけどね。

    科学的に正しく描写することのアニメ制作者側のメリットは、「バカにされずにすむ」ことだと思う。視聴者側のメリットはもちろん「なんとなく正しい知識が身につく」だ。
    半世紀前、漫画の地位が低いことを気にしていた、手塚先生は漫画に積極的に文学を取り入れようとしていた。『38度線上の怪物』にも「椿姫」の話が出てくる。科学的な描写に力を入れた理由もそうだろう。

    でたらめでも面白ければいい、というのも正論だろうし、ギャグとは人をバカにすることで成立するものでもあろう。くだらないギャグアニメには、免疫を活性化させる力もあるだろう。
    そして間違った知識をかいてはいけないとか言い出したら、10代や20代の作家は多くがデビューできないだろう。
    ただこのケースでは、バカはカゼをひかないという迷信を真実とする以外に、カゼをネタに話を書けないということはないだろうし、デメリットの方が大きかったんじゃないだろうか。

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