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    野添梨麻さん脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察

    アニメ版『星のカービィ』で、野添梨麻さんが担当した回は以下の15話。

    第10話 ボルン署長をリニュアルせよ
    第15話 誕生? カービィのおとうと
    第19話 ナックルジョーがやって来た!
    第21話 王女ローナの休日
    第26話 忠誠! ソードとブレイド
    第34話 究極鉄人、コックオオサカ
    第40話 魔獣ハンターナックルジョー!
    第47話 帰れ、愛しのワドルディ
    第54話 やりすぎの騎士! キハーノ
    第59話 最強番組直撃! 晩ごはん
    第65話 逃げてきたナックルジョー
    第72話 ワドルディ売ります
    第82話 合体ロボリョウリガーZ!
    第90話 爆走! デデデス・レース (前編)
    第91話 爆走! デデデス・レース(後編)

    主にこのアニメシリーズの騎士道物語部分を担当している人。食べ物回も多い。


    野添エスカルゴンについて

    第10話の「だから 前がみえねーっていってんだよ この!」がエスカルゴンがデデデに乱暴な口をきいた最初。この時は「その口のきき方はなんぞい」ととがめられている。しかし国沢脚本の第12話「デデデ城のユーレイ」の「誰にもいわねぇから」以降は、デデデはエスカルゴンのタメ口を聞き流すようになる。


    野添エスカルゴンはかなり初期から、デデデを馬鹿にしている。特に容姿に関する罵倒が多い。
    「陛下を馬鹿にしているのは、プププランドの人民全員でげしょうが」(こぶしで殴られる)第10話
    「たとえ姿形は無様でも」(ハンマーで殴られる)第19話
    「だいたいその顔で結婚とか非常識」(こぶしでふっとばされる)第21話
    こういう発言をするエスカルゴンがデデデに殴られるのは、わかりやすい。
    エスカルゴンが、デデデに暴力をふるわれたから、おとなしく命令を聞く描写も多い。
    上記の10話の場面や、第59話のカップ麺の容器を口に突っ込まれた後とか。
    暴力による支配がストレートに成立している。

    吉川監督回の第13話には「美しいお祭り?」「あの顔からでる台詞かね」みたいな村人の台詞がある。デデデの容姿ネタ自体はこの回がたぶん初。他の脚本家にもエスカルゴンが容姿をけなす表現はあるが、おおむね後半のような。
    「陛下の醜さをそんなにはっきりいうのは 無礼でげしょうが」(国沢回)第42話
    「姿こそみっともなくあらせられるが」(山口回)第60話
    「鬼!悪魔!人でなし!デブ!サディスト!」(あんのうん回)第88話
    たぶん、第19話の「たとえ姿形は無様でも」の元は吉川脚本のこの部分。これは性格に関する解説でもあるな。
    「ひがみっぽい陛下を怒らすとこわいでげすよ」(殴られる)第4話

    でも「側近によるデデデの罵倒」についてはそもそもアニメよりも、ひかわ博一先生のマンガが先だ。

    星のカービィ デデデでプププなものがたり』の一巻(1995年)、一話には側近のポピーとデデデのこんな場面がある。

    ポピー「さすが大王さま、悪い人~!! こんな悪人見たことない! ずるくてひきょうで自分かって。まさに悪人のかがみ。」
    デデデ「やかましい!! そこまで言うな~っ」(こぶしでなぐる)



    これ以降も、エスカルゴンによる罵倒もかすむような、ポピーやカービィによるデデデの罵倒が時々出てくる。

    主人公が国王のギャグマンガである『パタリロ!』でも、こういうパターンでタマネギが罰せられていた。

    部下「アホでバカで より目で下ぶくれでも 殿下は殿下です! 無礼な態度は許しません!」
    国王「おのれが一番無礼じゃ!」(部下を火あぶりにする)


    パタリロ! 7巻』(1981年発行)より。少なくとも20数年以上前からあったパターンということになるな。


    野添脚本だと初回の10話からいきなりエスカルゴンに対する暴力がきつく、エスカルゴンが始終デデデを馬鹿にしている割に、親密表現はかなり遅れて出てくる。一瞬でほぼ見えない21話を除けば、第34話で抱き合って泣いている場面が最初になるだろう。これは喜びを共有している時の抱擁で、吉川監督始め、他の脚本家だと抱擁は怯えの表現のことが多い。
    第10話ではエスカルゴンが蜂に「今度は陛下を刺してください」と言ったりしていた。エスカルゴンが自分のために、デデデを犠牲にしたいと言うのは珍しい。たぶん、この場面だけ。強いてあげるなら第93話 「カービィ感謝の日! 」(脚本 友永コリエ)の「たたるなら陛下に」という意味の台詞かな。
    逆にデデデが自分の身を守るためにエスカルゴンを犠牲にしようとするのは、野添脚本の第34話 「究極鉄人、コックオオサカ」のデデデがナイフとフォークを持ったカービィに襲われそうになり、食べるならこいつがいいぞい、とエスカルゴンを抱きかかえて差し出す場面がたぶん最初。その後、他の脚本家の回にも似た場面が現れる。
    『ゲゲゲの鬼太郎』五期の第二話「ビビビ!! ねずみ男!」(脚本 三条陸)で、ねずみ男が妖怪に食われそうになり、「食うなら鬼太郎を食ってくれ」という意味の台詞を吐いているので、よくあるパターンではあろう。でもヒーローの鬼太郎は、そんなねずみ男を助けるのだった。

    第40話「魔獣ハンターナックルジョー!」の回ではお風呂に入っているデデデの背中を、ごく当然という表情でエスカルゴンが洗っている。この話あたりに、野添エスカルゴンの曲がり角があるだろう。

    テレビを見たりお菓子を食べたりフィギュア集めたり恐竜の絵本読んだりが趣味の国沢デデデと違い、野添デデデはドライブとかゴルフとか、大人の男らしい趣味の持ち主。設定としては、吉川脚本でそれらは成立してるのだが、野添脚本で活用されている。
    さらにいえば、アニメ版デデデの趣味がゴルフなのは、『カービィボウル』がカービィをボールとしてショットするゴルフゲームだからだろう。
    野添デデデは原型である吉川デデデと似て、暴力的だ。野添エスカルゴンは吉川エスカルゴンと同じく、デデデを殴ったりはしない。せいぜい料理に唐辛子を入れる程度。
    だが、野添エスカルゴンは「ワドルディ売ります」の回で「自分でやれば」という言葉を残して「(今、陛下に)見つかったら、どんなにこき使われると思うでげすか」と一度見捨てていた。
    国沢エスカルゴンやあんのうんエスカルゴンがデデデに捨てられたり、忘れられる側であることを考えると、見捨てる側に立ったのは野添エスカルゴンだけだろうな。

    野添回のデデデとエスカルゴンの関係

    野添脚本回のこの二人の関係は「都合が良いときは仲良くしているが、状況が悪くなるとお互いを見捨てる悪人同士の関係」だ。

    国沢脚本だとこのコンビは「どっちが家庭内で主導権を握るか」という権力闘争をしているが、野添脚本だとこのコンビはひたすら金のことで争っている。例えば、第47話 「帰れ、愛しのワドルディ」や第59話 「最強番組直撃! 晩ごはん」や第72話 「ワドルディ売ります」がそうだ。
    第40話 「魔獣ハンターナックルジョー!」 の「悪徳商法だったらどうするつもりでげすか」というエスカルゴンとデデデの会話もそう。
    65話の「逃げてきたナックルジョー」の回の、ベッドの下に宝石を隠すエスカルゴンとかもそうだろう。それを「わしからちょろまかした金で買った物ぞい」と笑って取り上げるデデデ。
    この強欲者同士の宝石争いは、吉川脚本回の第一話で宝石に見えるワープスターを、デデデとエスカルゴンが奪いあったのが最初。
    そこから発展した、エスカルゴンの宝石集めとちょろまかし設定は、それぞれ17話と42話の国沢脚本回からだけど、宝石の話は野添脚本に二回出てくる。

    そもそも、デデデが第一話でワープスターをいただこうとしたのは、「星のカービィ」一作目の「(デデデ大王が)秘宝きらきらぼしを盗んだ」や、「カービィボウル」の夜空の美しい星を独り占めや、「星のカービィ64」の拾ったクリスタルを持ってカービィにやらないぞーという意地悪をした場面からだろう。

    アニメ版では宝石集めは、どっちかというとエスカルゴンの趣味というイメージになった。
    なお、エスカルゴンの隠していた宝石は指輪のようだ。
    普段はブローチをつけられるような服を着ていないエスカルゴンなら、指輪が自然かもしれない。こっそり指にはめてみて、「きれいでげす~」とうっとりしているんだろうな。

    野添脚本ではデデデの立場が強く、エスカルゴンはそんなデデデの浪費癖をとがめる一方で、内緒で美しい宝石を買うという贅沢を楽しんでいる。
    「金持ちで傲慢な夫と、仕事面でも夫を支える金目当ての年下妻」みたいな感じかな。

    野添エスカルゴンが、主な脚本家のエスカルゴンの中で、一番デデデ本人に対する愛(依存)が薄そうな気がする。しかし見下しはあれど、憎しみや恨みも薄い。
    第65話で、実験台としてデデデに殴られたすぐ後で、ブンにボールをぶつけられたデデデを助け起こしているだけでも優しいとは思う。これは吉川監督の第41話に準拠する関係。

    野添脚本だと、吉川脚本や国沢脚本や山口脚本の「一人にしないでぇ」と怯えて相手にしがみつく臆病さが、デデデにもエスカルゴンにも乏しいからだろう。

    その代わりにワドルドゥ隊長と、ワドルディ達が陛下に忠誠を尽くしている。
    野添デデデの切実なる「一人にしないでぇ」は、第72話 「ワドルディ売ります」の誰もお世話をしてくれなくなった時の「ワドルディ愛していたぞーい」だろうな。
    デデデ大王と忠実なるワドルディは、その点では原作通りなので第72話は、ゲームソフト『星のカービィ20周年スペシャルコレクション』に収録されるという栄誉に浴した。

    それでは、第90話 爆走! デデデス・レース (前編) から野添脚本の二人の関係を象徴する台詞を紹介。

    「チンケだけど大王でげすぞ」
    「これは失礼 大王様でしたか」
    「そうぞい」
    「でも思考力0だから実権は この私にあるんでげす」


    これは奴隷の権力である。
    いい資料が手元になかったので、知恵袋から引用する。

    「ローマ法では奴隷は物扱いで権利能力がありませんでした」
    まあそうなのですが、正確とはいえません。
    奴隷は、主人の権利・義務を行使することができました。
    ですから、主人が、権力者であれば、主人の権利を行使する奴隷は、権力者でもありました。
    奴隷の執事に、自由民が従うなどは、当然起こり得た事態でした。


    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1391221853

    権力者の奴隷は、主人のお気に入りである間は、主人の権力を自分のものとできる。だが、主人にひとたび嫌われれば、全てを失う。
    ある日、デデデ大王がエスカルゴンに飽きたら、エスカルゴンは城から追い出されるが、その逆はない。
    エスカルゴンは自慢のつもりだが、「陛下のお気に入りになるとお得でげすよ」という風に聞こえる。
    このやりとりの後で、暴走族達が「皆 陛下を敬っております」とデデデに取り入って、お気に入りになり、利益を得ているので彼らは即座にそれを理解したようだ。

    テレビのリモコンすら他人に操作させる主人に奴隷のように仕えることで、金と権力を手にして密かに楽しんでいるのが野添エスカルゴン。
    あんのうん脚本とは「主人と奴隷」の意味がたぶん違う。野添脚本のデデデとエスカルゴンのような「主人と奴隷」の方が歴史的には正しいだろう。野添梨麻さんに歴史に関する教養があるから、こういう描写なのだろう。

    野添脚本のデデデとエスカルゴンの関係は、まとめて見るとこんな流れ。

    侮蔑(第10話)→いつもの共犯関係(第15話等)→お世話係(第40話)→へそくり(第47話)→いつもの共犯関係(第54話)→家計争い(第59話)→二人で金儲けをもくろむ(第65話)→見捨てる(第72話)→相変わらずお金に困っている(第82話)→実権は私(第90話)

    浪費癖のある金持ち夫と贅沢好きな妻が、いつも買い物や家計のことで争い、二人で金儲けをもくろむが失敗し、借金のことで争ったあげくに妻は夫を一度捨て、なんとなく元鞘に収まり、妻は自分を支配する夫を逆に操ろうと画策する。そんな話かな。

    野添脚本の二人の関係は、もし90話のデデデがエスカルゴンを抱えて寝ている描写が脚本段階から存在するのなら、両者共に身勝手だけど、エスカルゴンはデデデのお気に入りの、自分の方が偉いと思っている猫ってことになるんだろうな。そんな二人に毛布をかけてあげる、忠実なワドルディ達の陛下に対する片思いがちょっぴり切ない。

    野添脚本には、ワドルディとワドルドゥ→デデデ→エスカルゴンの三角関係がある。だけど、ワドルディ対エスカルゴンでデデデを取り合う方向にはあまり発展しない。
    「第47話 帰れ、愛しのワドルディ」の回に典型的なように、
    「ワドルディとワドルドゥ→デデデ→エスカルゴン→お金」ってことだからだろう。

    どうやらこの脚本家独自の欲深い悪役の物語が、展開しているようだ。

    関連ファイル
    脚本家ごとのデデデ(短文版)
    『星のカービィ』の野添脚本回の過去作との照らし合わせ
    山口伸明さん脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察
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