『星のカービィ』という「敵を食べるゲーム」

    今回は桜井政博氏ディレクションのゲームにある「敵を食べる」システムや表現について考察する。


    他人の力は我が力

    『星のカービィ』を作った、桜井氏は新たな敵を食うゲームをつくりたいと自著に書いた。

    恐怖の対象となる敵キャラクターが、苦心して倒した結果、一転して自分の利益になるというのは、ゲームのありかたとして至極まっとうです。しかも、生物の三大欲求にある要素なのだから、これがおもしろくならないハズはない!

    「敵を食べるゲーム」ファミ通 2009年10月15日 発売号掲載 『桜井政博のゲームを作って思うこと (ファミ通Books)



    このような「敵を倒して、利用する」という要素を、まずは桜井氏ディレクションの『星のカービィ』シリーズに探る。


    1作目の『星のカービィ』では、吸いこむことで敵を倒す。また、吸って、はくことで、敵を別の敵を倒す星形弾にする。

    2作目の 『星のカービィ 夢の泉の物語』では、コピー能力が登場する。敵の能力を自分に取り込むために、敵を飲み込む。他人の長所を自分のものにする、摂取がゲームシステムになっている。参考 カウンセリングの予備知識・・防衛機制(摂取)
    夢の泉では、カービィはデデデを吸い込めないが、デデデはカービィを吸い込める。逆に、熊崎信也のカービィwiiでは、カービィはデデデを吸い込めるが、デデデはカービィを吸い込めない。桜井氏ディレクションの『大乱闘スマッシュブラザーズ for』では、お互いに相手を吸い込めるという点では、カービィはデデデと対等だ。

    3作目の『星のカービィ スーパーデラックス』では、吸い込んだ敵を自分の味方として使うヘルパーシステムが登場する。ヘルパーでは、食べることと支配することが結びつけられている。ヘルパーと食べ物をわけあう、くちうつしシステムもこのゲームから。支配した相手は守らなければいけない。

    4作目は、エアライドだが、このレースゲームについては省略。

    5作目は主人公が4人に分裂させられ、協力し合う。4人に分裂した、カービィがひとりのカービィに戻るのが、ゲームの目的のひとつだ。
    影との闘いの話の典型的な終わりは、「自分で自分を取り込む」だ。ゲームでは、『ペルソナ4』が有名だが、『ゲド戦記 影との戦い』などの文学やユングなど心理学の世界では古典的である。しかしこのゲームは影を取り込まずに終わっている。

    おおむね、カービィシリーズの1作目から3作目までは、「敵を食べる」→「敵の長所を自分のものとする」→「敵を丸ごと支配する」というように、食べた相手の活用度があがって行く感じだ。

    桜井氏は敵を食べるゲームというと、『パックマン』を思い出すかもしれないが、あれはパワーアップであり、厳密には違うというように書いている。
    パワーアップ、というのは熊崎信也氏ディレクションの『星のカービィ トリプルデラックス』のビッグバンのようなシステム。パックマンではパワーえさを食べてのパワーアップにより、これまで自分を食う敵だったモンスターを逆に食べられるようになる。パワーえさがきせきの実に、モンスターが例えばウツボに相当する。

    桜井氏が例としてあげている「敵を食べるゲーム」は『あつまれ! ピニャータ』『SPORE(スポア)』『モンスターハンター』『Fallout3』『たべモン』等。そして、『星のカービィ』だ。

    敵を食べるゲームの表現をどうするかということについて、桜井氏はこう書いている。

    ここばかりは、多少えげつないぐらいが好ましいかと。敵は凶暴なぐらいがいいし、アイコン化された肉が出るより、頭から丸かぶりがなによりで、できれば手足、頭などのパーツを個別にいただけるほうがいいかも。
     『桜井政博のゲームを作って思うこと (ファミ通Books)



    『星のカービィ』の世界では丸呑みだったが、この「敵を食べるゲーム」というコラムでは「目玉」とか部位を食うことに、桜井氏はこだわっている。

    それではこのコラムの数年後に発売された、桜井氏がシナリオをも書いたゲームから引用しよう。

    ナチュレ「魂を溶かしながら、ゆっくりゆっくりかじっていくのじゃが。
    やっかいなのは、魂をとらえた相手を支配することができるということじゃ。」
    ピット「じゃあ、パルテナさまも混沌の遣いに支配されている……?」
    (中略)
    ピット「かじられかけのパルテナさまなんて見たくないよ」
    ナチュレ「頭からまるかじりかのう。
    足からちぎるようにかのう。」
    ピット「言うなッ!」

    新・光神話 パルテナの鏡』(2012年3月22日発売)より



    なお、このパルテナの鏡では敵を倒すと肉というアイテムが落ちることがある。ただしとるとピットの体が光って体力回復という、CERO B(12歳以上対象)らしい表現である。

    これは逆に「敵に食べられる」話だが、上記のパルテナの鏡の会話文からは、この時期にも「人を少しずつ食べる」ということに桜井氏がこだわりをもっていたことがわかる。
    この会話文のもうひとつのポイントは、ヘルパーシステムのように食べることと支配することが結びついているということだ。吸血鬼的な支配だ。

    人食い鬼である父親というのは、神話によくある。
    例えば、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』という父親が子供をかじって食べる絵の元になったギリシア神話がそれだ。


    父親を倒して権力を奪ったクロノスは、自らも子供に殺されることをおそれて子供達を次々にのみ込んだ。母親のレアがゼウスを助け、成長したゼウスは父親を倒した。

    最初の『星のカービィ』の話は「食いしん坊のデデデ大王が国中の食べ物を奪ってしまった」だ。しかし、システム的には、主人公が人食い。これは、珍しい気がする。
    例えば『キン肉マン』の悪魔超人編は「人食いの敵と戦う」という話だ。正義の主人公が人を食う敵と戦って倒す話。参考 人食い
    夢の泉では、カービィと対戦したデデデの方が、相手を丸呑みにする力を持つ。ゼウスとクロノスの神話と同じ構造だ。

    ゲームの『星のカービィ』第一作の物語は、
    「さすらいの若者が、父親にあたる王を倒し、母親を手に入れる」というエディプスの世界をシンプルに表現した物語だ。乳児にとっては「母親=食べ物」だ。もう少し穏当に表現するなら「ママはまんまをくれる人」かな。参考 アニメ『星のカービィ』の中の英雄伝説のテンプレート

    『新・光神話 パルテナの鏡』のパルテナを取り戻す部分の話は、「人食いの敵から食べ物である母親を奪い返す」という話だ。


    リアルな表現の「人を食うゲーム」実現の壁

    CEROでZ指定にしなくてはいけないとか、どうであっても部位欠損はダメだとか。そういう自由度のなさに、多少の厳しさを感じることもなくはないです。
     『桜井政博のゲームを作って思うこと (ファミ通Books)



    ではここで上記引用箇所に出てくる、ゲームソフトの年齢別レーティング制度を運用・実施する機関である、特定非営利活動法人コンピュータエンターテインメントレーティング機構(略称CERO) の「表現種類及び表現度合一覧表」から引用しよう。


    1.表現種類
    <暴力表現系>
    「出血描写」「身体の分離・欠損描写」「死体描写」「殺傷」「恐怖」「対戦格闘・ケンカ描写」
    (中略)
    2.表現度合
    「直接的」であるか、「間接的」であるか。
    「肯定的」であるか、「否定的」であるか。
    「必然的」「自然的」であるか、否か。
    テーマとの関連で「主題的」か、「背景的」か。

    一般人の観点からみて不合理に嫌悪感を与えないか、反社会的ではないか、扇情的ではないか等が考慮される。



    同じくCEROの「禁止表現」のリスト から引用しよう。

    <暴力表現>
    2.極端に残虐な印象を与える身体分離・欠損表現。

    CERO倫理規定
    http://www.cero.gr.jp/regulation.html


    リアルな表現を伴う「人を食うゲーム」はこれらの条文にひっかかる。しかし「極端に残虐な印象を与える」ということでなければ、出血、欠損、死体もゲームで描くことが出来る。ただし全年齢とはいかないだろうが。
    そして“自主規制団体”のCEROの存在は、地方自治体の青少年保護育成条例と結びついている。

    (表示図書類の販売等の制限)
    第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
    一 第八条第一項第一号の東京都規則で定める基準 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
    二 第八条第一項第二号の東京都規則で定める基準 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

    東京都青少年の健全な育成に関する条例
    http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1012150001.html



    他の都道府県の例として、大阪府の有害図書類の指定の方法には、個別指定と包括指定と団体指定がある。

    ハ 殺人、傷害、暴行、動物の殺傷等の暴力的な行為を賛美し、又は扇動するような表現をするものであること 
    大阪府青少年健全育成条例
    http://www.pref.osaka.lg.jp/koseishonen/jorei/

    図書類の製作又は販売を行う者の組織する団体で、知事が指定した団体が審査し、青少年の閲覧、視聴等を不適当と認めたものは、有害図書類となります。
    大阪府青少年健全育成条例の運用
    http://www.pref.osaka.lg.jp/koseishonen/jorei/



    上記の有害図書類にCERO Z(18歳以上のみ)と表示されたゲームソフトも入る。指定されたソフトは販売が規制される。もしCEROがなければ、大阪府が大阪府青少年健全育成審議会の諮問答申を経て、ゲームを個別に指定とかいう話になってしまう。
    ちなみにこのような審議をするらしい。これはボーイズラブの例。

    審議経過(大阪府青少年健全育成審議会第2部会議事録)
    http://www.pref.osaka.lg.jp/koseishonen/jorei/gijiroku.html



    東京都と大阪府の条文を見る限り、青少年健全育成には「欠損はだめ」とまでは書いていない。しかしCEROが慎重になるのもわかる。欠損は回復不能なもの、を意味するからだ。もちろん、『キン肉マン』のミート君バラバラ事件のように、その回復を友情の奇跡として描く漫画もある。
    人は本能として自分や親しい人が暴力をふるわれることを恐れ、嫌う。そこから暴力場面に対する不快感が生じる。敵を倒す快感というのも同じく本能に基づく。だから暴力表現は、自分を被害者側とするか加害者側に置くかで違ってくる。桜井氏はその恐怖と快感の逆転の瞬間をゲームプレイ時に味合わせる、ということで「恐怖を与えてくる敵を、おいしい獲物に」というような主張をしているのだろう。

    また、行政側が暴力表現を規制する理由のひとつは、日本の法律は暴力を違法行為として処罰の対象としていることだ。違法行為の肯定や賛美は、青少年に良い影響を与えないというわけである。
    他人を殴ったり切ったりすることは、暴行罪や傷害罪。その結果相手を死に至らしめれば、傷害致死や殺人罪である。さらにその死体を食べれば、死体損壊等罪。

    ゲームの影響などたいしたことはない、という人もいるかもしれない。たしかに、今の日本の普通の環境に育った子供に、ひとつの残虐ゲームを手渡しところでたいしたことはないだろう。しかし、もし青少年健全育成条例が撤廃されれば、多くの書店や商店やレンタルショップの店頭にエログロコンテンツが目玉商品として、特にひももビニールもかけずに置かれ、希望すれば小学生にも販売されるという社会になるかもしれない。小学生が任天堂のゲームの代わりに、『ベヨネッタ』『グランセフトオート』『Fallout』を遊ぶのも自由だ。それら以上に、過激な表現のゲームも発売されるだろう。青少年をとりまく環境が一変しうるのだ。
    また、普通の青少年ばかりを受け手として想定するのは、非現実的だ。この社会には、法が暴力を禁じているにも関わらず、家族に暴力をふるわれている青少年や、同級生や下級生に暴力をふるっている青少年が数多くいるわけだから。暴力にさらされ、それに恐怖やあこがれを抱いている青少年の手に届く所に、暴力を賛美するコンテンツを置く。そうしたら、暴力をふるわれることに恐怖を深める方向であれ、攻撃者との同一化を推し進める方向であれ、影響はあるだろうな。

    ゲームで悪影響を受けるなんてことはない、というような論法は、
    「アニメを通して子供達に夢と勇気を与えたい」というような、“良い影響”を与えるから、アニメやゲームには価値があるという主張をも否定してしまう。
    アニメの企画書には「この番組のテーマ(人間も動物も愛によって生きていることの尊さを説く)」とか書いてあるものだ。参考『アニメ・シナリオ入門 (シナリオ創作研究叢書)

    アニメ『星のカービィ』も企画書には、きっと「強大な敵に立ち向かう勇気と家族愛や友情」というような“きれいごと”が書いてあったのだろう。
    ゲーム会社もこの社会と文化に貢献する良心的な企業として存在すべく、自主規制をしているのだ。
    大人同士の間柄なら「やばい作家がやばい作品を書いてやばい読者の心をとらえるのも、文化で芸術だよ」というのが原則になるのだろう。だが、現在はCERO Z(18歳以上のみ)として発売される予定のゲームからも、あまりにエログロな表現は削られる。CEROの審査を受けた“家庭用ゲーム”には、禁じられた表現というのはあるのだ。

    しかし、こういうのは時代と共に変わっていくものでもある。

    今回得られた調査結果と分析に基づけば、社会が求める倫理水準は時代の流れによって少しずつ変化していることが明らかになり、とくに性表現の領域において受容化傾向が見られます」。
    CERO「ゲーム表現の社会的認識に関する調査研究」報告書発表について
    http://www.cero.gr.jp/news/index.html


    逆に言えば暴力に関しては、この5年の間にさしたる意識の変化はないのかもしれない。


    まとめ

    桜井氏は『星のカービィ』の頃から、ゲーム内で「人を食べる」ということに関心を持っていた。それはCERO Zに至るような表現も可能なもの。「敵を食べる」でも『星のカービィ』のように、カービィがワドルディを丸呑みだったらCERO A(全年齢対象)。かわいいは健全なる正義ってことだな。
    ついでに、CEROのレーティングの対象となる表現項目を見ると〔性表現系〕●キスって書いてあるんだが、それを“くちうつし”としてCERO Aのゲームとしてヒットさせたのは桜井氏の腕前だ。
    ゲームシステムというのも、小説や漫画と同じように作り手の個人的な欲望から生まれてくる一面をもつのだろう。
    ただ、桜井氏の才能はその発想のみではなく、それを一大プロジェクトにして、大勢の人が買うようなゲームとして完成させるリーダーシップにあるだろう。
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