『ソロモンの指環』コンラート・ローレンツ

    「刷り込み(インプリンティング)」
    よく知られてるこの概念の原点である、ローレンツの『ソロモンの指輪』という本を読んでみました。

    ヒナのときから一羽だけで育てられ、同じ種類の仲間をまったくみたことのない鳥は、たいていの場合、自分がどの種類に属しているかをまったく「知らない」。すなわち、彼らの社会的衝動も彼らの性的な愛情も、彼らのごく幼い、刷りこみ可能な時期をともにすごした動物にむけられてしまうのである。
    (中略)
    おなじような悲喜劇は、シェーンブルン動物園にいたオスのシロクジャクにもおこった。彼もまた、早くかえりすぎて冬の寒さで死に絶えた仲間のうちの唯一の生き残りであった。彼は動物園じゅうでいちばん暖かい部屋に入れられた。それは第一次大戦直後の当時では巨大なゾウガメの部屋であった。それからというもの、この不幸な鳥は一生の間ただこのぶざまな爬虫類にむかってだけ求愛し、あれほど美しいメスのクジャクの魅力にはまったく盲目となってしまったのである。衝動の対象をある特定のものに固定するこの「刷り込み」という過程には、やりなおしがきかないのだ。



    人間の場合は、その人の親がどんな人であったか、というのが「刷り込み」に相当するのでしょうか。
    自分がどんな人間の仲間で、どんな人間と付き合うかという自意識は、幼い頃に刷り込まれるものでしょう。
    幼い子供にアニメを見せて育てると、大きくなってから萌え萌え言ってるオタクに育つというのは……どうなんでしょうね。
    生まれたばかりもアヒルに、動くポケモンのおもちゃを見せたら、やはりその後をついていき、大きくなってからは、ポケモンのおもちゃに求婚するのだろうとは思いますが。
    そういう悲しい映像を見たことがあります。おもちゃの汽車の後を一生懸命ついていく、鳥のヒナが映っていました。

    ヒナが人間を親、将来の恋人と思ってしまう、この問題を回避するために、コウノトリのヒナを飼育する飼育員の人は、コウノトリの顔をした人形を腕の先に付けて、ヒナを育てます。

    コウノトリが人間に赤ちゃんを運んでくるのではなく、人間がコウノトリに運んでくる時代の小道具ですね。

    ところで、よく聞くこの「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という伝説ですが、これはドイツ(ゲルマン)辺りの神話です。ドイツの民話集である、グリム童話の第107話である「旅あるきの二人の職人」には、神様のお使いである、コウノトリのおじさんが泉から、王子の赤ちゃんをとってきて、お妃の膝の上に置く場面があります。(参考『完訳 グリム童話集 3』 岩波文庫)
    なお、ドイツの「コウノトリ」は日本の「コウノトリ」と同じ鳥ではなく、近縁種の「シュバシコウ」だそうです。

    幼い頃、「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という話だけ聞いて、「どこから」というのは聞きませんでした。
    なのでなんとなく、「天国から連れてくる」のだろうと思っていたんですが、ドイツの伝説では「赤ん坊が生まれてくる泉がある」んですね。
    ちなみに私がこの伝説を読んだ本は、『英雄誕生の神話』(オットー・ランク 人文書院)という精神分析の本でした。この本でランクは、「水がわきでる池から生まれてくるというのは、破水のイメージではないか」と分析していました。
    オーストリア人であるランクは、同じ本で「これと似た伝説は世界各地にあり、日本では鶴がその役目をする」とも書いていましたが、日本に住んで数十年、鶴が赤ん坊を運ぶ話は聞いたことありません。1909年の本なので、日本の神話や伝説はヨーロッパでは、まだあまり知られていなかったのでしょうか。少なくとも、今の日本で赤ちゃんを運んでくる鳥は? と聞かれたら、多くの人が「コウノトリ」って答える気がします。

    また幼い頃、なんで「コウノトリなのか」ということは、疑問にすら思いませんでした。コウノトリがどんな鳥かも知りませんでしたし。が、今にして思えばコウノトリが池の水にくちばしを突っ込んで、カエルや魚をくわえあげ、時にそれをくわえたまま飛ぶ姿が、「赤ちゃん運び」のイメージの元なのでしょう。

    今の日本で見る「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」イラストだと、ほぼすべてふろしきみたいなものに、包んで運んでますが、ドイツの人々が昔想像した光景は、コウノトリが裸の赤ちゃんを、そのまんまくちばしにくわえている光景だったんでしょうね。
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