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    「星のデデデ」の背景にある「虫プロの時代」

    アニメ『星のカービィ』の総監督である、吉川惣司は1960年代、初期虫プロのアニメーターだった。
    星のカービィ、特に『第49話 アニメ新番組星のデデデ』や『第41話 メーベルの大予言! 前編 』『第42話 メーベルの大予言! 後編 』(2002年)には、そういった監督の経歴が反映している。

    「星のデデデ」は、素人が集まってテレビアニメをつくろうとするが、スケジュールは遅れに遅れてスタッフは徹夜続き、絵はひどい出来、アフレコはぶっつけ本番、さらにプロデューサーの意向で脚本が大幅に書き換えられて、完成フィルムでは主役が変わっていて、放送中にフィルムから発火、視聴率は最低記録。でも、放送は出来たという話。
    「メーベルの大予言」は赤い星が主人公達の住む星に接近し、占い師はそれが衝突することによって、この世は滅びると予言する。最初は望遠鏡でなければ見えなかった赤い星は日に日に巨大化し、世界は赤く染まり、住民達はパニックに陥る。だが暴風が吹き荒れる中、主人公が星の軌道をそらして、世界は救われ、青空が取り戻される、という話だ。

    今回は同じく虫プロのアニメーターだった山本暎一の自伝的な小説『虫プロ興亡記―安仁明太の青春』を主な資料に考察する。この小説では、主人公の名前は「山本暎一」ではなく「安仁明太」となり、架空の人物も登場する。悪役は明らかに架空の人物だ。


    フィルムに色を塗る

    「星のデデデ」のオチの部分では、エスカルゴン達が上映中のフィルムに直接絵筆で色を塗っている。
    白黒映画に色をつけるため、フィルムに色を塗るということは、100年前に実際に行われていた。

    白黒フィルムしかなかった時代、カラー映画はフィルムに絵筆で色を塗ることで作られた。
    1906年の「水の精」はこの技法。しかし、この技法だと色ずれが出て観客は笑ったという。
    参考『名作はあなたを一生幸せにする―サヨナラ先生の映画史』淀川長治
    こういう「フィルムに直接描き込む」技法への言及は『虫プロ興亡記―安仁明太の青春』にもある。

    「星のデデデ」のオチは、この技法が念頭にあってのことだろう。
    まあ上映しながら塗ると、絵の具が乾かないと思われる。


    虫プロの時代は白黒からカラーへの移行期

    虫プロが制作した『鉄腕アトム 宇宙の勇者』(1964年)という映画がある。
    この映画は、急な映画化の話に対応するため、すでにテレビアニメとして放映された3つの話をまとめた。『ロボット宇宙艇の巻』『地球防衛隊の巻』『地球最後の日の巻』の三つである。
    この『鉄腕アトム 宇宙の勇者』は、全体としてパートカラーである。

    この中で山本暎一が担当した『地球最後の日の巻』は、手塚治虫のマンガを原作にしている。『鉄腕アトム 12』収録の「地球最後の日の巻」がそれだ。
    山本暎一は白黒のTV版を映画化にあたってカラーにしてつくりなおした。カラーフィルムなのに、赤と青しか使わないという大胆な色使いだった。

    「物語は白黒の画面で進行し、突如、黒い夜空に、赤い点として惑星が現れる。赤い惑星が近づくにつれて画面に占める赤のスペースは大きくなり、最後は衝突寸前の惑星の反射光で地球がまっ赤に染まってしまう。(中略)ラストカット、赤い惑星は消え、ひとびとの頭上にはさわやかな朝の空がよみがえる。明太は、このワンカットの朝空にのみ、ブルーをつけた」『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』


    ここでは「惑星」となっているが、手塚治虫の原作では「怪星」。吉川惣司の星のカービィでは「妖星」。
    山本暎一さんは、ご本人もいうとおり、SFが苦手なのだろう。

    原作マンガは当然白黒であり、赤い星が大きくなっていく描写や、暴風が吹く描写がある。
    しかしマンガには世界が赤く染まる場面はない。最後のコマでアトムが見上げている空は白黒ながら、夕焼け空だと思われる。映画版の『地球最後の日』で、赤い世界が消えて、青空が広がるのは、演出の山本暎一の独特の色彩感覚が発揮されたとみていいだろう。

    これが話としても、映像表現としても、『星のカービィ メーベルの大予言』の元になっているだろう。『星のカービィ』のこれらの話の放映は2002年で、映画版『鉄腕アトム』の1964年から数えて、40年近くたっている。若い原画マンもベテランのアニメ監督になろうという歳月である。

    参考
    鉄腕アトム・宇宙の勇者
    http://tezukaosamu.net/jp/anime/5.html

    手塚治虫アニメワールド 虫プロ・手塚治虫 長編3部作 DVD-BOX



    ダミー映画

    星のデデデには動画と台本をすりかえることで、できあがるアニメの内容を変える場面がある。

    それと少し似た話で、虫プロは『哀しみのベラドンナ』という映画の時に、上映用とは違う、ダミー映画を作ったことがある。
    脚本と本編が違うのは、普通のことで、アニメ星のカービィにもそれとおぼしき所はある。
    しかし、『哀しみのベラドンナ』のように、フィルムがふたつあるというのは、かなり珍しい話ではなかろうか。
    予算に困った虫プロは、「あとでつくりなおせばいいから」と監督を説得して、遅れている映画を手抜きの状態で、とりあえず完成させてしまう。そうやって配給のヘラルドから予算を前借りした。
    この『哀しみのベラドンナ』の制作には杉山ギサブローのアートフレッシュが参加している。アートフレッシュは、杉山ギサブローが出崎統、奥田誠治、吉川惣司らを伴い、虫プロから独立したアニメスタジオだ。作画監督は杉山ギサブローであり、スタッフロールに出崎統の名前はあるが、吉川惣司の名前はない。

    参考

    「アニメラマ三部作」を研究しよう!
    山本暎一インタビュー 第1回[再掲]
    http://www.style.fm/as/13_special/mini_060116.shtml

    「アニメラマ三部作」を研究しよう!
    杉井ギサブロー インタビュー(前編)[再掲]
    http://www.style.fm/as/13_special/mini_060119.shtml


    ドラマも生放送の時代

    「星のデデデ」には、放送でフィルムを流して、声優が生放送で声をつけている場面がある。
    これはギャグとして描かれているが、ドラマも生放送の時代、アニメもぶっつけ本番でアフレコという発想が、手塚治虫には本気であったという。

    テレビアニメを実現させるには、作業の能率が大事だ。それには、ナマ放送のドラマを考えてみるといい。ナマ放送は、芝居も音楽も効果音も、一回でキメている。テレビアニメも、それだと思えばいいのではないか。極端にいえば、放送でフィルムを流して、声優と音楽と効果音をナマでつけてもらってもいい。『虫プロ興亡記』


    ちなみにアフレコはアフターレコーディングの略で、絵ができた後に声を入れる。
    逆に声優の演技に合わせて絵をつけるような場合は、プレスコという。プレスコアリング (prescoring) の略。

    それよりさらに時代をさかのぼると、無声映画に弁士が台詞を生でつけていた。
    なお、サイレント映画に弁士がついたのは、日本だけ、という。
    参考 淀川長治『名作はあなたを一生幸せにする―サヨナラ先生の映画史



    眠れない虫プロの日々

    締め切り前のアニメーターは眠れない。虫プロは特にそれが顕著だった。
    『千夜一夜物語』の制作中に、監督である主人公がスタッフにこういう場面がある。
    「……方策なんか、なんにもない。残っている方法は、これまで寝た時間も寝ないでやるということだけだ。そこでおれは、これから六月十日までのほぼ三十日間を、もう眠らないことにする。みんなもそうしてくれ。」『虫プロ興亡記』

    これ、主人公の発言。星のデデデでは、「寝たらハンマーでたたき起こすぞい」とか言うのは、悪役であるデデデの発言だったのだが。

    虫プロがこうなった理由はいくつかあるが、そもそもトップである手塚治虫がろくに寝ないで、マンガを描き、アニメを作っていたので、手塚を尊敬する虫プロスタッフがビジネスライクになれなかったというのがあるだろう。また、鉄腕アトムの成功で日本のテレビアニメの歴史が始まり、次々にテレビアニメが作られるようになった。それまで日本にはアニメーターという職業の人が少なかったのだが、急激に需要が増えたということで、当時のアニメ業界は絶対的なアニメーター不足に陥っていたのだ。

    当然のことながら、この小説中で同僚のアニメーターが次々に心身を病んで倒れていく。
    主人公も自律神経の失調と鬱病(古い本なので「うつ病」表記ではなかった)に苦しみながらも、仕事を続ける。
    徹夜続きでアニメスタッフが机で放心状態になっている状態を、虫プロでは「蝶々になった」と言っていたそうだ。このような「気がふれる寸前」のスタッフは、自宅に送り返された。

    ……なんという、ブラック企業。
    「星のデデデ」の脚本を書いた人の、人生初の職場はこういうところだったのだ。
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    タグ : アニカビ

    夢の泉のメタナイトがカービィに剣を渡したのは、神明裁判だから説

    ※これはTwitter上で行われたカービィ版深夜の真剣考察60分一本勝負参加作品です。
    こちらの回に参加しました。このレスを見てから書き始めています。



    どうしてメタナイトは、デデデ大王に従い、スターロッドの守り手になったのか?

    1 金のため(ハルバード建設費とか、部下の給料とか)
    2 デデデ大王がナイトメアによるプププランドの危機を訴えたので、協力した

    どっちだろう?
    2のデデデ大王に協力する気になった、というのでもなぜ協力したかはよくわからない。

    その後のメタナイトのカービィに対してキャンディを投げるなどの、協力的ともとれる態度は、たぶん迷いがあったからではなかろうか。迷いの理由は以下。

    1 デデデのことが信用できなかった。
    2 デデデのいうことが正しいとは思ったが、夢を封じることが正しいのか、わからなかった。

    1はまあ、初代カービィで食べ物略奪とかやらかした後だし。ナイトメアという存在についての知識があるかとかにも左右されるだろう。デデデ大王を全く信用できなかったら、協力はしないだろうが、デデデの「夢の泉からナイトメアが沸き出した」という話も現場を見ていなければ、微妙ではなかろうか。
    2はデデデの話を信じるし、今回、彼は善意で行動しているのだろうとは思ったが、メタナイト自身も武闘派なので「ナイトメアを倒せばよいのでは?」とか考え、デデデ大王の「封じてしまえばいい」という意見に全面的に賛成できなかった。

    このカービィに剣を投げる行為が、強い剣士と戦いたいから、と解釈した方が、『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』以降の剣士との戦いを望む、メタナイトにはつながるのだろう。

    しかし、ここで「決闘とは何か」について考えたい。
    ヨーロッパでの古代の決闘は「どちらが正しいか決める」ために行われた。
    それは「強いものが偉い」という単純な話ではなく、「神は正しい者に味方する」という考えからだ。
    神明裁判の流れをくむ、決闘裁判の背景にはこういう宗教的な世界観がある。

    神明裁判
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%98%8E%E8%A3%81%E5%88%A4

    北欧神話を元にしたオペラ『ローエングリン』の冒頭場面は、殺人の疑いをかけられた無実の姫を助けるため、騎士が現れて代理として悪人と決闘し、勝利するというものである。
    この騎士物語的な世界観に則れば、迷いがあったものの、メタナイトはデデデ大王の側に正義があることを証明するために、カービィと戦ったが敗れた、ということになる。
    あるいは迷いなんかなく「ナイトメアを封じることがプププランドにとって正しい道! 我が剣でそれを証明してみせる! かかってこいカービィ」だったのかもしれないが。

    なお、同じく北欧神話のブリュンヒルデの物語は「英雄ジークフリートが眠っている騎士の鎧を真っ二つにきると、美しい衣をまとった姫であった。目を覚ました姫はそのまま英雄と結婚した」というようなものである。

    ブリュンヒルデ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%87

    つまりメタナイトは「デデデ大王とカービィのどっちが正しいかを、デデデの代わりに自分がカービィと戦って決める」ことにしたのではないか。

    メタナイトが剣を投げたのは、そういうルールに則った決闘でなければ、「神聖なものにはならない」と考えたからだ。
    そして彼らの世界の運命の神は、カービィに味方した。

    『星のカービィ ロボボプラネット』について。初歩的なことを語ってみようと

    ※これはTwitter上で行われたカービィ版深夜の真剣考察60分一本勝負参加作品です。
    以下の投稿に合わせて執筆を開始しました。


    「リスクを犯してリターンを得る。これがゲームの本質だ!」
    桜井政博氏の2004年の講演より。桜井政博のゲームについて思うこと 2 Think about the Video Games

    これを参考に『星のカービィ ロボボプラネット』を語ってみようと思います。

    「吸い込み」について

    このゲームで、プレイヤーが操作するキャラクターをカービィといいます。
    ピンクの丸い玉に手足がついたようなキャラクターです。
    このカービィを操作して、ゲームをすすめます。
    最初の状態では、カービィは、遠くの敵をやっつける手段を持っていません。
    ですから、敵に近づきます。
    敵に近づくと、敵の攻撃があたるというリスクがあります。
    しかし、カービィの「吸い込み」という攻撃があたる可能性が出てきます。
    そしてこの「吸い込み」という攻撃を行うと、敵はカービィの口の中に入ります。
    その敵をそのまま飲み込むことができます。これは敵をやっつけるというリターンを得たことになります。また、この口に入れた敵を再び「星形弾」としてはき出して、遠くの敵をやっつけることができます。これもリターンです。この敵を口に入れた状態を「ほおばった」といいます。
    敵に近づくリスクを冒さずに、敵をやっつけることができるのが星形弾です。ですが、敵をほおばった状態だと、穴に落ちやすくなるというリスクがあります。
    またカービィは空を飛ぶことができ、敵というリスクを避けることもできます。

    カービィの吸い込みが届く範囲を正確に認識し、敵それぞれの動きや攻撃範囲を覚えると、「吸って吐く」だけでも多くの敵が倒せるようになります。

    「コピー」について

    また、吸い込んだ敵の能力を「コピー」することができます。たとえば、火を吐く敵を飲み込んだ場合、カービィも「ファイアカービィ」に変身し、火を吐くことができるようになります。これが、リスクを犯して敵を飲み込むことにより、得られるリターンです。
    この「コピー」によって得られるリターンは、単に敵を倒しやすくなる、だけではありません。『星のカービィ ロボボプラネット』には謎解き要素があり、「正しいコピーを選ぶ」ことで、次のステージに進める「キューブ」などのリターンを得ることができます。

    様々なコピーのそれぞれの技を覚え、それらを正確に出せるようになるのは(人にもよりますが)時間がかかります。これがこのゲームでプレイヤーが払う、主なコストとなります。しかし様々なコピーの正しい使い方を覚え、正確に操作できるようになると、このゲーム内で多くのリターンを手に入れることができるでしょう。

    敵の攻撃を覚えた上で、それに対応するということも重要です。

    敵を知り、己を知れば、百戦危うからずということですね。
    口で言うのは簡単ですが、このゲームは主人公の技が数多くあり、敵もとてもたくさんの種類がいて、ステージも様々な、豪華なアクションゲームです。最後の最後までクリアしようとすると、とても大変です。
    ですが、ご安心を。自分と敵の技の数々を全て覚えなくても、多くの人がメインストーリーはクリアできるように難易度調整されています。

    今回の新要素である「ロボボ」について

    ロボボはこれ自体がリターン(ご褒美)となる要素です。用意されていることが多く、得るためのリスクはないことが多いのです。地道に敵を倒し、仕掛けを避けてきたカービィ。それが、強力なロボボを得ることで、敵をより少ないリスクで倒し、壊せなかったブロック等を壊せるようになり、アイテムなどの様々なリターンを得やすくなります。
    また「正しいコピーを選ぶ」ことによる謎解き要素は、ロボボに乗った状態でもあります。

    『アインシュタインよりディアナ・アグロン』歌詞騒動について

    『アインシュタインよりディアナ・アグロン』歌詞騒動のかんたんなあらすじ

     秋元康が『アインシュタインよりディアナ・アグロン』という歌詞をHKT48のために書き下ろす。

    【MV】アインシュタインよりディアナ・アグロン [なこみく & めるみお] (Short ver.) / HKT48[公式]
    https://www.youtube.com/watch?v=6fFmiiR94W4

     内容が「女性差別だ」として炎上する。

    「女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する  『glee』が私たちに教えてくれたこと
    http://mess-y.com/archives/29624

    差別だ、いやそうじゃない、差別かもしれないがこの程度のことは無視しろ、で議論は平行線。

     リテラが記事にする。

    HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上…「女の子はバカでいい」と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から
    http://lite-ra.com/2016/04/post-2157.html

     秋元康の側から、リテラに抗議がくる。

    秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールが
    http://lite-ra.com/2016/04/post-2181.html

    その後ネットで幅広く議論の種に。

    この騒動のポイントはこのあたり。

    作詞者が有名
    実在の女優の名前を曲のタイトルに使用
    歌詞の内容が女性蔑視と受け取れる
    歌うのは年若いアイドル

    自分の立ち位置

    グリーは見ていない。ダイアナさんの名前はこの件で知った。秋元康の歌詞とリテラの記事、どっちが好きかと聞かれたら、普段は断然秋元康の歌詞だ。が、この件ではリテラに戦ってほしい。
    ヘビーローテーションを聞いて「かわいい恋の歌だな」と思って(鈍くてすみません)、公式PVを見に行ったら、下着姿で引いた、という経験もあり、リテラの主張にも一理あると考えている。
    【MV】 ヘビーローテーション / AKB48 [公式]
    https://www.youtube.com/watch?v=lkHlnWFnA0c

    名誉をめぐる戦い

    前提として、名誉毀損法というのは、たとえそれが事実でも、女性差別主義者を「この人は女性差別主義者です!」と不特定多数に伝わるような形で、言ってはいけないという法律だ。その人の社会的評価が下がるから。
    親告罪であることもあり、ネットの言論空間では著作権法並に遵守しないことが常識になっている気さえする。しかし著作権法は厳しい法律だ。著作権者がその気になれば、絵一枚の無断転載でも勝訴できる。そのように、名誉毀損法も実は一行の非難でも、勝訴可能な厳しい法律なのだ。

    だが、「この作品の主張は女性差別的だ」と批判するのは表現の自由だ。ある人の表現の自由と別の人の表現の自由が議論という形でぶつかり合うのは、健全な民主主義だ。
    リテラの記事は、作品の分析と批判が大半だが、作詞家本人を批判している箇所もあるので、AKB運営側の弁護士にはそれなりに勝算があるのだろう。
    しかし、作詞家本人に対する批判を削らせることができても、歌詞の内容に関する批判は名誉毀損法では差し止めできない。
    リテラがその気になれば「この歌詞はひどい」という主張自体は、敗訴の後も続けられる。ぶっちゃけ、数行けずれば合法なんじゃないだろうか。

    参考
    名誉毀損で訴えるための構成要件や時効
    https://www.bengo4.com/internet/1071/%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D%E3%81%A7%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E8%A6%81%E4%BB%B6%E3%82%84%E6%99%82%E5%8A%B9/

    私はこれが炎上したのは、タイトルにも実在の人名を使ったからだと考えている。グリーや女優のファンの側にしてみれば、「名誉をめぐる戦い」を仕掛けられたという気分だろう。
    単に歌詞の内容が不道徳という話なら、昔からある話だ。

    おニャン子クラブの『おっとCHIKAN!』の歌詞が酷いw
    http://raitd.com/282


    「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞について

    歌詞は以下の動画を参照。

    【MV】アインシュタインよりディアナ・アグロン [なこみく & めるみお] (Short ver.) / HKT48[公式]
    https://www.youtube.com/watch?v=6fFmiiR94W4

    ディアナ・アグロンはどういう女優か。

    彼女は映画界にも進出し多くの作品に出演しながらチャリティ活動にも熱心だ。動物保護、同性愛者権利活動を支持しているだけでなく、毎年の自身の誕生日にはLGBTティーンの援助活動、人身売買対策活動などへの寄付を募っている。2011年には米国赤十字主催の日本津波被害者のためのチャリティランにも参加しているのだ。
    http://mess-y.com/archives/29624/3

    これはもしかして「勉強熱心で男に頼らず社会に貢献する女性にあこがれるけど、自分は頭からっぽな女の子の生き方がしたい」という女の子の歌なのでは。

    歌詞が最初から最後まで一貫していたら、単調だから、異物を混入しておくのは物語性を高めるテクニックだ。大衆向けであり、マニア向けでもあるという、それ自体はよい構成。ギャップのあるキャラ作りなんだと思った人は、たぶん、ラノベとかになれてる。

    微妙な例えだが、環境省のツイッターをフォローしてて、飲むコーヒーにはカエルのマーク、カップにはパンダのマーク、添えるクッキーはフェアトレード、のせるお皿は間伐材、眠るシーツはオーガニックコットン、好きなアニメキャラはデデデ、というようなものではなかろうか。これに「好きなキャラの名前おかしいだろ」と突っ込むことができる人は、少なかろう。

    作詞者がグリーの内容も知り、ダイアナがどんな女性か知った上で、この歌詞を書いた可能性は高い。
    しかし私のこの「ひねったんだろう」という読みは、大半の人には「深読みしすぎ」に思われそうだ。
    それはつまり「ダイアナとはバカでいたい女の子が好きそうな女優」とあの歌詞を聴いた人の大半は、素直に受け取るだろうってこと。
    それはグリーやダイアナが好きな人には、「女優のイメージを傷つける行為」だ。

    一生懸命がんばっているアイドルが好き、と、親の金をアイドルにつぎ込む架空の男性ニートの歌があったとして、そのアイドル名が実名だったら、アイドルとそのファンは怒って当然じゃなかろうか。
    その歌詞の目的が風刺だとしても。

    歌詞だから「ダイアナ自身が頭からっぽだとは言っていない」とか主張する余地は、あるだろうけどね。
    じゃあそこに突っ込むのは、ネタにマジレスなのか。
    失礼ながら、グリーがどんな作品か知っている人の割合が、日本で高いとは思えない。
    「その歌詞を耳にする大半の人が知りもしなければ、調べもしない固有名詞」を、それを承知で入れるのは「それが誤解されてもかまわない」ってスタンスだろう。わかる人はおもしろがったり、感動するかもしれないけどね。なら「誤解されるだろ!」というのは、筋の通った批判。

    ビジネスとしては「女の子はバカでいいの」といいつつ「女性の自立」を訴えるような実在の女優が好きだという、架空の少女を演じる実在のアイドルに萌えろって話だろう。

    でもこれは、その架空の少女がその実在の女優を好きと言いつつ、否定する展開ともいえる。「努力し社会貢献する女性をきれいごと扱いしている」のだから、女性の自立と社会参加を主張する側が批判するのは当然。

    しかし一生懸命勉強して、企業で働くという「女性の自立」の現状は、あまり素敵なものではない。それはフェミニストの側も承知だ。

    上野千鶴子先生、東大女子は幸せですか? 力尽きるまで、働くしかできない女たち
    http://toyokeizai.net/articles/-/40336

    女性が勉強し努力しても、男性のように高い地位に就けるかっていうと現状は厳しい。
    そこはダイアナ・アグロンの出演したドラマ、グリーでも描かれた点だ。
    なら、バカの方が楽じゃないか、と思っても、専業主婦にもそうそうなれないこのご時世。
    「アインシュタインよりディアナ・アグロン」は、「科学的真実」も「女性の自立」も「男頼り」も夢物語でしかない現代の歌詞だ。
    そんな現実の中で「女はかわいければいいの」という少女は、自分とつきあう男性と、努力する女性の両方を冷ややかに見つめている。

    おニャン子クラブが消えていく頃には、女性バンドが全盛だった。だけど、今は自力でがんばる女性は音楽でもきっと流行っていない。アイドル総選挙のためにがんばるというのは、男の支えを求める話だ。また、ボーカロイドに自立はない。

    これが女性のシンガーソングライターが自ら歌ったのなら、その皮肉が共感されたかもしれない。しかしこれは男性作詞家が少女に歌わせているのだ。

    秋元康の歌詞には虚無があるという。

    秋元康の「虚無」~新曲歌詞の騒動に関する、CDB氏のツイートを中心に
    http://togetter.com/li/961961

    ただ、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」は、空虚だから、寝ていよう、とはならなくて「恋」という形で、若さを消費しようという呼びかけだ。それはこのアイドルという商品の客に対して「疑似恋愛でむなしさを埋めようよ」とささやいているのかもしれない。

    その刹那主義はたしかに虚無だけど、私は自立や努力を否定するのはやはり不道徳だと考える。

    孤独で不道徳な人間の苦悩が文学だったりするから、こういう内容の歌自体は「面白い」。
    でも、それが「日本文化」として扱われ、税金が費やされたりするのは、果たして正しいのだろうか。
    日本国内でも賛否のわかれるようなものが、文化の違う海外に「クールジャパン」として流れ出す、そのリスクはどうなのか。
    議論はあってしかるべき。リテラもアイドルとプロデューサーと政治の関わりを突っ込みたかったらしい。

    私としてはこれを機会にアイドルビジネスと女性の自立についての議論が深まって、名誉毀損と表現の自由についての判例が増えればいいと考えている。