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    アニメ『星のカービィ』に関わったハル研究所の関係者

    今回はアニメ『星のカービィ』のスタッフロールから、「設定協力」として関わったハル研究所(HAL研)の社員と思われる人物をピックアップする。原案の桜井政博さんと音楽のアレンジ元になったサウンドチーム等は除いた。

    1話のスタッフロールより。

    企画 
     谷村 正仁(ハル研究所)

    設定協力 
     山本 洋一(ハル研究所)
     能登谷 哲也(ハル研究所)
     別府 裕介(任天堂)
     藤江 宏志(ハル研究所)

    2002年 4月6日の27話から、山本 正宣さん(ハル研究所)が設定協力として加わる。

    設定協力
     山本 洋一(ハル研究所)
     能登谷 哲也(ハル研究所)
     山本 正宣(ハル研究所)
     別府 裕介(任天堂)
     藤江 宏志(ハル研究所)


    以下、個々に紹介する。

    谷村 正仁会長

    企画の谷村 正仁さんは当時社長だった方だ。現在は会長であると企業理念のページに記されている。

    ハル研究所 企業理念
    http://www.hallab.co.jp/company/philosophy/

    そこで「いいモノを作ってカービィをブランドにしよう、お客さんがカービィを買えば安心ってイメージを作ろう」と、会社一丸となってがんばったんですよ。それが『星のカービィ夢の泉の物語』なんですけど

    谷村正仁社長(HAL研究所)突撃インタビュー
    https://www.nintendo.co.jp/nom/0003/halken/page02.html


    この姿勢は今でも貫かれているだろう。


    吉川惣司監督を選んだことについては、こう述べられている。

    前例のないことに積極的にトライされている。そのような方であれば、カービィをアニメにするときに起きるであろういろいろな難しい問題にもチャレンジしていってくださるのではないかと思ったんです。たとえばアニメでカービィはしゃべりません。

    N.O.M 2001年10月号 No.39 アニメ『星のカービィ』制作現場突撃レポート!! - 関係者が語るアニメ版カービィの魅力 加藤直次プロデューサー(CBC)、谷村正仁社長(ハル研究所)インタビュー
    https://www.nintendo.co.jp/nom/0110/miryoku/


    無難な人間は荒野を切り開くリーダーにはならないので、無茶をやってくれそうな人を選んだんだな。

    吉川監督は「他人は自分と違う」と考えていそうな人。
    これは「他人と違う自分は偉い」というのとは、違う。どちらかというと「自分は少数派だ」という孤独なもの。
    このアニメだと「宇宙の支配者であるホーリーナイトメア社、プププランドの独裁者であるデデデ大王の両者に対し、星の戦士カービィが仲間達とともに反逆する」という物語に結実する。カービィもメタナイトも原作のゲームの時点で反逆者ではあるが、アニメ版は社会や世界と戦っている感じがさらに強い。
    「環境破壊は気持ちいいぞい」とか、「あえて他人と違うことをいってやろう」という「辛辣さ」が、このアニメの好き嫌いの分かれる大きな原因だろう。

    また、アニメとゲームは分けて考えていますが、このアニメはゲームを踏まえながら進めてきましたのでゲームと重なっているところがとても多いんですよ。ですから、その重なっている部分を、もっといい形で強めあい、高めあっていきたいですね。

    N.O.M 2001年10月号 No.39 アニメ『星のカービィ』制作現場突撃レポート!! - 関係者が語るアニメ版カービィの魅力 加藤直次プロデューサー(CBC)、谷村正仁社長(ハル研究所)インタビュー
    https://www.nintendo.co.jp/nom/0110/miryoku/


    最初から監修の桜井さんの他にハル研究所だけで、3名の設定協力がいるのは、このアニメとゲームをより重ねようという、任天堂とハル研究所の意図に沿う物だろう。
    絵に関してはアニメは、当時ゲームで表現できたカービィ以上のカービィを表現していた。



    山本 洋一さん

    名前の位置から察するに、この山本洋一さんが「設定協力チーム」のトップ。

    下記の記事での肩書きは山本 洋一(ディレクター)。
    記事の日付は、1999年で、『ポケモンスナップ』の開発に三年半かかったということから、初期からのメンバーの山本洋一さんは1995年の採用ということになるのだろうか。

    「樹の上の秘密基地」 「ポケモンスナップ」の情報・産地直送!
    (山本 洋一さんは、この記事に簡単なコメントがある。)
    https://www.1101.com/nintendo/nin5/index.htm

    『大人の常識力トレーニングDS』『みんなの常識力テレビ』『立体ピクロス』のプロデューサーの一人として山本洋一さんの名は記されているそうだ。ソースは下記。

    カービィwiki 谷村正仁
    http://ja.kirby.wikia.com/wiki/%E8%B0%B7%E6%9D%91%E6%AD%A3%E4%BB%81

    他にカビコレのスタッフリストに、プロデューサー ◾ 山本 洋一とある。

    参考 カービィwiki 星のカービィ 20周年スペシャルコレクションのスタッフリスト

    わたしが、昔勤めていた会社では、"課長"や"部長"はふつうにいました。これが、ジェネラリスト。おもにマネージメントであるとか、チームや会社の運営、全体を見ることが主体です。

    桜井政博のゲームを遊んで思うこと2 (ファミ通BOOKS)』P234 

    おそらく山本 洋一さんはアニメ『星のカービィ』の時点ですでになんらかの役職についておられた方なのでは。後の肩書きを見ても、桜井さんのいうジェネラリストの道を歩んだ方なのではないかと思われる。


    能登谷 哲也さん 

    ハル研究所に所属されている、イラストレーター。
    カービィwikiによると初代カービィ(GB、1992年)のころから、カービィに関わっている。そして星のカービィ 20周年スペシャルコレクション(Wii、2012年)にもアートワークとしてお名前がある。

    ●能登谷哲也さん
    株式会社ハル研究所所属。制作進行および、パッケージやマニュアルなども担当。
    「倉恒さんと、ダイスの皆さんとの間に入るのが仕事です。ふうふう」

    「糸井重里のバス釣りNo.1 決定版!」 ~釣りに行こう~
     制作スタッフ座談会 その6 (2000-04-07の記事)
    http://www.1101.com/nintendo/nin10/nin10_9.htm


    古参のイラストレーターとして、アニメの絵を監修するために関わったのか、それとも上記引用文のように「ア・ウンエンタテインメント(アニメ制作会社)とハル研究所(ゲーム制作会社)の間に入るのが仕事」だったのだろうか。


    山本正宣さん

    「樹の上の秘密基地」 「ポケモンスナップ」の情報・産地直送!
    https://www.1101.com/nintendo/nin5/index.htm

    この1999年の記事では、肩書きは山本正宣(デザイナー)となっている。

    『毛糸のカービィ』のインタビューによると、ハル研究所のキャラクタープロデュース課に所属し、同時にワープスターという会社にも所属されている。

    社長が訊く『毛糸のカービィ』
    https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rk5j/vol1/index4.html

    このインタビューによると、外部である株式会社グッド・フィールが、カービィのゲームを作れるように、絵的なこともふくめて、世界観を指導するのが山本正宣さんの役割だったようだ。『毛糸のカービィ』での役職名はキャラクタースーパーバイザー 。
    http://www.1101.com/nintendo/nin10/nin10_9.htm

    山本

    ワープスターという会社は、
    『星のカービィ』のアニメーションをつくるときに、
    カービィのキャラクターの管理をする組織が必要ということで
    任天堂とハル研究所が出資して
    2001年に設立された会社です。

    社長が訊く『毛糸のカービィ』
    https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rk5j/vol1/index4.html


    これは単純にグッズの管理だけではなく、マンガ版やアニメ版や後に発売される小説版等の公式の二次著作物の製作者に資料を渡したり、ダメ出しをする「設定協力」もここの仕事ということなんだろうか。
    となると、「設定協力」チームは、ワープスターという会社組織だったのかもしれない。そういえば、ワープスターはあるステージから、別のステージに移動するときに使う物だったな。「ゲーム ☆→ アニメ」みたいなイメージとか?

    「マンガに新作カービィの登場人物を出してください」と要望するかどうか判断したり、その人物の姿や口調や性格や能力などの資料を用意し、ラフやシナリオをチェックするのは、カービィというブランドを守った上でのビジネスに必要なことなのだろう。

    これなら、カービィをプレイしたことのない漫画家、小説家、アニメスタッフも安心だね。
    原作に愛のない公式二次著作物って、よく非難されるけど、クリアするのに数十時間かかりそうなゲームが何本もありますって、すみずみまでは無理だろう……。

    山本

    それからもうひとつ。
    実はWiiチャンネルのなかの『Wiiの間』で
    動画配信サービスをやっているのですが、
    9月上旬にアニメ『星のカービィ』の
    100話までの全配信を終えましたので、
    そちらのほうもぜひお楽しみいただきたいと思います。

    社長が訊く『毛糸のカービィ』
    https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rk5j/vol1/index4.html


    27話からスタッフロールに名前が載るほど、関わったのだから、ここで「ぜひとも」というのも自然だな。山本 正宣さんにとっては、アニメ『星のカービィ』も優れたスタッフと協力して成し遂げた、誇るべき自分の仕事だ。

    我々が参加してきたアニメ制作を振り返り、「アニメ制作の現場の方々からなにか学べるものはないか?」との主旨から、今回の「テレビアニメシリーズ『星のカービィ』展覧会2005」は企画されました。

    『星のカービィ』展覧会2005を終えて vol.1
    2005/08/03山本正宣 (キャラクタープロデュース課)


    この展覧会は、ハル研究所の社員向けの内輪の展覧会だ。ハル研究所内の会議室を使い、アニメの資料を張り、並べ、さらに山本さん自ら質問に答えるというもの。
    ハル研究所の側にもアニメの資料が、大量に保管されているということでもある。
    プププ大全に掲載されている、アニメの資料集ってハル研究所(ワープスター)が提供したのだろうか。

    山本正宣さんは
    星のカービィ 20周年スペシャルコレクションのスタッフロールに、
    「ヒストリームービー ◾ 山本 正宣 」
    と記されているので、ハル研究所内でカービィに詳しい人という役割なのだろう。

    参考
    山本正宣 カービィwiki
    http://ja.kirby.wikia.com/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E5%AE%A3



    藤江宏志さん

    藤江宏志さんはスペシャルサンクスにしかお名前がない。
    カービィwikiの検索結果

    2000年入社という話があるので、アニメの放映時は新人のはず。まだカービィにも詳しくない時期だと思われるので、偉い人の助手的な役割だったのだろうか。

    参考 
    ものおき ロボプラを作った人達は何年に入社したのか?


    任天堂の別府裕介さん

    任天堂の別府裕介さんは2012.10.11公開の社長が訊く『Wii U』 本体 篇でこう紹介されている。このWiiの間は前述のようにカービィのアニメを放映したチャンネル。

    別府裕介=前 Wiiの間株式会社取締役社長。現 任天堂ネットワークサービス株式会社取締役社長。


    これが最新情報だろう。

    ビジネス開発本部副本部長(ビジネス開発室長)別府裕介

    日本経済新聞 人事、任天堂 (2015/9/15 11:53)
    http://www.nikkei.com/article/DGXLMSJJ60101_V10C15A9000000/





    まとめ

    アニメ『星のカービィ』には、桜井さんをふくめハル研内の大物から、新人までが関わった。おそらく原作者側に、想像以上に管理されていたアニメだったのだろう。
    原作者が漫画家や小説家の場合では「原作者に加え、原作に詳しいスタッフ4人が協力」とか、普通は無理だろうからな。
    いろいろなアニメがあるけれど、少なくともアニメ『星のカービィ』は原作者側が「好きにやってください」と言ったから、ああいうアニメになったんじゃないと思う。

    ハル研究所の側がアニメに深く関わろうとした理由は、当然ブランドの維持であり、海外もふくめた宣伝広報だ。
    でもそれだけじゃなく、アニメから技術を学ぼうとしていたんじゃなかろうか。
    3DCGのキャラクターをいかにかわいらしく動かすか。印象的な場面はいかにつくるか。シナリオでキャラを立てたり、感動させたり、笑わせたりするのはどうするか。
    アニメの『星のカービィ』の主要なキャラクターは、わざわざ当時珍しかった3DCGで作られている。もちろん、映画の世界では2001年には、ピクサーの『モンスターズ・インク』が公開されているのだけれど。

    NINTENDO 64から、ゲームキューブへの移行期。これからのゲームは動きもより細かくでき、シナリオも長くできるという、当然の予想がハル研究所にもあったろう。

    ハードの進歩によって、リアルなゲームは実写映画に、ギャルゲーは2Dアニメに、カービィのようなゲームはピクサーのような3Dアニメに、絵や動きが近づいていく。それは自然に近づいていったんじゃなくて、ゲームスタッフが映画館やビデオレンタルショップに通って、近づけていった。ゲーム会社に元アニメーターが採用されることも、珍しくなかった。

    『大乱闘 スマッシュブラザーズfor』のデデデは、アニメ後期のデデデの体型と仕草、表情をどれだけ受け継いでいることか。最初からアニメでも桜井さんの脳内のイメージ通りのキャラクターを作ってもらうつもりだったか、アニメでいいものができたら逆輸入するつもりだったんではなかろうか。
    もはや、「アニメに似ていた方が、アニメから入った人の違和感がない」という理由で似せるメリットは少ない。

    「ゲームとアニメは違う物ですが、今後アニメの長所はゲームに積極的に取り入れていきたい」と堂々と言えて、それが歓迎される状況にあれば、ハル研究所と任天堂にとって、アニメはもっと効率の良い投資だったろう。

    山本正宣さんはその方向性で、試みた人なのだろう。アニメが覚えられているうちなら、新規客層も開拓できる。常連には今までのカービィと違うという違和感もあっただろうが、カービィシリーズのコンセプトは「初心者向け」なのだ。アニメを見た人が初心者として、ゲームのカービィを手にとってこそ、アニメに多大な予算をかけた価値があるというもの。

    ここで『星のカービィ 鏡の大迷宮』と『星のカービィ 参上! ドロッチェ団』の開発に携わったフラグシップの話をしよう。

    株式会社フラグシップは、かつて存在したコンピューターゲーム開発会社であり、カプコンに所属していたゲームクリエイターの岡本吉起によって設立された。参考 ウィキペディア フラグシップ
    この特撮などの脚本を書いてきた脚本家が多く所属する、フラグシップ設立の狙いのひとつは「ゲーム用の脚本家を確保する」というものだったはずだ。実際、フラグシップはカプコンのゲームのシナリオを書いたり、ノベライズを担当した。

    この当時のハル研究所が発表していた作品の中で、いちばん物語があるのって、『星のカービィ スーパーデラックス』かな? という時代だ。
    いかにゲームのシナリオを向上させるか、という悩みはハル研究所のみならず、ゲーム業界全体にあっただろう。

    そして時は流れ、ゲームのシナリオライターがアニメ脚本家になるという、『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄さんのようなケースも登場した。

    現在のところ、ハル研究所はカービィシリーズ以外では、「1クールのアニメのような美しさと感動的なシナリオ」を目指すよりも「ゲームのおもしろさ」で勝負する方向にいっているのではなかろうか。ハコボーイ立体ピクロス2のように。



    あとがき 
    ゲームやアニメに関わる人というと、やはりクリエイターを想像しがちですが、今回は結果として「外部とのとりもち」や「まとめ役」といった方にスポットがあたりました。なにぶんにもご存命の人物に関わる話ですので、明らかな事実誤認などはお知らせください。
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    タグ : アニカビ

    アニメのカービィやデデデのしゃべりを台本から考察

    アニメ『星のカービィ』の台本を入手した。といっても、第46話 「真夏の夜のユーレイ! 後編」(脚本 国沢真理子)の一話のみ。

    それによると、カービィは「ぽよ」と「ポヨ!」が混在。
    デデデ大王の語尾は「みたいだぞい」と「ぞい」がひらがなで統一。
    エスカルゴンの語尾は「墓場でゲスか~」と「ひどいでげす~」と「ゲス」の部分がひらがなカタカナ混在。「へいか」と「陛下」が混在。
    メタナイトは台本でも普通にしゃべっていた。

    ここで、脚本と台本の違いを簡単に説明しよう。
    アニメの脚本はまず、絵コンテになおされる。その絵コンテを元にアフレコ台本は作られる。キャラクターの台詞は、脚本から絵コンテ、台本へと転写されていく。
    脚本が一字一句そのまま台本になるわけではない、アニカビ第49話 「アニメ新番組星のデデデ」は、フームが書いた脚本がプロデューサーであるデデデ大王の意向により、監督であるエスカルゴンに書き換えられるという話だった。こういうことがあると、脚本と台本にずれができる。
    台本になった段階でも、さらに修正が入ることもある。
    わたしが入手した、第46話 「真夏の夜のユーレイ! 後編」の台本も、実際にできたアニメとは違う場面が入っていた。詳しくは「国沢真理子さん脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察」で。

    アニメの脚本はト書きが多めだが、戯曲の延長にある。しかし、アニメの台本はカット割りやキャラクターの動作など、言葉による映像の説明が多い。
    脚本はもちろん、台本も通常表にでないものだが、古本屋やネットオークションなどで売買されている。有名映画などでは、30万円という開始値の台本もある。
    ヤフオク! すべてのカテゴリ > 映画、ビデオ > 映画関連グッズ > 台本

    わたしが見たことがあるアニメの脚本は、『アニメ・シナリオ入門』鳥海尽三に収録されたものしかない。でも、演劇の台本と比べて、台詞にカタカナが多い印象がある。

    「ウン……」
    「うん」
    「うむッ」
    肯定のうんにしても、ウンは軽いが、曖昧さを秘めています。「うむッ」となれば、意思の強さを表しています。声優は文字によって感情を表現してくれるでしょう。
    『アニメ・シナリオ入門 』(シナリオ創作研究叢書)


    同じ言葉でも、状況や文脈を参考に、声優に違う演技してくれってつもりで、アニメ脚本というのは書き分けるものだということだよね。
    例えば、これ全部同じ台本から抜き出した台詞だ。
    「ポヨ!」
    「ポヨ~」
    「ぽよぉ~」
    「ぽょぽょ~」
    「ぽよ~」

    台本を書く側も大変だが、声優も大変だな。でもベテラン声優なら、きっとなんとかしてくれる。

    つまり、こういうことだろうか。

    カービィは主役なのに言葉をしゃべらないから、ぽよですべてを表現するポヨ!
    デデデの台詞は、まるみをおびた感じで読むんだぞい。
    エスカルゴンの台詞は時々、視聴者の耳にひっかかる感じに読むでゲスよ。

    アニメの脚本というのは、小説とはまた違う意図で台詞が書かれているのだ。
    台本を見ると二次創作小説とかで、デデデ大王の語尾を「ゾイ」にするのは、おかしいZOYということになるが、まあ、あまり気にしなくていいのでは。
    逆に小説や考察で登場人物の台詞を、台本並にカタカナひらがな混在で感情表現したら、うるさいかもしれない。

    おまけ

    この人の語尾もひらがなの「ぞい」。

    タグ : アニカビ

    エスカルゴンの衣装のリストと解説

    カタツムリながら、いろいろな衣装を着ているエスカルゴンの服と小道具について考察。

    100話分のデータと衣装の解説

    縦に長くなるので、特になにもない回のタイトルと話数は省いた。聞き慣れない言葉などはウィキペディアなどにリンク。

    1話 「出た! ピンクの訪問者 」 エスカルゴンのもっている槍の金属部分が、ワドルディと違って金色。上官専用の槍?
    6話 「見るぞい! チャンネルDDD 」 テレビクルーとして、ヘッドセット(マイク付ヘッドホン)をつけている。ドラマの絵として、ナースキャップをかぶっている。デデデは白衣。CMではゴキブリの姿に。特撮用に、ウミウシ大魔獣の着ぐるみ。
    8話 「キュリオ氏の古代プププ文明 」 儀式の際に、小さめの赤い蝶ネクタイをしている。
    9話 「ロロロとラララ愛のメロディ」 デデデの体に首がくっつく。エスデ、デデカルゴンとプププ大全には記されている。デデデの空想の中で、雄と雌にわかれている。雌の方はあごひげがなく、まつげがながい。
    13話 「ププビレッジ年忘れ花火大会」 エスカルゴンの山車は、モルタルボードをかぶった学者風。
    15話 「誕生? カービィのおとうと」 コック帽をかぶってデデデに給仕をしている。他には網を持っている。
    17話 「パームとメームの指輪物語」 ハンカチで涙をふいている。
    19話 「ナックルジョーがやって来た!」 服はきていないが、キャディ役らしく、ゴルフをするデデデのそばでたくさんのハンマーを持っている。
    20話 「さよなら、雪だるまチリー」 寒くなったので、デデデは緑のマフラー、エスカルゴンは赤のマフラーをしている。エスカルゴンのマフラーは先に白いぽんぽんがついていて、デデデの帽子みたい。デデデのマフラーは背中と同じ紋章入り。
    21話 「王女ローナの休日」 ミュージカル風の舞台で、王女ローナの衣装。緑のアイシャドウに赤い口紅。殻を覆うスカート。ベールをひげにとめている。
    24話 「ニンジャ、ベニカゲ参上!」 デデデと一緒に茶色い忍者装束。壁にはりつけないのは、服で足をおおっているから?
    25話 「エスカルゴン、まぶたの母」 回想シーンでは寅さんスタイル。エスカルゴンが大王のふりをする時は、冠にたすき。あのたすきの正式名称は、大綬というそうだ。
    太い帯 (Sash) を肩から襷掛けし、腰の部分に勲章を付ける。一般的には一等級の勲章がこの形式である。
    31話 「ビバ! デデベガスへようこそ」 ヘッドセットをしている。エスカルゴンの山車は、モルタルボードをかぶった学者風。
    34話 「究極鉄人、コックオオサカ」 ヘッドセットをしている。カービィの幻覚でレモンをのせた丸焼きになっている。
    37話  「お昼のデデデワイドをつぶせ! 」 ヘッドセット。
    38話 「読むぞい! 驚異のミリオンセラー」 テレビのコントの衣装。1950年代風の帽子とスカートに、赤い口紅、青いアイシャドウ、つけまつげと濃い化粧。この帽子は俗に「女優帽」という。ウサギピエロのデデデにたたかれている。



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    後半は魔術学校風の校長スタイルのデデデとお揃いの教頭スタイル。アカデミックドレスという。
    手には教鞭。でも効果音が鞭の音じゃないので、指し棒か。
    42話 「メーベルの大予言! 後編」 中折れハットとかツマミ型と呼ばれる帽子に、トランクの寅さんスタイル。

    44話 「ウィスピーウッズの友アコル」 顔に絆創膏を二枚はっている。
    45話 「 真夏の夜のユーレイ! 前編 」 お化けの仮装。頭だけ脱ぐ場面がある。
    46話 「真夏の夜のユーレイ! 後編」 赤絵の具をかぶる。
    47話 「帰れ、愛しのワドルディ」 ペンとノートを持っている。
    48話 「プププランド観光ツアー」バスガイドの制服。デデデマークのついた帽子と上着に白い手袋。笛を首からさげている。代理でバスガイド役をつとめたフームも同じ服を着る。
    49話 「アニメ新番組星のデデデ」 アニメを作る回なので、ベレー帽をかぶっての監督役。きれいなエスカルゴンはこの回。
    51話 「センチメンタル・カービィ」 パーティ用の三角帽。デデデとお揃い。
    53話 「悪魔のチョコカプセル! 後編」 相撲対決の際、行司の格好をしている。袴は殻の部分に穴が開いた袋状と思われる。歩きにくそう。
    55話 「ある愛のデデデ」 バラの花束を抱えているが、特に衣装はなし。
    57話 「パイを笑う者はパイに泣くぞい!」 料理番組の司会として、ハートマークのついたヘッドドレスとエプロン。
    58話 「魔獣教師でお仕置きよ!」 魔術学校風の校長スタイルのデデデとお揃いの教頭スタイル。
    59話 「最強番組直撃! 晩ごはん」 冒頭でハートのエプロンで給仕をしている。赤い蝶ネクタイの司会スタイル。
    61話 「肥惨! スナックジャンキー」第38話のコントの再放送で、女装。
    62話 「たかが占いされど占い」 赤い蝶ネクタイの司会スタイル。寅さんスタイル。
    64話 「新春! カービィ・クイズショー」 紅白市松の蝶ネクタイで司会。
    66話 「さまよえるペンギー」 20話と同じマフラー。隊長は耳マフラー。
    69話 「ウィスピーの森のエコツアー」 レザーのショルダーバッグをつけている。
    72話 「ワドルディ売ります」 ワドルディのテレビCMで、シルクハットをかぶって紳士風に。
    73話 「まわれ! 回転寿司」 赤い蝶ネクタイで、テレビで公営企業の宣伝。
    74話 「モスガバーの逆襲!」 花粉症でマスク。
    77話 「ロイヤルアカデデデミー」 デデデに変な絵に描かれる。
    78話 「発進! エスカルゴン・ロボ」 ロボのふりをする。今回はデデデもエスカルゴンも包帯を巻く。後半だと、綾波レイのように包帯でぐるぐるまき。
    79話 「ボンカースあらわる!」 ハートのエプロンで給仕をしている。デデデとぺらぺらになっている。
    80話 「 強壮! ドリンク狂想曲 」デデデがボクシングの練習をしているので、上着に蝶ネクタイのレフェリー姿。
    81話 「ドキッ! かたづけられない女」 赤い蝶ネクタイで司会。
    82話 「合体ロボリョウリガーZ!」 青い大きめの蝶ネクタイで司会。
    83話 「魔獣教師3」 回想場面で、教頭姿。
    85話 「まぼろしの紫外線!」 19世紀頃にイギリスなどで流行った、キャプリン(キャペリン)といわれるつばの広い帽子をかぶり、ボンネットのようにあごの下でリボンを結ぶことによって、風で飛ばされないようにしている。
    同じような帽子が、ホームズの小説の挿絵に登場するそうだ。
    キャプリン型 つばが平らで広いので日よけ帽としても使われ、華やかに飾られたものが多い。
    2.ホームズ物語に出てくる主な登場人物の服装(←このページの一番最初の画像がよく似ている)
    吉川惣司監督はアニメ『星のカービィ』制作当時、メアリーアニングという19世紀の英国人女性に関する本を書いている。この『メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋 (朝日選書)』の中に同じような帽子をかぶった13歳の少女の絵が掲載されている。添えられた文章はこうだ。
    アーサー・ミーの『子供百科事典』(1925)に掲載されたメアリー発見の場面。"スクール・ガール"の彼女の服装はまったく20世紀的である。
    だから、「いつの時代にどういう女性がかぶった帽子か」を知っていてエスカルゴンにかぶせている。なぜフームにかぶせなかったんだろう。古風だから?
    参考 ボンネットをかぶった、メアリーアニング
    86話 「弟子対決! コックナゴヤ」 司会として、大きめの赤い蝶ネクタイをつけている。
    87話 「襲撃! カラスの勝手軍団」ゴミの悪臭をふせぐために、デデデとおそろいでマスクをしている。チャンネルDDDのリポーターとして大きめの赤い蝶ネクタイをつけている。
    88話 「はだかのエスカルゴン」ヴィーナスの誕生風のエスカルゴンをデデデが想像する。背中にたらいを背負う。羊の毛をのせる。つぼを背負う。サザエの殻を背負う。さらに頭に消化器の泡をかぶってサザエさん風になる。金属製の殻を背負う。魔獣化して、マイマイゴンになる。




    考察

    一番出番が多い衣装は、蝶ネクタイ。通常は赤。他は実用品として、ヘッドセット。
    寅さんスタイルは3回登場したが、いずれも国沢脚本回。
    マフラーやパーティ帽子、忍び装束、アカデミックドレスと、デデデとお揃いの衣装のことが多い。

    女装自体は6話のナースキャップからあるんだが、この6話はデデデも女装している。
    次は21話のローナの仮装。この話は男装の麗人の回だから、対比でもあろう。
    その次は、38話のテレビのコントの女装。48話のバスガイド。
    57話は番組内で、ハートのエプロン。

    日常で女装しているのは、59話や79話のハートのエプロンだろうな。15話ではコック帽姿だったのに。
    他は85話の日よけ帽子ぐらいか。これはデデデがそれはなんぞいみたいな反応なので、私物なのだろう。

    脚本家ごとに考えるなら、こうかな。
    国沢回のエスカルゴンは寅さん。
    あんのうん回はコスプレエプロン
    野添回は舞台衣装っぽい女装。
    吉川回はクラシカル。

    エスカルゴンは普段は衣服らしいものを身につける習慣がない種族なので、ある意味、何を着ても「衣装」である。
    ただ、女性代わりも含め、様々な役割をこなす仕事に就いているので、何を着てもおかしくない。もし、ある日デデデ大王が
    「伝統文化ぞい! 和服ぞい!」とか言い出せば、エスカルゴンは和服を着るだろうし、
    「おしゃれなカフェを経営ぞい!」とか言い出せば、ウェイトレスの制服だろうし、
    「観光客を増やすため、海辺に美しい結婚式場を建てるぞい」とか言い出せば……パーティーコンパニオンだな。

    エスカルゴンの私服は古風な帽子のみらしいが、男女どっちもありのようだ。

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    あんのうんさん脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察

    今回はあんの うんさん脚本回のデデデとエスカルゴンについて語ります。

    このペンネームの区切りからするとあんのさんって書くべきなのかもしれないが、このブログの文章では、あんのうんさんで統一。
    名前の意味は"unknown"(不明な)だろう。この明らかに伏せてあると思われるペンネームの、脚本家の正体はわからない。
    wikipediaには、ベテラン脚本家Hさんの変名であると書いてあるが、その根拠が不明。
    (これについて、なんらかの公式発表を知っている方はコメントください)
    新人がメインを張るとは思えないので、ベテランの変名ではあるだろうが。
    もし、人違いだったら、あんのうんさんとHさんの双方に失礼だろう。
    だから、このブログでは「正体不明な人」という扱いで通す。


    アニメ版『星のカービィ』で、あんのうんさんが担当した回は、以下の16話。

    第33話 え〜っ! 宇宙のゴミ捨て場
    第37話 お昼のデデデワイドをつぶせ!
    第39話 忘却のエスカルゴン
    第43話 ヒツジたちの反逆
    第50話 貯めるぞい! のろいの貯金箱
    第51話 センチメンタル・カービィ
    第55話 ある愛のデデデ
    第57話 パイを笑う者はパイに泣くぞい!
    第63話 師走のカゼはつらいぞい!
    第68話 勝ち抜け! デリバリー時代
    第70話 トッコリ卿の伝説
    第78話 発進! エスカルゴン・ロボ
    第79話 ボンカースあらわる!
    第86話 弟子対決! コックナゴヤ
    第88話 はだかのエスカルゴン
    第95話 デビル・カービィ!

    途中から参加して、最後まで活躍した脚本家。
    また、参加してすぐにエスカルゴンの担当者になり、最後までつとめた。

    脚本の特徴

    暴力と虐待
    メタナイトに拷問されるエスカルゴン、エスカルゴンにハンマーで殴り倒されるデデデ、デデデに酷使されるエスカルゴン、デデデに暴力で裸にされかかるエスカルゴン。デビル・カービィに襲われて自分もデビルになってカービィを殴りまくるデデデ。

    憑依
    また、悪魔憑き(憑依)の話が、この人の担当回に多い。第39話 忘却のエスカルゴン、第43話 ヒツジたちの反逆 、第55話 ある愛のデデデ、第63話 師走のカゼはつらいぞい!、第79話 ボンカースあらわる!、第88話 はだかのエスカルゴン、第95話 デビル・カービィ! がそれだ。

    人を食った話
    それと「食うか食われるか」の話が多い。第43話 ヒツジたちの反逆(羊がデデデの夕食にされかかる)、 第50話 貯めるぞい! のろいの貯金箱(デデデがカービィに吸い込まれる)、第57話 パイを笑う者はパイに泣くぞい! (カービィ、デデデ、エスカルゴンの三名が魔獣に飲み込まれる)、第63話 師走のカゼはつらいぞい!(デデデがカービィを飲み込む)、第70話 トッコリ卿の伝説 (デデデとエスカルゴンがサメに追い回される)、第88話 はだかのエスカルゴン (マイマイゴンがカービィを食べようとする)、第95話 デビル・カービィ! (デデデが大蛇にのまれる)。
    もちろん、デリバリー回やコックナゴヤ回のような、普通の食べ物回もある。


    原作の『星のカービィ』を「敵を食べまくり、殴り倒し、何かに憑依された相手を倒したりするゲーム」だと解釈するなら、これで間違っていないような気もする。


    あんのうん脚本回のデデデとエスカルゴンの特徴

    あんのうん回の両者の特徴は「きれい好き」ってことだろうか。
    第33話ではエスカルゴンはゴミで汚れたデデデをお風呂に入れようとするし、装甲車もワドルディにきれいに洗えと命令する。デデデはお風呂に入った後、香水までつける。
    第39話では、エスカルゴンは朝起きて丁寧に身繕いをし、デデデの謁見室の掃除をしている。はたきは日本にしかない掃除用具なので、海外展開を考えたら布で椅子を拭くべきだったかも。
    第55話では、とりつかれた状態とはいえ、デデデがモップで掃除をする。
    第78話はエスカルゴンが掃除を言いつけられる話だ。

    言動からするに、あんのうんデデデもあんのうんエスカルゴンも、それほど臆病じゃない気がする。
    例えば第51話「センチメンタルカービィ」の時に、自ら花火として打ち上げられている。周囲の解説を信じるなら、そうなる。脚本としてはカービィに対する彼らの好意というものを表現したかったのだろうけど、すごい勇気だよね。なんかの手違いだろうか。
    もっとも原作のゲームでは、大砲は普通にカービィの移動手段だ。アニメ以降の作品だが、トリプルデラックスでも、デデデはカービィの背中に隠れようとするような臆病者ながら、大砲には平然と入る。
    51話の描写については後に第64話 「新春! カービィ・クイズショー」で、吉川監督が花火として打ち上げられる時に、「やめるぞい」と怯えまくるデデデとエスカルゴンを長く描写していたから、視聴者にはそっちの印象の方が強いかな。


    あんのうん回のデデデとエスカルゴンの関係

    デデデの暴力と接触場面のリストに付属する考察でも書いたが、あんのうん脚本ではデデデは明確に虐待者。吉川脚本だとデデデは殴りまくりだけど、手をとりあって喜んだり、もぎゅっと抱き合える仲でもある。吉川脚本はもちろん国沢脚本も、両者がべたべたしているのは「自立心皆無の幼児性の発露(ひとりがいや)」で、説明はつく。しかし、あんのうん脚本だとそういういちゃつきが少ない。

    あんのうん脚本だとそういう癒やす役割は、カービィが引き受けている。忘却のエスカルゴンでは、エスカルゴンがカービィをぎゅーっと抱きしめる場面がある。エスカルゴンロボの最後の場面では、カービィとエスカルゴンが添い寝している。

    これが吉川デデデなら、自分の目の前でエスカルゴンが誰かと添い寝していたら、即座にどっちかを殴りそうだな。

    たぶん、脚本家の年齢と関連しているのだろうが、あんのうん脚本の方が、吉川脚本よりデデデとエスカルゴンの関係が若い。吉川脚本だとお互いに相手を自分のものだと思っているコンビの関係が、すでに成立していて、始終ふれあうことでそれを確認しつつ、相手の浮気に目を光らせているような状態。非対称な関係なので、エスカルゴンは自分をデデデのものだと思っている、と言ってもいい。

    片思い路線のあんのうん脚本だと、デデデはまだエスカルゴンのものじゃないし、エスカルゴンはまだデデデのものじゃない。
    まあ、ことあるごとに殴られまくり、抱きしめられまくりの吉川エスカルゴンでも「性的な意味では」、たぶん吉川デデデのものじゃなかろうが、本人達はそこを問題にしていないよな。

    しかし、あんのうん脚本は「まだ」を前提にした、相手の全てをものにしたい、していたい、という欲深い愛が、相手に対する虐待につながっていく展開。
    「ああ この快感 もう陛下は私のモノ! 今までの借り千倍にして返してやる!」(ハンマーで殴り倒す)第55話
    「掃除なんてワドルディ達にやらせればいいでげしょうが」「わしはおまえにやってほしいぞい」(失敗したら、ハンマーで叩く)第78話
    「(裸を)見せろ」「やだーっ」(すでにハンマーで叩いている)第88話

    あんのうん脚本だとデデデは鬼。エスカルゴンは主に犠牲者で奉仕するお世話係だが、ややヒステリックできつい性格。デデデを長台詞で罵倒しまくるし、拒否もする。

    あんのうん脚本の第55話「ある愛のデデデ」の回の冒頭の歌はこれ。
    「いつでも トゲトゲイライラ鬼のデーデデ でも本当は辛いよ エースカルゴン 笑って失敗ごーまかし 責任おーしつけ ほんと 自分勝手 でも愛してるよ 陛下♪(チュッ)」
    「悪魔! 鬼! 人でなし! デブ! サディスト!」という、エスカルゴンのデデデに対する罵倒もこの人の担当である第88話「はだかのエスカルゴン」の回。
    「陛下なんぞ セコいただのお人好しなチンピラ 能天気なボウフラ アホ丸出しの風船オヤジで」の第95話「デビル・カービィ!」もあんのうん脚本回。
    最初の方はひとりで愚痴っているだけだが、だんだんと面と向かっての言葉責めになっていくのは、吉川脚本と同じ流れだけど、こっちの方が長台詞だな。

    デデデが鬼のせいか、あんのうん脚本のカービィはエスカルゴンに、天使のように優しい。おそらくあんのうんさんの脚本は「カービィ→エスカルゴン→デデデ」みたいな関係を想定している。カービィはエスカルゴンを心配し、エスカルゴンはデデデを心配し、デデデは自分の心配をしている。
    さらに書き足すなら「フーム→カービィ→エスカルゴン→デデデ」かな。
    「忘却のエスカルゴン」も「はだかのエスカルゴン」も、優しいカービィがかわいそうなエスカルゴンを助ける話だ。そうして助けてあげても、エスカルゴンは乱暴なデデデを選び続ける。
    「発進! エスカルゴン・ロボ」には、デデデに「カービィを倒せ」と言われて、エスカルゴンが従う場面がある。デデデはカービィをいじめるだけが目的じゃなくて、エスカルゴンに自分の方を選ばせているのでは。それに従うエスカルゴンはデデデのために、デデデ以外の人物とのつながりを、自ら切っていっていることになるな。
    「デビル・カービィ!」なんて「陛下を助けて」だから、カービィは最初からエスカルゴンに振られている。それでも助けてあげるし、許してあげるあんのうんカービィはヒーローだ。
    普通は、ゲーム『毛糸のカービィ』のフラッフのように化け物から助けてあげたら、それで友情だか愛情が芽生えて味方になるんだが。

    でも、エスカルゴンがデデデを捨ててカービィの味方になったところで、みんなに好かれているカービィにはお友達がたくさんいるので、カービィチーム内でのエスカルゴンの順位は十位以下じゃなかろうか。
    だけど、みんなに嫌われているデデデと一緒にいれば、孤独なデデデの一番でいられる。孤独を恐れるなら、後者を選ぶよな。


    憑依(解離性障害)

    前述したように、あんのうん回には憑依回が多い。
    そして、憑依(魔獣出現)と関連するのが、苦痛や恐怖をともなう、一方的な暴力。
    簡単にいえば「ひどい目にあって、魔物化する話」が多い。
    吉川監督の憑依回は、催眠や洗脳に近いので、「あやつろうとする側の意思」の問題が大きく、あやつられる側の心理的状態は関係ない。
    吉川監督はそっちの方向には考えてなさそうだったので、アニメ『星のカービィ』のデデデのトラウマについての考察 (前編)の方では触れなかったが、憑依体質(解離性同一性障害)と聞いて、詳しい人がまず思うことは「誰かに性的な虐待をされたのか」だ。軍隊帰りや交通事故等、他の要因が明確な場合は別にして。
    性別は関係ない。『24人のビリー・ミリガン〔新版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』のビリーは男性だが、義父に性的虐待をされたと主張している。なお、義父は否定している。

    55話ではエスカルゴンが「陛下はもう私のモノ!」と言って、ハンマーで殴りまくる。デデデの体から魔獣が出てきて暴れ回るのは、その直後。
    88話の「はだかのエスカルゴン」では、デデデに殻を壊され、「見せろ」と執拗に追い回されたエスカルゴンが、魔獣化する。
    これらが性的な意味合いのある攻撃だと思わない方は、どうぞ、そのままのあなたでいてください。
    この二話に関しては「性的な侵害行為」と「憑依(解離)」が関連づけられている。
    それは医学的にも物語的にも「常識」といえば、「常識」ではある。
    ただ、バカもカゼをひく-『星のカービィ』63話を免疫学的に考察で書いたように、あんのうんさんには精神医学的常識はあまりなさそうなので、マンガやアニメによくある表現ということになるのだろうか。



    主な担当回についてあれこれ

    あんのうん脚本は作品によって、デデデとエスカルゴンの距離感がばらばら。この脚本家独自の物語をすすめているというより、他の脚本家の話を受けたような話が多い気がする。後から入った人でもあるし、アニメは集団作業だから、他の脚本家に合わせているのだろう。
    ストーリーは典型に沿っていないものが多く、発想で勝負している。この人は「勧善懲悪」があまり好きでないのかもしれない。第39話「忘却のエスカルゴン」や第50話「貯めるぞい! のろいの貯金箱」第63話「師走のカゼはつらいぞい!」のような、この後どうなったみたいな終わり方もいくつかある。ホラーやギャグアニメなら、こういう投げっぱなしも普通ではあろう。


    第33話 「え〜っ! 宇宙のゴミ捨て場」

    あんのうんさんの最初の担当回、第33話 「え〜っ! 宇宙のゴミ捨て場」は国沢脚本の両者の関係の延長で、間抜けでわがままなお子様デデデと、がまんして面倒を見るエスカルゴン。ただし、ゴミの山から引きずり出す、という微妙な表現ながら「エスカルゴンがデデデを助ける(補佐という意味ではなく)」という描写は、この回が初かもしれない。
    他には国沢脚本の12話で、怯えるデデデをエスカルゴンがゆすっている位で、これ、話のオチとしてはおどかしているのはエスカルゴン本人なんだよね。

    逆に「デデデがエスカルゴンを助ける」は吉川脚本の1話からある。吉川脚本の第41話 メーベルの大予言! (前編) にも、一瞬だがデデデがエスカルゴンをかばっている仕草がある。
    エスカルゴンがデデデを助ける、あるいはかばう、もそれらしきものがこの第33話以降の吉川回の第77話と第99話にあった。他の脚本家なら脚本段階にはない仕草が、完成した絵に入っていることもあるかもしれないが、監督回は別である。ボトムズでは吉川脚本回は、「悪役側の部下が上司を助けることの多い回」だった。
    野添脚本のデデデに、エスカルゴンを助けるような仕草はない。エスカルゴン側も第65話の助け起こしぐらい。これをカウントするなら、吉川脚本の第41話の助け起こしもカウントしないといけない。
    山口脚本の第56話だと仲むつまじく助け合っている。
    国沢脚本だとエスカルゴンがデデデを助けようとしている場面があるが、逆はない。第76話のエスカルゴンを見捨てようとしていた国沢デデデは、割と本気だったのかも。
    あんのうん脚本だと、「悪魔よ 去れ!」の第88話、「陛下を助けて」の第95話と、結局助けるのはカービィだとしても、お互い相手を失いたくはないんだよね。この回にその片鱗が見て取れる、のかもしれない。


    第39話「忘却のエスカルゴン」

    自分を殴る相手に居場所を求めてしがみつくという、吉川監督が定めた関係を突き詰めた話である。
    「殴られても、一緒にいたい」「殴っているが、一緒にいろ」という両者の関係を単なる日常ではなく、エスカルゴン側の意志的な選択にした。
    「喧嘩もするけど、一緒にいたい」という物語自体は、吉川監督が脚本の5話目の「一緒にいくぞい」「そうするでげす」ですでに存在する。

    だが、この当時は国沢エスカルゴンが、とても反抗的な時期だった。
    第32話 「歯なしにならないハナシ」(脚本 国沢真理子)のエスカルゴンはハンマーでデデデを追い回している。
    この回の前の回である、第38話 「読むぞい! 驚異のミリオンセラー」(脚本 吉川惣司)でもエスカルゴンはデデデに意地悪である。
    国沢脚本が12話や32話など「いつも一緒。でも恨んでる」という方向性だったので、視聴者から見て、あんのうん脚本は流れを変えているだろう。
    国沢エスカルゴンがデデデに落ちるのは、第42話 「メーベルの大予言! (後編) 」で、シリーズ全体としてはこの回の流れを受ける形になっている。

    記憶喪失が、漫画やアニメでよくあるパターンになる理由のひとつは、昨日までの両思いがいきなり片思いになるからだ。
    エスカルゴンはデデデと知り合い全てに忘れられ、元の関係に戻るためならば、どんな苦痛にも耐えようと決意する。
    そこまでして戻りたい関係が、「なぜ自分と一緒にいないで、他の連中と遊んでいるんだ」という理由で、殴られる関係なのだが。
    エスカルゴンは、一緒にこい、とデデデに手首をつかまれて、引きずられながら「これでいいんでげすよ」とつぶやく。
    苦痛をともなう愛でも、無視される孤独よりはいい、という選択がここにある。

    記憶喪失もの自体は珍しい話ではない。自分が誰だったか忘れるという病気は実在しているからだ。病名は解離性健忘。
    しかし、この話のように「自分以外記憶喪失」というのは珍しいだろう。
    先行するひかわ博一先生のまんがに「デデデが記憶喪失のカービィに、おまえは自分の家来だと嘘を教える」という話があるので、同じ話は書けなかったのかもしれない。
    つまり記憶喪失になったデデデにエスカルゴンが「陛下……わたしのことおもいだしてほしいでげす」と言ったり、「実はあなたはわたしの召使いだったんでげすよ」とだましたりする話を考えたが、かぶっていることに気がついて、強引に反転とか。

    なお、カービィがみんなに無視されていると哀しむ「センチメンタルカービィ」も、デデデのたくらみで、周囲全てがカービィの敵にまわりかける第37話「お昼のデデデワイドをつぶせ! 」も、あんのうん脚本。


    第55話「ある愛のデデデ」

    シリーズ前半の国沢脚本にあった「いつも一緒。でも恨んでる」は、あんのうん脚本だと「ある愛のデデデ」の回だ。しかし、国沢脚本回だとエスカルゴンの復讐はそれなりに成立するのだが、この回では成立しない。シリーズ全体の流れではこの回が、おそらく最後のエスカルゴンがデデデに復讐を試みる回になる。第72話「ワドルディ売ります」のデデデを見捨てる野添エスカルゴンは、たぶん復讐じゃない。考えようによっては、殴るよりきついお仕置きだけど。
    「ある愛のデデデ」の回のエスカルゴンは主従関係を逆転しようとするが、すぐに倍返しされる。千倍返し発言は「マゾヒストなんて本当はいない。サディストを演じるのが、自分か相手かの違いがあるだけだ」という、どこかで読んだ文章を思い出す。
    デデデと一緒になって、楽しそうに悪事を働く普段のエスカルゴンは、一人では何もできないが、陛下となら何でもやっちゃう、臆病なサディストだ。

    「陛下になぐられるのは 爽快でげす」発言については、二通りの解釈が可能。
    「陛下が自分の好きな、いつもの陛下に戻って安心したでげす」と、苦痛になれて脳内麻薬が出るようになっている、の二通りだ。

    さまざまなストレスにおいて脳内麻薬(エンドルフィンその他)が分泌されることがわかっている。van der Kolkらはまた,外傷性ストレス障害の患者が外傷的な状況に再び身をさらしたり自傷行為に及んだりするのは,内因性麻薬物質が関与していると推察している。
    解離性障害 (新現代精神医学文庫) 

    この引用文は、はっきり言えば「いつも殴っていれば、やがて相手は苦痛になれ、多少の快感を感じるようになる」という例のアレだ。しかしなんでこういうことが、医学の専門書に書いてあるかというと「夫に殴られて病院に入院した妻を、夫が連れ帰ってしまう」とか「殴られている妻が、幼い子どもを連れて夫の元に戻ってしまう」とか、しゃれにならない話と関わってくるからだ。
    このアニメだと88話が前者で、78話が後者だな。
    「はだかのエスカルゴン」は、デデデに殴られて病院に逃げ込んだエスカルゴンを、デデデが病院に押しかけてさらに殴るという話だ。その場で連れ帰るのには失敗しているが。

    あんのうん脚本回のエスカルゴンの物語は、心配した周囲が助けても、本人が「でも、愛している」とかいって、別れずに殴られ続ける物語なのだ。その最初といえる第39話「忘却のエスカルゴン」から、最後の95話「デビル・カービィ!」まで。

    吉川エスカルゴンもマゾヒストっぽい所はあるんだけど、あれは「強者に服従することで安心を得る」という古典的な路線だろう。



    第78話「発進! エスカルゴン・ロボ 」

    第39話や第55話までのあんのうん脚本では、どっちかというとエスカルゴンが、デデデに執着している。吉川脚本はそう規定している。
    しかし第78話「発進! エスカルゴン・ロボ 」や第88話 「はだかのエスカルゴン」はデデデ側の執着が、エスカルゴンを壊す話だ。
    あんのうんさん本人の脚本では、そのきっかけらしいものは見つからない。
    単に前とは逆にしてみた、というのも脚本家としては普通の発想だろうから、きっかけが必要と強く主張するつもりはない。
    しかしこれは、第42話 「メーベルの大予言! (後編)」(脚本 国沢真理子)や、第69話 「ウィスピーの森のエコツアー」(脚本 山口伸明)を、ふまえての路線変更ではなかろうか。
    やはりデデデ自らの「逃がさんぞい」や「愛していたぞい」という台詞は、インパクトがある。
    その第69話は、やはり第55話のあんのうん回のエスカルゴン側からの「愛しているよ、陛下♪」を受けているんだろうな。

    エスカルゴンロボがいるから、本物のエスカルゴンは不要、という展開なら単なる第47話「帰れ、愛しのワドルディ」のキャスト替えだが、「エスカルゴンロボ」の回では、デデデは「エスカルゴンが二人になれば楽しいぞい」と笑っている。

    この78話では、デデデが「大丈夫か」と聞いたので、自分を心配してくれたのかと喜んだエスカルゴンがハンマーで殴られる。
    「カーペットが汚れたぞい」「陛下 愛しているのは私ではなく カーペットでげすか」。この場面は落語の厩火事あたりを念頭においていると思われるが、似たようなやりとりは吉川監督の第49話「アニメ新番組 星のデデデ」にもある(デデデ「大丈夫か」村長「私たちの体を心配してくれるのですか」デデデ「逆ぞい。寝たやつはこのハンマーでぶんなぐるぞい」みたいなやりとり)。

    また、この第78話 「エスカルゴンロボ」の回は、先行する野添脚本の第47話 「帰れ、愛しのワドルディ 」や第72話 「ワドルディ売ります 」を意識して書かれているだろう。
    ワドルディ達が城からいなくなったときに、エスカルゴンがデデデと城に残っていたらどうなるか、みたいな。
    72話には、エスカルゴンがその後どんな風に城に戻り、デデデに迎えられたのかの描写がない。
    思うにだいたいこの4パターンではなかろうか。

    1.「おお、よく帰ってきたぞい。」と手を取って、素直に喜ばれた。
    2.「なんぞい、おまえも帰ってきたのかぞい。早速お茶でも用意するぞい。」とテレビをみながら、さして関心もなさそうな態度で迎えられた。
    3.「今までどこにいたぞい!」と殴られた。後はいつもどおり。
    4.「なんでわしを見捨てたぞい! もう一度雇って欲しいのなら、これまでの三倍働くぞい!」と土下座したのを足蹴にされて、一層こきつかわれるようになった。

    次の73話には吉川監督の回転寿司回で、いつもどおりの共犯関係だったから、2か3だろう。
    でも、この4の説に近いのが、ロボ回なんじゃなかろうかと。
    いきなりエスカルゴンが仕事を増やされたのは、逃げたからお仕置きされていたか、また逃げないか試されていたかではなかろうか。

    デデデのエスカルゴンに対する扱いがひどいのは、否定しない。でも、流れとしては第69話で愛を告白し合ったすぐ後の72話で、エスカルゴンに逃げられたわけだ。物陰から心配そうに見ていたとはいえ、デデデにわかるわけがないし。デデデが「本当にわしを好きか?」と疑って試し行為に走るのは、デデデのような人格の人物としては当然かな。

    「エスカルゴンロボ」の回は「暴君的な父親と虐待されている母親」の物語として読める。
    虐待父(デデデ)、虐げられている母(エスカルゴン)、息子(ロボ)である。
    日々が辛い母親は子供だけは虐待されたくないと思い、子供には父親に似ず、自分を含めた他人に優しい人間になって欲しいと望むが、結局子供は虐待され、暴力的な父親に似る。ありそうな話である。
    母親役の性別が男性なので、この物語は二重になっている。
    エスカルゴンロボの制作をフームが手伝っているのは、それによって「虐待父(エスカルゴン)」「子供を虐待からかばう母(フーム)」「虐待される子供(カービィ)」の物語が成立するからだ。

    ちなみに国沢脚本の第25話「エスカルゴン、まぶたの母」は暴力的な父親と手厳しい母親の対立で、息子が父親を恐れず、母親の味方をするエディプスパターン。息子役の年齢の高さもあり、だいぶ違う印象。

    「エスカルゴンロボ」の回とか、エスカルゴンを追い詰めたデデデが一発ぐらいなぐられてもいいような気がする。「忘却のエスカルゴン」でエスカルゴンが拷問されたのも、元はといえば魔獣を買ったデデデのせいだろう。だが、エスカルゴンが「陛下に殴られるのは 爽快でげす」とか言っちゃうマゾヒストだからか、特にデデデに対する罰や復讐はない。
    逆に「ある愛のデデデ」の時は、フームが「このハンマーに聞いてみたら?」と、デデデをひどい目にあわせた罰をエスカルゴンに受けさせている。

    「はだかのエスカルゴン」の回もデデデに対する罰はない。拒まれて終わることぐらいか。デデデはハンマーで追い回したことが、結果としてエスカルゴンの魔獣化を招いたことを少しは反省したのか、「二人で温泉に遊びに行くぞい」とソフト路線に変更しているし、この回の場合はそれでいいのかもしれない。

    アニメ版『星のカービィ』の世界観では、デデデ大王が父親役として想定されているという前提で書くが、つまるところ、あんのうんさんは「父親を倒す」というエディプスシナリオが、苦手な人なんだろう。女性脚本家だと難しいかもしれない。
    ユングは女性の場合は父親は敵ではなく、愛する相手だとしてエレクトラコンプレックスという言葉を作った。これは「悪の女王である母親を倒し、王である父親と愛し合う」というシナリオ。原作であるギリシア神話のエレクトラの物語に従うなら、「父の仇として、母を討つ」となるか。
    ゲーム版「星のカービィ トリプルデラックス」で、セクトニアを倒して、デデデと協力し合う、タランザとカービィのシナリオがこれかもしれない。エレクトラのシナリオだとすると、トリデラのヒロインは、デデデではなく、カービィだな。

    なお、この第78話の「軟体動物に骨はないぞい」という台詞は、「はだかのエスカルゴン」につながっている。カタツムリについて調べられたのだろうか。

    エスカルゴンがデデデにカービィを倒せといわれていやがるこの78話と、デデデと一緒にうれしそうにカービィの頭の上に大岩を落とす79話 「ボンカースあらわる! 」は同じあんのうん脚本。読み切り形式のシリーズとはいえ、1話の間にずいぶん態度がかわったものだ。

    あんのうん脚本は話主体で、キャラの言動はそれに従う印象があるが、まじめに受け取れば、ここでエスカルゴンはカービィを思い切っているのか。あるいはデデデと一緒なら残酷になれるという、主体性のない人物なのか。


    第88話 「はだかのエスカルゴン」

    まあ、思いついちゃったんだろうな。
    しかし、なぜ思いついたのだろう。
    カタツムリの本にはカタツムリの殻に穴をあけてみる実験が載っていたりするので、資料を集めているうちに思いついたか。
    あるいはデデデがエスカルゴンに暴力をふるう場面を書いているうちに、殻をたたいたらどうなる? と思ったか。

    この時期にこの話というのは、吉川エスカルゴンや国沢エスカルゴンが、すっかりデデデと馴れ合ってるので、あえてデデデを拒絶させてみたのだろうか。
    ただ、あんのうんデデデがエスカルゴンに拒絶されるのは第63話「師走のカゼはつらいぞい! 」で、カゼで寝込んでいるエスカルゴンを頼って、ほっといてという態度に出られた時から考えると二回目。

    この話は第76話 夢の恐竜天国! (後編) 脚本 国沢真理子 の
    「永遠に離れないと誓った夜をお忘れでげすか」といったやりとりを意識して書かれているのではなかろうか。
    上記の台詞を聞いて、多くの大人は何らかの既成事実があると想像する。
    それを「裸すらみたことない」清い仲だと、主張するのがこの回である。
    しかし、歯の生えたペンギン?と腕の生えたカタツムリの間の、既成事実って何だろう。
    鳥と貝の間には異種どころか門の壁が、立ちはだかっているような気がするが。※門 (分類学)
    まだ、フームとカインの方が、生物学的には背骨があるだけ近縁だ。ウィスピーウッズとラブリーなんて同じ被子植物だ。

    また、現実のカタツムリの殻は脱げないので、カタツムリは殻を脱がずに交尾する。故に生殖孔は殻で隠れる場所にはない。ということで、カタツムリの殻を割るこの話は生体解剖の話で、性的な話じゃないですよっと。詳しくは アニメ『星のカービィ』を見て、カタツムリの解剖図を検索してみた で。

    あえて古典と絡めた話をするならば、通常こういう話は「好色な主人が従者の婚約者や娘を狙う」というパターンになる。男の従者本人を狙わない。
    従者の婚約者や娘が主人の手から逃れるならば、喜劇シナリオ。主人の手に落ちるなら悲劇シナリオ。
    例えば、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は、既婚者である伯爵が従者の婚約者を自分のものにしようとして、従者側が様々な策略で対抗する話。
    ヴェルディのオペラ「リゴレット」は、公爵が道化の娘をだまして自分のものにする話。この話は従者の側が、それまで主人の女狩りを手伝っていたという関係でもある。

    前者なら、エスカルゴンにかわいい彼女が出来て、それを知ったデデデが「おまえにはもったいないぞい。かわいこちゃん、次はわしとデートするぞい」と横からひっさらおうとするが、最終的には両者共に振られる話とか。
    後者なら、実はエスカルゴンには母親に預けていた娘がいて、父親を訪ねてくる。それを知ったデデデが「おまえも父親と一緒に、わしの城で働くがよいぞい」と言い出して、娘の幸せを願うエスカルゴンに「私の娘を、死ぬほどこき使う気でげすか」と反対されるとか。芥川龍之介の「地獄変」のようにエスカルゴンの娘が、デデデの企みで魔獣にされかかるとか。エスカルゴンロボはややこれに近い。
    常識的にはこういう「従者の女」シナリオだよな。だが、デデデとエスカルゴンの仲だと逆に違和感がある不思議。
    ちなみに「フィガロの結婚」は「恋とはどんなものかしら」という曲が有名。話は知らないが、曲は聴いたことがあるって人も多いかも。

    「去年の秋 一緒に露天風呂で背中と殻を流し合った仲ぞい。何を恥ずかしがることがあるぞい」というデデデの台詞について。
    デデデの入浴シーンはいくつかある。
    最初のは第6話 「見るぞい! チャンネルDDD」(脚本 吉川惣司)で、石けんのテレビCMとしての、入浴シーンである。
    テレビ番組以外での最初は、あんのうん脚本の第33話 「え〜っ! 宇宙のゴミ捨て場」で、お風呂に入って、泡で遊んでいるデデデがエスカルゴンに「遊んでないで 洗ってるでげすか?」と言われて「のぞくな」と軽く怒る場面である。
    微妙な距離感だな。
    これを上書きするのが、第40話 「魔獣ハンター・ナックルジョー!」 脚本 野添梨麻の冒頭である。
    朝のお風呂に入っているデデデの背中をエスカルゴンが、「リッチでげすなあ こりゃ」と泡のついたスポンジでこすっている。「あーははーん」と気持ちよさそうなデデデに、甘い声で「寝ちゃわないでよ」ともいう。
    歴史に詳しい野添さんの、王様だったら、自分で体を洗わないだろう、という33話に対するツッコミにも思える。が、「忘却のエスカルゴン」を含む、数話の間に仲が深まったようにも見える。
    去年の秋というのは、この後でさらに仲が深まったという設定なんだろう。

    秋頃に放映された話の中から、あんのうん脚本回に限って、何かありそうな回を探すならこれらが候補だろうか。
    第51話 センチメンタル・カービィ
    第55話 ある愛のデデデ
    第57話 パイを笑う者はパイに泣くぞい!
    どの話の後も、ありそうではあるが、決定打はないな。
    体が汚れる話といえば、57話だろうし、花火として打ち上げられる51話も身体的ダメージが大きそう。55話も互いに激しく殴り倒した後での、仲直りのためにあえて一緒に過ごしたりしてそう。まあ特定の話数を想定しているとは限らない。
    他にデデデの入浴シーンとしては、あんのうん脚本回の第63話 「師走のカゼはつらいぞい! 」がある。エスカルゴンが風邪で寝ているためか、このとき手伝っているのはワドルディ。

    去年の秋うんぬん言っているのは、第33話との関連で「以前、デデデもエスカルゴンに裸を見られて怒っていたじゃん」というようなツッコミがくるのを、あらかじめ阻止するためだろう。「わしの裸は見せたくないが、おまえのは見たいぞい」でもデデデらしいっちゃらしいんだろうけど、それだとさすがにデデデがひどすぎる。
    だから「わしはエスカルゴンに裸を見せたのに、エスカルゴンの裸を見せてもらっていないぞい」という不公平を主張した方が、デデデが執拗にハンマーを振り回す動機が視聴者に納得いくだろうな。

    なお、わたしは「中にいれるぞい 中々ぞい」という台詞を聞き流していた。ニコニコ大百科で迷台詞扱いされていて、ああと思ったけど。でもそれならサザエの殻を背負ったエスカルゴンの「実のところこりゃ中々具合がいいでげすー」という台詞もあやしいような。気のせいか。


    第95話「デビル・カービィ!」

    他のところで少し書いたので、ここでは短く。
    操られるデデデの考察 ‐洗脳・解離・催眠・憑依

    あんのうんさんは照れでもあるのか、印象を強烈にするためか、男同士の親密表現をバラや光がきらきらするギャグシーンに持っていこうとする。
    第55話 「ある愛のデデデ」の冒頭の「愛してるよ 陛下♪ チュッ」とか。
    第86話 「弟子対決! コックナゴヤ」の冒頭のカワサキとナゴヤの抱擁とか。
    この第95話の終わりあたりの抱擁もそう。

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    吉川惣司監督脚本回のデデデとエスカルゴンの関係の考察

    吉川監督は、キャラを作った人だけあって、初期から終盤まで、あまり二人の関係のパターンが変わらない。

    ただ、最初のオープニングでは、大砲の時にちょっと出てくるだけのエスカルゴンが、72話からの新オープニングでは常にデデデと一緒なのを見ると、すごい出世ぶりだ。
    デデデとエスカルゴンのコンビには、放映当時から視聴者の支持があったらしい。
    おそらくオープニングの絵コンテは両方、吉川監督本人だろう。

    第1話と第100話、その間に数多くあるデデデがエスカルゴンを殴ったり、エスカルゴンがデデデにしがみついたり、二人で抱き合っている絵がこのアニメにおける両者の関係の基本。
    吉川脚本のデデデとエスカルゴンは暴君とそのしもべが基本。
    後半やや関係が甘くなり、エスカルゴンが強気になる。両者共に幼くなり、距離は縮まっていく。
    支配と服従が、やや支配と反抗に振れていくが、双方の依存心がその葛藤を飲み込む感じかな。吉川エスカルゴンのデデデに対する依存は「弱気な者が強者を頼る」というもの。
    第5話や99話の「窮地に陥るとお互いを頼る」というのが、吉川監督回の二人の関係の基本。
    対照的なのが「窮地に陥ると相手を見捨てる」という野添回。

    抱き合っている時間が長いのが特徴

    他の脚本家が強烈な台詞で二人の関係を上書きしていくので、通しで見ると吉川回の印象は薄い。

    しかし、『装甲騎兵ボトムズ』では吉川惣司脚本回と言えば、男女間だけでなく、男同士でも好きとか愛しているとかいう台詞が飛び交う回だ。
    今でもボトムズファンの間で話題になる、クエント編のこの台詞も吉川回。

    シャッコ「クエントには無い言葉だが、おまえはかわいくなった…」
    キリコ 「失望したか?」
    シャッコ「いや、今のおまえの方がずっといい。」


    他にクメン編の最後のヒロラム・カンジェルマンがポタリアとの決闘の後、「愛していた」と言って死ぬ場面も吉川脚本。
    同じくボロー等の敵役が部下に助けられる場面も、ほぼ吉川回。

    他にボトムズの脚本家といえば、鳥海尽三さんと五武冬史さんがいるが、彼らの回では男同士で愛していると言ったり、敵の部下が上司を心配したりするような場面はなかった。
    吉川脚本は悪役側の男同士の関係が濃い脚本だとは、間違いなく言えるな。
    おそらく『星のカービィ』では、吉川さんは絵を監督できる立場だから、台詞ではなく動きで表現したって事なんだろう。
    吉川回のデデデとエスカルゴンは抱きついた後、そのまま抱き合っている時間が長い。第5話とか、第64話とか、99話とか。
    他にもあるが、すでにリストがあるので、ここではこれ以上は書かない。
    デデデとエスカルゴンの間の暴力場面と、身体接触場面のリスト(まとめ)

    始終抱き合っている表現については、吉川監督的には恐れという感情を、子供にわかりやすくしただけで、深い意味はないのだろう。
    「種族の壁」と「性別の壁」により、深い意味を感じにくくなっているしな。
    生殖は同種の異性とするものなので、異種の同性が抱き合っていても、多くの人はそれを「人がイヌを抱いている」ようなものとして受け止める。
    もしデデデとエスカルゴンが同性でも、同種だったら視聴者の見る目はかなり違っただろうな。
    「デデデとエスカルゴンが異種族の異性」と「デデデとエスカルゴンが同種族の同性」のどっちがカップルに見えやすいだろうか。まあ、前者の場合は「かなわぬ恋」だろうし、後者は「行き過ぎた友情」に見えるだろうな。カタツムリは雌雄同体なので、もしカタツムリ二匹が抱き合っていたら、詳しい人はカップル認定するだろうが。
    でも異種の同性だと「人がイヌを連れ歩いている」ように「主従」らしく見える。大きさに差があるので、どちらが主人かも一目で分かる。

    登場人物が抱き合っていること自体は、子供向けアニメでは珍しいことではない。
    『ポケットモンスターXY』「追憶のトレイン!シトロンとホルビー!!」でも、人間がポケモンと抱き合いまくっていた。
    また、カートゥーン『スポンジ・ボブ』では、ボブ(海綿)とパトリック(ヒトデ)が怯えて、男同士で抱き合っている場面があった。
    なお、マンガだが手塚治虫の『魔神ガロン』(1959年連載開始)には、不審な人物の訪れに驚いた敷島博士(青年)が俵教授(中年?)にぴょんと抱きつく場面がある。
    昭和時代のアメリカのアニメでは、よくある表現だったのだろうか。
    そもそも、ひかわ博一先生の『星のカービィ デデデとプププなものがたり』でも、デデデは側近のポピーと時々抱き合っていた。

    悪役同士の暴力についても、子ども向けアニメではままあることだろう。
    『ゲゲゲの鬼太郎』五期の第17話「さすらいの蒼坊主」(脚本 三条陸)では、ぬらりひょんが腹を立てて、手下の朱の盆の頭をキセルの柄でぐりぐりしたりしていた。

    デデデとエスカルゴンはなぐった直後に、抱きあったりしているからおかしいのだろう。
    第49話でハンマーで殴られた数分後に、デデデに抱きつくエスカルゴンは、とても殴られ馴れている。


    吉川惣司監督脚本回のデデデの考察で書いたように、吉川デデデが意図的にヒステリー型性格に造形されているのなら、デデデがなにかというとエスカルゴンとくっついているのは、
    1、他人を当てにして、寄りかかろうとする。
    という依存的な性格の動きによる表現なんだろう。


    監督の意図はどうあれ、なにかというと、抱き合っている主従は変である。どちらかというと、エスカルゴンが勝手に抱きついて来ることを許す、デデデの側が変だ。「王の体に許可なく触れてはいけない」というのは、古代においては鉄の掟であり、現代でも王族や皇族が存在する国では常識だろう。これは暗殺を警戒というより、敬意の問題である。まあ、デデデは成り上がりだから、そういう高貴な感覚がわからないのかな。「陛下ってお強いでげすね」と10回口先で言われるより、1回抱きつかれる方が男としてのプライドが満たされるとかで、エスカルゴンに与えられた特権なのかも。
    「怖いからと言って、いちいちくっつくな、うっとうしいぞい」と言ってデデデが、エスカルゴンを振り払うような関係だったら、エスカルゴンもここまで耐えていない気がする。
    この点は話数がある程度進んだ、野添脚本の第40話の入浴シーンで「デデデの体に触るのも、エスカルゴンの日常業務のうち(特権が明確にある)」と仕切り直されたようだ。
    常識的に考えれば、体に触れることを許す、ということは格別の信頼の表明である。



    場面集

    それでは吉川脚本回のこの二人の関係を、追ってみよう。

    第1話 「出た!ピンクの訪問者」
    カービィの宇宙船のドアが開くとき、おびえたエスカルゴンがデデデの背中に隠れながらしがみついている。
    魔獣が暴れたので、デデデがエスカルゴンをおんぶして、走って逃げている(おそらくゲーム「星のカービィ64」のデデデが、カービィをおんぶしていたことから)。
    この1話を見るに、最初は「腕力に勝るデデデがエスカルゴンの保護者」というジャイアン的な関係が想定されていたのだろう。
    デデデが殴りまくっているけど、エスカルゴンはデデデのことを頼っているし、デデデはエスカルゴンを守る、みたいな。
    第1話から「実は子分には優しいところもある」みたいなデデデのキャラを、立てておくことで単なる悪人ではないとしておきたかった。
    でもこの後の展開を見るに、全体として「デデデの面倒を見るのがエスカルゴンの役目」という方向に関係は流れて行ってる。もちろんデデデ大王は主君として、エスカルゴンの生活と地位を保護しているという前提がある。

    主従としては、下が上を守る、でいいような。
    ひかわ先生の『星のカービィ デデデでプププなものがたり』には、デデデを盾にしてポピーが側近を首になる話があった。そっちが普通だろうな。
    天皇陛下の護衛(皇宮護衛官)になった人が、上司に「陛下が襲われるようなことがあったら、身をもってかばうように」という意味のことを言われて、「大変な仕事についたな」と実感したと読んだことがある。
    http://magazine.campus-web.jp/archives/50350
    しかしアニメ版『星のカービィ』ではワドルディ全員が、近衛兵ってことでいいんだろうか。

    第2話 大変! 戦士のおうち探し
    デデデがカワサキの店で「カタツムリの塩焼き」を頼もうとしていた。
    1. エスカルゴンに対するいやがらせやおどしが主目的
    2. カタツムリとかサザエとか、貝類が好物
    どっちだろう。とりあえずエスカルゴンがびくっとして、「それはご勘弁を」と言ったので、やめてあげたみたいだけど。

    第3話 「え! メタナイト卿と対決? 」
    デデデの運転する装甲車から降り落とされた、エスカルゴンが「ちょっとお待ちを~」という場面がある。デデデは待たなかったので、エスカルゴンはぶつぶついいながら、自分でデデデの謁見室まで歩いてくる。
    このパターンは吉川脚本の第98話にも「うわ ああっちゃあ ちょっと待って」と空襲から先に逃げるデデデを、追いかけるエスカルゴンという形で出てくる。95話分の時間経過により、だいぶ口調が砕けている。
    このパターンは国沢脚本の第76話の「へ、陛下、わたしを捨てるでげすか」や、あんのうん脚本の第95話「置いてかないで~」にも使われている。

    第5話 「怒れ! ウィスピーウッズ」
    デデデと一緒に迷子になった時のエスカルゴンは、最初「迷子のエスカルゴンを許してー」と哀願していたが、一度デデデと喧嘩した後、「やっぱり一緒にいくぞい」「そうするでげす」と泣きながら抱き合い、デデデと手をつないで歩き出してからは「迷子のエスカルゴンとデデデ大王を許して」と台詞が変わっていた。

    この二人が不幸な場面で抱きあうことについて、一番ふつうな理由は、憎まれ役が許されるため。上記の台詞は視聴者に許しを乞うているのだ。
    視聴者に「こいつらひどい目にあえばいいのに」と思われなければ、悪役としては失格だ。
    しかし、嫌われ過ぎると、「デデデが嫌いだから、アニメを見るのをやめよう」ということになる。
    実際そんな人いただろうな。
    ゲームという原作もあることだし、それはまずい。
    視聴者に「かわいそうだし、もういいか」と思ってもらうために、怯えてみたり、悪役同士では仲良かったりするという、人間味アピールをしてみたりしているのだろう。
    まあ視聴者としても、許して終わりたいよね。
    「なんだか雰囲気がいやらしくて嫌い」という人もいただろうが、それはそれで悪役らしい要素かも。

    表現が手をつなぐになるのは、想定対象年齢がまだ親やお友達と手をつないでいる、小学校低学年の子供だからじゃなかろうか。中年男同士(エスカルゴンはことによったら初老)が手をつないでいるとか、かなり珍しい光景だけど、きっと幼稚園児や小学生は「とっても仲良しなんだね」と受け取ってくれる。ゲーム版『星のカービィ』で「くちうつし」は知っていても、キスというと「くちうつし」の子供の目には、何かというと抱き合ったり添い寝しているデデデとエスカルゴンは、この上なく愛し合ってる。
    対象は子供から大人までとは言うけれど、このアニメは思春期や若者はターゲットにしていない気がする。でも、ニコニコ動画ではそのあたりに受けていそうだし、ナゾだ。

    第14話 「夢枕魔獣顔見勢」
    初期の吉川エスカルゴンは、想定されている年齢が高いこともあって、デデデの自分に対する扱いがひどいことについての、長いつきあいゆえのあきらめのようなものがある。
    「いやなら 強制的に寝かせるぞい」
    「はいはいわかりました どうせこうなるんじゃないかと 思ってたんでげすよ」
    逆に最も反抗的なのは、番外編のエビゾウ回の「しらねえ そこもつな!」かな。
    だんだん若返ってないか?

    第38話 「読むぞい! 驚異のミリオンセラー」
    この回に、吉川デデデの曲がり角があるような気がする。この回で文盲設定が追加され、お子様化が進んだ。エスカルゴンもこの回では、割とデデデに意地悪。先行する第24話 「ニンジャ、ベニカゲ参上! 」(脚本 山口伸明 )や第32話 「歯なしにならないハナシ」(脚本 国沢真理子)あたりのお子様デデデを踏まえての路線変更だろうか。ちなみにこの時のカウチポテトしているデデデが、国沢脚本の第61話 「肥惨! スナックジャンキー」のデデデにつながっている。
    吉川エスカルゴンが吉川デデデに対して犯した最大の罪は、この38話で面白い本を音読してあげなかったことじゃなかろうか。その後、本をとりあげられるという形で復讐されている。
    それでも主な脚本家の中で、一番頭がいい印象を受けるデデデは、他人をだます吉川デデデ。

    第41話「メーベルの大予言! (前編)」
    これは後半を担当しているのが、国沢さんというのもあってか、エスカルゴンが国沢エスカルゴンっぽくデデデを心配するお世話係である。
    「悲鳴が聞こえたので(寝室まで)見に来てみたらば」などの台詞がある。
    第41話をエスカルゴンを中心に考えると、デデデが悪夢という問題で、自分ではなくメーベルを頼ったことで、まずは嫉妬する。デデデはメーベルで問題が解決しなかったので、仕方なしにエスカルゴンを頼る。しかしエスカルゴンにもその問題は解決できず、デデデは魔獣に頼る。しかし最後はメーベルがその悩みを解決する。エスカルゴンはデデデの悩みをとりのぞいてくれたことで、メーベルに感謝する。
    でもメーベルに感謝した後、エスカルゴンはその場で寝てしまった、デデデに寄り添って一緒に寝ているんだよね。
    デデデが安心したことで、安心したのだろうというのはあるけど、一方的にライバル認定した相手の前でくっついて見せるって、正妻アピールだろうか。

    第74話「モスガバーの逆襲! 」
    吉川エスカルゴンのデデデとの葛藤は、自らデデデを殴りに行くのではなく、この時のように、デデデを裏切ってフーム達の側につくという形をとる。しかしこれはカービィを倒すことに執着し、「息が出来ない」と苦しむデデデの身を案じたともとれる場面である。これが吉川エスカルゴンの「陛下を助けて」なのかもしれない。自分や城の住人全てが、巻き込まれている状況ではあったから、断言はしない。
    おそらく『装甲騎兵ボトムズ ザ・ファーストレッドショルダー』のペールゼンとリーマンの関係と同じ話。
    デデデ大王とエスカルゴンのような、英雄の敵である王様とやばい発明家の組み合わせは古代からあり、有名な話はギリシャ神話のミノス王とダイダロスだろう。
    ダイダロスは牛と交わりたい女性のために、牛の着ぐるみを作ってあげた。その結果生まれたのが人の体に牛の頭のミノタウロス。それを閉じ込めるための、迷宮の建築も指導した。その後、訪れた英雄テセウスに恋した王女アリアドネに糸を使うという、迷宮の脱出方法を教えた。そのため、王の怒りを買って、ダイダロスは息子のイカロスとともに、牢屋に閉じ込められた。ダイダロスは自分と息子のために、鳥の羽をロウでかためて翼を作った。イカロスの末路はよく知られているとおりだ。
    フームにモスガバーの弱点を教えたエスカルゴンは、役割的にはミノタウロスの迷宮の脱出方法をアリアドネに教えたダイダロス。エスカルゴンがあのあと牢屋に入れられたりしなかったのか、気になる。


    第98話 「発進! 戦艦ハルバード」
    第98話の物語冒頭で登場人物達がベッドで寝ているのだが、エスカルゴンは小さなデデデのぬいぐるみと一緒に寝ている。絵的にはあんのうん脚本回の第50話 「貯めるぞい!のろいの貯金箱」の通販宣伝番組内の描写と似ている。しかしこのぬいぐるみは、第94話の時にはなかったはずで、その間に自分で作ったのだろう。本当は本人と添い寝したいのだろうな、と思わせる場面だが、この脚本には続きがある。
    このすぐ後で、空襲に驚いたエスカルゴンが、デデデに抱きつこうとして、デデデの抱えていた枕で突き飛ばされる。
    三角関係で、枕に負けたわけだな。
    深読みすれば、最終回の急展開の中で、エスカルゴンがデデデを裏切っても違和感がないように、扱いがひどい場面を入れておいたのかもしれない。


    第99話「撃滅!ナイトメア大要塞」
    あんのうん脚本の第51話「センチメンタルカービィ」で革命について、「陛下もおしまい」と言ったり、第77話 「ロイヤルアカデデデミー」の時に「(フームが)自由と平等の民主主義国家を打ち立てようとしておるぞい」と我が身の心配をするデデデに「それはすばらしいでげ」と言いかけてハンマーでなぐられたりと、他人事だったエスカルゴン。
    しかし、吉川脚本の99話「撃滅!ナイトメア大要塞」では一緒に投獄されているのだから、当然のことではあるが、「私らの運命はギロチンの露と消えるでげす」といっていた。
    密航が見つかった後、エスカルゴンはデデデによりかかりつつ、後ろにかばって、反抗的な目つきでこっちを見ている。陛下に手を出したら許さないでげすよ、みたいな。デデデのドジで見つかったのに、忠義だ。
    同じ回でエスカルゴンが「あなたには絶対計算できないと思う」とデデデに対して言ってるが、「陛下」じゃなくて「あなた」とか、どこまで親しいんだろう。もちろん、「あなた重いんだからぁ」第69話(脚本 山口伸明)とかがあるから、これが初めてじゃない。
    吉川惣司脚本回の『装甲騎兵ボトムズ』26話は、年配の王族であるカンジェルマンと、若き元親衛隊員ポタリアの愛憎がドラマのひとつの核だ。カンジェルマンは、自らの命を狙うポタリアに、昔は身分も年もこえて「俺」と「お前」とよびあった仲ではないかといい、決闘の末「愛していた」と言い残して死ぬ。
    回が進むごとに、エスカルゴンのデデデに対する口調がどんどん砕けていくのは……
    1.エスカルゴンが無礼者だから
    2.デデデがバカにされてるから
    3.身分をこえて親しい仲だから
    どれもありそうだが、ボトムズ26話にならうなら3が答えとなる。
    吉川監督的には「愛していた」とか言い合う仲で、常に敬語と敬称とか逆におかしいということなのだろう。

    最後に

    吉川脚本だとスケールが村レベルながらも、前提として物語展開は「国家内権力闘争」で、エスカルゴンは権力者に従う人物なのだ。やはり女性の脚本家だと話が「家庭内権力闘争」の方に傾きがちなのかもしれない。他に男性の脚本家というと山口さんがいる。この人も野添さんやあんのうんさんのように「誰がお茶を出すか」で大事に至るような世界を描いてはいない。自然破壊をもくろむ男二人組で、とても仲が良いだけである。ただ、子供の視聴者には、国沢さんのだらしないお子様デデデと心配する口うるさいエスカルゴンのような、夫婦げんかや親子げんかに見える「家庭内権力闘争(ホームドラマ)」の方がわかりやすいだろう。これはコロコロコミック連載のひかわ版にならっているように思える。だが、監修者の桜井氏の意向でもあろう。

    ただ、権力闘争とはいえ、吉川惣司監督はボトムズのクメン編の描写を見るに、鳥海尽三さんに比べて、「政策」より「政局」に関心を持つ人のような気がする。
    簡単にいえば「この国をどうしたいか」という話より、「この国の長になるべきは誰か」という話に関心を持つ。このふたつは似ているが、同じではない。ボトムズのようなSF的な世界観でひたすら政策話をしたら、「社会派ハードSF」になりそうだから、愛憎劇でいいのかもしれないが。
    男性週刊誌にも「首相と副大臣の仲が最近よろしくないから、今後の政策に変化があるだろう」というような政局話は山と載っている。
    吉川監督には、「どんな人物が権力を握っているか」「その人物のお気に入りはどんな人物か」という視点から、物語内の政治を見る傾向があるのだろう。それでも、『星のカービィ』の作品内では、「政策」らしきものを実行しているのは主に吉川デデデではある。