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    アニメ『星のカービィ』でよくスポットのあたるキャラ

    アニメ『星のカービィ』で重要なキャラって誰だろう、そんな素朴な疑問を抱いた。

    なので、タイトルに名前が乗った回数を数えてみるというのをやってみた。
    これには議論の余地がある。
    12話は「デデデ城」という「地名」でキャラ名じゃないよな。 「デデデワイド 」は「番組名」だよな。でもどっちもデデデが重要な役を演じている。
    エスカルゴン・ロボは、ゲスト名とすべきなのか。

    判定が微妙なので、地名や番組名も含めて、まずは機械的にカウントした。
    「第69話 ウィスピーの森のエコツアー」はウィスピーウッズにカウントした。

    タイトルに名前が2回以上登場するキャラのみカウント。メーベルの大予言は前後編なので、1話にカウント。

    カービィ 第15話 第30話 第51話 第93話 第95話 第100話
    デデデ 第12話 第28話 第37話 第49話 第55話 第90話 第91話
    ウィスピーウッズ 第5話 第27話 第44話 第69話
    エスカルゴン 第25話 第39話 第78話 第88話
    ナックルジョー 第19話 第40話 第65話
    ワドルディ 第47話 第72話 第92話
    キュリオ 第8話 第84話

    詳しいタイトルはウィキペディアを参照。

    デデデの場合は、地名や番組名も含まれると考えると、もっとも重要なキャラは主人公であるカービィ。次いでデデデ。ウィスピーウッズがタイトルに入っていても、アコル回とかウィスピーウッズほぼ出てこないしな。重要人物でも、カスタマーサービス回なんてものはないし。

    じゃあ、修正込みで、カービィ、デデデ、エスカルゴン、ウィスピーウッズ、ナックルジョー、ワドルディ、キュリオの順なのだろうか?

    やはり内容で判定した方が良さそうだ。というわけで、主観でリスト化してみた。

    デデデ回とカービィ回は、判定しにくいので省略。

    メタナイト回
    第3話 え! メタナイト卿と対決?  吉川惣司
    第26話 忠誠! ソードとブレイド 野添梨麻
    第60話 宝剣ギャラクシア! 山口伸明

    ダイナブレイド回
    第7話 逆襲! ダイナブレイド 国沢真理子
    第23話 迷子のダイナベイビー 国沢真理子
    第87話 襲撃! カラスの勝手軍団 国沢真理子

    ナックルジョー回
    第19話 ナックルジョーがやって来た! 野添梨麻
    第40話 魔獣ハンターナックルジョー! 野添梨麻
    第65話 逃げてきたナックルジョー 野添梨麻

    ワドルディ回
    第47話 帰れ、愛しのワドルディ 野添梨麻
    第72話 ワドルディ売ります 野添梨麻
    第92話 ワドルディの食文化大革命 下由あい

    フーム回
    第16話 私を愛したサカナ 山口伸明
    第67話 魔獣教師2 吉川惣司
    第89話 オタアニメ! 星のフームたん 国沢真理子 吉川惣司


    カワサキ回
    第11話 宮廷シェフ・カワサキ 山口伸明
    第29話 激辛! ファミレス戦争 国沢真理子
    第34話 究極鉄人、コックオオサカ 野添梨麻
    第68話 勝ち抜け! デリバリー時代 あんのうん
    第73話 まわれ! 回転寿司 吉川惣司
    第86話 弟子対決! コックナゴヤ あんのうん


    エスカルゴン回
    第12話 デデデ城のユーレイ 国沢真理子
    第25話 エスカルゴン、まぶたの母 国沢真理子
    第39話 忘却のエスカルゴン あんのうん
    第55話 ある愛のデデデ あんのうん
    第78話 発進! エスカルゴン・ロボ あんのうん
    第88話 はだかのエスカルゴン あんのうん

    メタナイト回が少ない。しかも担当者がばらばら。
    ワドルディ回は最初の2回が同じ人。
    ナックルジョー回は3回とも同じ人。
    カワサキ回が多い。しかもアイデア勝負する気か、担当者がほぼかぶらない。
    オリジナルキャラの、エスカルゴンにスポットをあてた回が多い。しかも担当者が明確。
    上のリストにはないが、ウィスピー関連回も最初の話をのぞき、一人の脚本家が担当している。

    このリストには議論の余地がある。
    「第16話 私を愛したサカナ」はカイン回じゃないかとか、「第26話 忠誠! ソードとブレイド」はタイトル通り、ソードとブレイド回じゃないかとか。

    ウィスピー回の多さは、このアニメのテーマのひとつに「自然保護」があるからだろう。
    カービィと仲間との友情を描く! という路線なら、カービィ回とメタナイト回、ナックルジョー回。
    デデデと部下達の関係を描くという路線で、ワドルディ回とエスカルゴン回があるんだろう。ワドルディ回の2回は、ナックルジョー回と担当脚本家が同じで忠誠心路線。
    エスカルゴンって放映当時から、スタッフと視聴者に受けていたのかな。担当者が決まっているということは、キャラがぶれないようにしているってことで、案外エスカルゴンの物語は、シリアスな物語なのかも。
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    タグ : アニカビ

    脚本家ごとのデデデ(短文版)

    アニメ版『星のカービィ』の脚本家は計11人いる。
    実は脚本家によってデデデ大王の言動はかなり違う。
    だから、代表的な5名の脚本家ごとにデデデをわけて、まとめてみた。

    詳しい担当話数はウィキペディアのスタッフリストを参照。


    吉川惣司監督脚本回のデデデ(吉川デデデ)

    アニメ版デデデのいわばオリジナル。
    支持率を気にする派手好きな独裁者。
    自分の治めるプププランドが、発展途上国なのを気にしているらしい。
    花火大会を開催したり、城を遊園地にしたり、工場を建てたり、魔術学校を建てたり、小学校を建てたり、クイズショーを開催したり、回転寿司を運営したり、天体望遠鏡を導入したり、美術館を建てたりした。
    「環境破壊は気持ちいいぞい!」とウィスピーウッズを切り倒してゴルフ場を造ったのも、焚書したのもこの吉川デデデ。
    開発独裁を目指して失敗している感じか。

    楽しそうに悪事を働く。意地悪と悪巧みにかけては一番で、普段は傲慢で偉そうな態度だ。
    しかし思い通りにならないとカスタマーに文句をいい、エスカルゴンをなぐる。
    失敗すると子どものように泣きわめく。
    カービィ打倒に一番燃えていて、そのためにはスギ花粉まで利用しようとする。
    暴力的でイジメ大好きだが、自分がやられる番になると、怯えてエスカルゴンと抱き合う。

    趣味はチャンネルDDDで放映する番組作り。「歴史はスタジオで作られる~♪」
    アニメ制作にも二度挑戦した。「わしがアニメをつくる一番偉い人、プロデューサーぞい」

    トラウマを負っているのはこの吉川デデデ。カービィに襲われる悪夢も見た。

    「アニメは才能が無くとも作れると言う証拠に 監督はエスカルゴン! 貴様ぞい!」等、辛辣な台詞を数多く吐いている。

    代表的な回
    「第1話 出た! ピンクの訪問者」「第5話 怒れ! ウィスピーウッズ」「第6話 見るぞい! チャンネルDDD 」「第13話 ププビレッジ年忘れ花火大会」「第38話 読むぞい! 驚異のミリオンセラー 」「第41話 メーベルの大予言! 前編 」「第49話 アニメ新番組星のデデデ 」「第83話 魔獣教師3 」「第100話(最終話) 飛べ! 星のカービィ 」
    ※1話から6話までの脚本は全て吉川監督なので、初期のデデデは吉川デデデといえる。


    国沢真理子さん脚本回のデデデ(国沢デデデ)

    だらしなくていたずらずきなお子様。
    お化けが怖くて恐竜が好き。チョコカプセルにもはまった。
    引きこもりな傾向があり、テレビを見ながらお菓子を食べ、袋をそこらにポイする。
    そしてそんなカウチポテトライフを「わしの理想ぞい」と開き直る。
    その結果、虫歯になったり、太ったりした。

    「人が苦しむのを見るのは実に楽しいもんぞい」と言ったりする、いじめっこな性格で、エスカルゴンに恨まれている。「陛下、私を捨てるでげすか!?」と聞くエスカルゴンに「当然! 我が身大事ぞい」と答えた。

    よく鎖で縛られる。
    そして鍛えているようには見えないのに、国沢デデデは力が強く、手かせを引きちぎったり、素手でドアを破壊したりする。
    しかしかなりの臆病者であり、夜トイレに一人でいけなくなったりした。

    「何をやっても許されるのが 特権階級ぞい」と言い、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない。「国の宝はわしのもんぞい!(この後宝石狙いで魔獣をダウンロード)」「どうしてもメタナイトがでないぞーい!(この後盗みに入る)」「こうなったらこの世の終わりまで わしにつきあうぞい(エスカルゴンをはがいじめにしながら)」「恐竜くんが絶滅したなんてうそぞーい(この後恐竜を復活させようとする)」と欲のままに生きている。

    だらしのないところと側近に心配されるところは、マンガ『星のカービィ―デデデでプププなものがたり』(著 ひかわ 博一)のデデデに似ている。

    「国家ぐるみの場合は犯罪にならんぞい」等、露悪的な台詞を数多く吐いている。

    代表的な回
    「第12話 デデデ城のユーレイ 」「第25話 エスカルゴン、まぶたの母 」「第29話 激辛! ファミレス戦争」「第32話 歯なしにならないハナシ 」「第42話 メーベルの大予言! 後編 」「第46話 真夏の夜のユーレイ! 後編 」「第52話 悪魔のチョコカプセル! 前編 」「第61話 肥惨! スナックジャンキー 」「第66話 さまよえるペンギー 」「第76話 夢の恐竜天国! 後編 」


    野添梨麻さん脚本回のデデデ(野添デデデ)

    遊び暮らしたい気まぐれな王様。
    「おーい、お茶」とワドルディを呼びつけて紅茶を飲む。テレビのリモコンすらエスカルゴンに操作させる。「パターゴルフするぞい」とエスカルゴンを片腕で抱えて、庭に行こうとする。
    徹底的に自分本位。普段はご機嫌だが、気に入らないことがあると、すぐ部下を首にしようとする。警察署長を首にしようとしたり、ワドルディを首にしたりした。お気に入りのエスカルゴンは首にされないかわりに、殴られたり、身代わりにされる。
    浪費癖があり、エスカルゴンによくとがめられている。

    最も人任せなデデデで、自ら陰謀をたくらむことは少なく、黒幕はカスタマーであることが多い。

    残虐度は低く、カービィを倒すという目的意識は薄い。
    カービィのロボ犬を横取りしようとしたり、カービィの友達になったローナを嫁にしようとした結果、カービィの敵になった。

    受け身で愚かで男らしい。
    いい飯を食い、いい車を乗り回し、いい女をめとって、面倒なことは他人にやらせ、ゴルフでもして優雅に過ごしたいのだろうが、色々と厳しい現実に直面している。

    面倒を見てくれる人が誰もいなくなった後「ワドルディ愛していたぞーい」と悔やんだ。

    毒気は少なく、ネットでのデデデ名(迷)台詞集や名場面集にほとんど台詞が入らない。

    代表的な回
    「第15話 誕生? カービィのおとうと 」「第19話 ナックルジョーがやって来た! 」「第21話 王女ローナの休日 」「第34話 究極鉄人、コックオオサカ 」「第47話 帰れ、愛しのワドルディ 」「第59話 最強番組直撃! 晩ごはん 」「第72話 ワドルディ売ります 」「第90話 爆走! デデデス・レース 前編 」


    山口伸明さん脚本回のデデデ(山口デデデ)

    自国の評判を気にするゴルフ好きの経営者。
    陣頭指揮をとるタイプで、プププランド観光ツアーを企画して、自ら観光客を案内したりした。
    自分のためのゴルフ場建設を夢見ていて、何度も森を伐採しようとする。
    忍者ごっこに興じるなど、子どもっぽい一面も持つ。
    カービィを倒すことには、ほとんど興味がない。その目的で行動したのは、レースの回ぐらいだろう。
    人をだますのがうまく、わりと計画を立てて行動する。カインやウィスピーの恋心につけ込むなど、悪魔的な一面もある。
    スカーフィを溺愛したが、食費がかかることに気がつくと森にポイ捨てした。
    臆病で、森の住人に囲まれたとき、エスカルゴンに一足先に逃げられて「一人にしないでぇ」と追いかけた。
    あまりエスカルゴンを殴らず、たまに助けたりもする。エスカルゴンにいうことを聞かせるため、ボーナスを出すぞいと言ってみたりする。
    森で遭難してエスカルゴンに「愛していたぞい」と言って「愛しているでげす」と言われたのは、このデデデ。でも「みんな秘書のせいぞい」と何かあると責任を押しつける。

    毒気は少なめで、ネットでのデデデ名(迷)台詞集や名場面集にあまり台詞が入らない。

    代表的な回
    「第16話 私を愛したサカナ 」「第24話 ニンジャ、ベニカゲ参上! 」「第27話 恋に落ちたウィスピーウッズ 」「第35話 栄光のプププグランプリ 前編 」「第48話 プププランド観光ツアー 」「第56話 わがままペットスカーフィ 」「第69話 ウィスピーの森のエコツアー 」


    あんのうんさん脚本回のデデデ(あんのうんデデデ)

    陰謀に暴力と手段を選ばないご主人様。
    衝動的な行動が多いが、人をだますこともよくある。捏造満載のワイドショーで、カービィの評判を落とそうとした。
    庭でのバーベキューが好きで、ヒツジを焼こうとしたり、サザエを焼いたりした。間違えてエスカルゴンも焼こうとした。
    愛の魔獣「トゲイラ」にとりつかれた際、「陛下はもう私のモノ!今までの借り千倍にして返してやる!」とエスカルゴンに殴り倒された。その後、魔獣が離れて元に戻り「殴らせろ」と逆に殴り倒している。
    カービィに対する対抗心が強く、カービィをパイで葬ろうとした。
    その後、パイ魔獣に食べられ「備えあればうれしいな」「ダメで元々! 人生はギャンブルぞい」と爆弾を投げた。
    ボンカースをだまして、カービィを倒そうとした。それがうまくいかないと、ボンカースを魔獣に変えた。
    悪い意味でプライドが高く、バカ扱いされることを恐れて、カゼをひくために城の堀に飛び込んだりした。ワドルディにカゼをうつそうと、くしゃみをかけまくったりした。
    間が抜けていて「そういえば」とか「忘れていたぞい」とかいった言動が多い。

    やや方向が違うが、残虐性では吉川デデデと並ぶ。
    裸見たさにエスカルゴンの殻を割って「悪魔!鬼!人でなし!デブ!サディスト!」と、ののしられたのはこのデデデ。「悪魔よ、去れぃ」と言って、マイマイゴンを倒そうとした(エスカルゴンを助けようとした)のもこのデデデ。
    「悪魔はわしぞい」と自らデビル・フロッグにとりつかれて魔獣化した。

    毒気のある台詞も多い。「何をはずかしがるぞーい」(中略)「なかなかぞい」のくだりは迷言集やネタ動画の定番。

    代表的な回
    「第33話 え〜っ! 宇宙のゴミ捨て場」「第50話 貯めるぞい! のろいの貯金箱 」「第57話 パイを笑う者はパイに泣くぞい! 」「第63話 師走のカゼはつらいぞい! 」「第79話 ボンカースあらわる! 」「第88話 はだかのエスカルゴン 」「第95話 デビル・カービィ! 」

    タグ : アニカビ

    アニメ『星のカービィ』のあらすじと完成品が違う35話

    アニメの内容を決めているのは、誰だろうか。
    ウィキペディアの『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の項目には、こんな記述がある。

    三波春夫は本作品のエンディングテーマである「ルパン音頭」を歌っており、これも藤岡豊の指示で挿入されたものであり、承知していなかった監督の吉川惣司が降板すると言い出す騒ぎとなった。

    この引用文の藤岡さんは制作の人だ。

    同じく吉川惣司監督のアニメ『星のカービィ』第49話「アニメ新番組星のデデデ」は、プロデューサーのデデデがアニメの内容を、自分の好きに変えようとして作品をぐちゃぐちゃにしてしまう話だった。
    そして脚本家のフームが「なによ こんなくだらない台詞にかきかえて」と怒る場面がある。
    やはり監督のエスカルゴンが、書き換えたんだろうか。ということは「陛下こそさわやかでぇ」とか「おまえこそ美しいぞい」の台詞を書いたのも……。
    また同じ話でエスカルゴンが「得意のアドリブでごまかすでげす!」と言っているが、声優にも脚本を変更する権限はあるってことだ。だがそれにも修正がかかることがある。

    最終話のアフレコ(音声録音)のとき。悪の親玉ナイトメアが、カービィの味方の女の子、フームを連れ去るとき、必死で追いかけるカービィが思わず「フームぅ!」と叫びました。これは台本にはなく、声優さんのアドリブ。わたしも含め、これには関係者一同びっくり。目を見合わせてしまいました。そして、監督との長いやりとりのあと、ボツになりました……。
    『桜井政博のゲームについて思うこと』 2005年

    この引用文のように、監修にも大きな権限がある。特にこのアニメの場合は、著作権者はスポンサーを兼ねているのだ。というか、それを止めるのに、アレとかアレを止めなかったんだ……。

    つまり、脚本を変更する権限は、演出にも、監督にも、声優にも、監修にも、プロデューサーにもある。
    できあがったアニメを見て、脚本家の作風を割り出すのは難しい。
    そして、どこまでが声優のアドリブなのか。演出による修正なのか。監督による修正なのか。監修による修正なのか。
    まあ、関係者しかわからない。
    漫画なら担当編集者だけなので話はシンプルだな。もちろん他の編集者も間接的にからんでくるだろうが。

    アニメ『星のカービィ』の公式サイトには、各話のあらすじが書いてあるのだが、それがアニメと違っている回がある。
    第35話「栄光のプププグランプリ 前編」(脚本 山口伸明)だ。

    公式サイトによるとこう。

     オモチャ屋・ガングから手に入れたゴーカートに夢中のブンとカービィ。村中を大喜びで駆け巡る。途中でデデデ大王の装甲車も颯爽と抜かしていく。
     ブンにゴーカートで抜かれ、負けず嫌いデデデ大王は不機嫌だ。
    さっそくいつものホーリーナイトメア社から豪華な特注車を注文。かっこいい車が手に入り、途端に上機嫌になったデデデ大王は、ププビレッジのみんなに「プププ.グランプリレース」の開催を宣言する。
    公式サイト 第35話 「栄光のプププ・グランプリ(前編)」

    脚本段階では上記のようだったのだろう。(小さなことだが、「ナイトメア社から豪華な特注車を取り寄せた」か「ナイトメア社に豪華な特注車を注文」では)

    しかし、実際にあがったアニメは「デデデとエスカルゴンがただお散歩していただけらしいのに、ブンのカートに追いかけられて、二人で川にどぼんして、さらにデデデの頭の上にカービィが落ちてくるという目にあったので、デデデが怒って自動車レースを開催する話」だった。
    なんでこうなったかというと、真面目に考証したからではなかろうか。

    「装輪装甲車では110km/h以上の速度が出せる。」ウィキペディアより。

    「カート」はスポーツカートいうカテゴリーに分類され、競技で使用されます。調整次第で、時速200km以上も出せる「レーシングカート」に。カートが専用のコースを走行するのに対して、「ゴーカート」は遊園地などで楽しむ最高速度20~30km程度の乗り物です。カートのスピードは一般的に時速約50~90km。

    カート/ゴーカート

    まあゴーカートでは装甲車を抜くのは無理だな。レーシングカートに設定しなおすのも大変そう。
    吉川監督か演出の大関雅幸さんか、カートを作画しようとした担当者かが気づいて、脚本家でもある吉川監督が修正をしたのでは。山口さんの最初の脚本の段階ではブンが攻撃的ではなく、デデデとエスカルゴンの扱いも乱暴じゃなかったのだろう。
    うむ、子供が王様を車でおいまわすとか、反逆罪で極刑ぞい。

    なので、登場人物の言動を、全て脚本家のせいにするのは無理がある。
    しかし詳しいことがわからない現状では、まずはそう仮定せざるをえないな……。

    タグ : アニカビ

    『星のカービィ TDX』のOPを見て「え?」となった話

    実は、私は『星のカービィ トリプルデラックス』のオープニング(公式サイトにとびます)でかなり困惑した。この時、私がクリアしたカービィシリーズは『毛糸のカービィ』だけだったからだ。
    だから「デデデがさらわれたので、カービィが助けに行く」という物語が理解できなかった。
    「えっと、どういう関係? というか、この命がけの戦いの賞品は、この生意気そうなペンギンなの?」みたいな。

    『毛糸のカービィ』をやったらデデデを知ってるんじゃ、と思うだろうけど、少し間が空いているし、毛糸のデデデは「敵として出てくる、カービィの前からの知り合い」みたいに認識していたよ。毛糸の描写なら、それも誤解とまではいえないような。

    『毛糸のカービィ』は最初にナレーションつきで、物語の説明があった。
    そしてカービィとフラッフはよく似た容姿なので、「ああ、お友達になったのね」で即座に納得した。

    トリデラでステージをすすめると時々、タランザが網に入ってぐったりしているデデデをほれほれして、カービィが必死に追いかける、という寸劇が入るので「よくわからないけど、このゲームの主人公はあれが欲しいらしい」とだんだん同情的な気分になってきた。
    しかし私には、子供がUFOキャッチャーのぬいぐるみを、とろうとしているようにしかみえない光景だったな。
    戦闘シーンの前で、タランザがデデデのことをカービィの「ともだち」と言ったあたりで、ようやく「ああ、以前主人公と戦ったライバルとかそんな扱いか」とゲーム内で納得した。

    普通、人質は「同種」「異性」「年下」「美形か可愛い」「善良そう」「小柄か、細身」だろう。途中に出てくる籠に入った妖精さん達は、そんな感じ。
    しかしデデデについては、異種でたぶん同性で、主人公に比べて可愛くなくて、なんとなくえらそうで、性格きつそうで、大柄で太っていて、男だろうにほぼ無抵抗で捕まった人質を救うとか、いったい何が起きたのかと。

    主人公と人質の関係は同種の異性であるのが、やっぱりわかりやすい。

    宮本茂はプレイヤーにゴールへ向かうための動機付けをするために、ゲームウォッチの『ドンキーコング』で女性を敵のそばに置き、主人公をそこから離れた所に置いた。ヒロインの誕生である。
    『スーパーマリオ』シリーズのピーチ姫がさらわれるのは、もはや様式美だ。
    『ピクミン2』では、後半はルーイという主人公の同種の男の仲間を救うために冒険するのだが、前半はそのルーイと冒険する。ルーイの方が目下である。

    王様がさらわれるというパターンなら、依頼人を立てて欲しかったな。
    「カービィ様、私たちのデデデ大王様が何者かにさらわれてしまいました。どうか取り返してください」と目の前で主君を奪われたワドルディが泣きながら、勇者であるカービィに頼むというのなら、よくある話として理解できた。
    例えば『スーパーマリオブラザーズ3』は、マリオがキノピオに頼まれて動物に姿を変えられた王様たちを救う話だ。
    wii版 VC スーパーマリオブラザーズ3 (画像にも注目)アニメだとエスカルゴンが「カービィ、デデデ陛下を助けて」と依頼する役回りだったな。

    「よくある話」を追求しすぎても面白くないが、見た目が全ての無言劇で長期シリーズ故の複雑な関係を前提にすると、やはり「?」という人は出る。

    そう、トリデラを最初に見た時の私には、見かけからデデデがカービィの敵に見えたのだ。
    二十数年前、デデデはそのためにデザインされたキャラなのだから、それは正しい見方だし、そう見えるように描いたゲームスタッフの側だって、正しい。実際途中で敵として出てくるしね。

    最初は仲が悪いが、途中で仲間になる『星のカービィ64』の逆で、トリデラは最初の1ステージぐらいはカービィとデデデが一緒に冒険して、異種族だが「ともだち」という認識を初心者に持たせてからの方が、人質の意味があったんじゃないか。
    ゲームスタッフはデデデを見慣れすぎて、デデデがデデデにしか見えなくなっていたんじゃないだろうか。
    なお私は映画版『ドラえもん』を何本も見ているので、『星のカービィ64』も「ああ、ジャイアンか」と納得したのだが、映画版ドラえもんを見たことのない初心者は、どういう反応なんだろう。

    絵としてはデデデよりもメタナイトが拉致された方が、カービィと見た目が同種なので「主人公の親族か先輩か師匠がさらわれたのか」と納得しやすい。ゲームでは親族でも師匠でもないらしいけど、「仲間」に見えるってのは、大事なことだろう。もちろん、カービィがさらわれてメタナイトが助けに行く方がしっくりくるような気はするけど。

    野生では動物は異種と「ともだち」にはならない。野生動物にも友情はあるが、それはほぼ同種との間だけだ。共生相手は「ともだち」なのかどうかという話は置いておく。人間、特に大人はなんとなくこの原則にそって物事を見ている。

    アニメ版でメタナイトがカービィの保護者に選ばれているのは、ゲームでアイテムを投げて援助したというだけではなく、「容姿が近い」という要素があるだろう。

    主人公でヒロインでラスボスとか、トリデラのデデデは名役者だな。
    それともこのゲームには、役者(キャラクター)が不足しているのか。

    以上、「デデデ大王(ヒロイン)」に混乱した初心者の感想でした。

    テーマ : 3DSゲーム、3DSニュース、3DS情報 - ジャンル : ゲーム

    種族の壁は性別の壁より高い

    ペンギンは人に本気で求愛することができるが、人は本気でペンギンに求愛できないらしい。

    今回は性愛における種の壁について、本を読みながらつらつらと。

    DSM‐IV‐TRケースブック(2003年)P247に、こんなことが書いてあった。

    アルフレッド・C・キンゼイが設立したインディアナ大学性調査研究所に、本書のために動物性愛、DSM-IV-TRでは特定不能の性嗜好異常の1つとして入れられているもの、の症例を出してくれるように依頼した。1938年から1963年の間に面接された数千人の患者の膨大な記録から、コンピューター検索で、動物との性行為を広範に行った96症例のあることがわかった。(中略)他の性嗜好異常とは違って、動物との性活動はこの症例のごとく、常に第2の選択であるようである。


    私はなんとなく世の中には「人間の女より馬のメスの方がいい」とか「イヌの方がかわいい」とかいう「人間<けもの」の変態さんがいるもんだと思ってきたが、人類にはいないのか。第2の選択とはそういうことだよね。
    馬に蹴られて死んだりしている人達は、ちょっと冒険してみただけなんだね。あるいは好みの女が目の前にいないので、羊で妥協したとかなんだね。
    少なくとも米国精神医学会は、「彼らは人間の女とつきあえないから、動物の雌を選ぶのだ」という認識だってことだな。

    人間の女より動物の方がいいという人が、いないということを証明するのは不可能だろう。だが、キンゼイの研究所と米国精神医学会が探して見つからない人物だから、いても少なかろう。
    もっともこの本は「精神障害の症例集」だから「自分が(性的な意味で)動物好きで困る」と医者にかかるか、何らかの犯罪を犯して逮捕されないかぎり、そういう人は実在しないことになるな。
    他人に迷惑をかけたり、自分に困っている「人間よりも動物が好きな人」はいないんだということにしておこう。
    なお、精神障害の場合は細かい定義があるが、犯罪と違い、「実行すること」は必要条件ではない。
    おおざっぱにいって、6ヶ月以上動物との行為を空想した結果、日常生活や仕事に著しい支障をきたせば障害だ。しかし「著しい支障」のハードルは高そうだな。
    DSM-5ケースファイルの最後にはオチとして自分がパラフィリア障害(性嗜好異常障害)ではないかと精神科を訪ねたが、「タバコ使用障害 軽度」の診断しかつけられなかったゲイの男性が出てくる。本人と周囲が困っていないのなら、病ではないということで。

    DSM‐IV‐TRケースブック(に「異性<同性」の人物はいた。妻があるのに同性愛者用のSMバーに通っていた男性だ。この人が精神科医を訪ねた理由は「SMプレイの最中に、相手のマゾヒストの男性を本当に殺したくなった」だ。それは困るね。

    人類において「性別の壁」は「種族の壁」より薄い。

    なお、DSM-5からはパラフィリア障害から「同性愛」は、のぞかれている。LGBTの権利拡大の波はここまできているようだ。これに私は反対しない。
    成人同士で同意があるなら、いいんじゃなかろうか。

    同性愛は別に人類だけじゃない。
    ただボノボやペンギンの場合は同性愛者というより両性愛者なんじゃないかと。

    人間でも大部分の哺乳類でも、性的な愛の対象は、古い昔からの遺伝の深みにささやきかける特徴によって、それと明らかにわかるものなのである。だが鳥ではまったくちがっている。ヒナのときから1羽だけで育てられ、同じ種類の仲間をまったくみたことのない鳥は、たいていの場合、自分がどの種類に属しているかをまったく「知らない」。すなわち、彼らの社会的衝動も彼らの性的な愛情も、彼らのごく幼い刷りこみ可能な時期をともにすごした動物にむけられてしまうのである。したがって大部分の場合、それは人間にむけられる。
    ソロモンの指環―動物行動学入門

    異種に恋をするという方向においては、人類より鳥類の方が真剣だ。
    ソロモンの指輪には様々な実例があるが、ここでは少し前に話題になったニュースから。

    恋するペンギン、男性飼育員に猛アタック中

    この動画の中でペンギン♀(さくら)が、人間の前で腹ばいになる場面がある。
    あれは求愛の姿勢で、あの姿勢を見たペンギン♂は、その背中に飛び乗って交尾する。
    ペンギンが人間をのせたらつぶれるだろ……無理だってわかれよ。しかしペンギンは本能でそう求愛するのだ。
    このペンギン♀には、人間に求愛する前にはペンギン♂の夫がいたが死別したそうだ。人間とペンギンがまざった動物園という環境ですごしていると、人間とペンギンをまとめて「ペンギン」と認識するのだろうな。

    「みにくいアヒルの子」は感動的なアンデルセン童話だが、実際にはアヒルに育てられた白鳥は自分をアヒルと思い、アヒルの群れで暮らそうとし、アヒルに求婚して振られるのだろう。

    ほ乳類のイヌは人間を自分の群れの一員と認めるが、よほど閉鎖的な環境でない限り、人間に求愛はしないだろうな。

    人は家畜やペットと暮らしていても、中々それらに求愛しない。鳥類とほ乳類の脳のどこに違いがあるのだろう。答えは染色体のいずこにあるのやら。

    アニメ『星のカービィ』の脚本家と作画監督は途中から女性多め

    ウィキペディアのアニメ『星のカービィ』のスタッフリストを見ると、脚本家は最初は男女混合だった。

    アニメ『星のカービィ』の脚本家は総勢11名。
    男性は吉川惣司さん、馬場キスケさん、山口伸明さん、辰宮成彦さん、 吉田純哉さん。
    女性は国沢真理子さん、下由あいさん、野添梨麻さん、あんのうんさん、柔美智さん、友永コリエさん。

    最も早くに参加した女性脚本家は第7話の国沢真理子さん。吉川惣司監督を除けば、最も早くに参加した男性脚本家はおそらく第8話の馬場キスケさん。
    だが、第69話の山口伸明 さんの回を最後に、吉川監督をのぞき、男性脚本家はいなくなる。
    男性脚本家の新規参加は、第58話の吉田純哉さん(一回きり)が最後だ。
    女性脚本家の新規参加は、第80話の友永コリエさんが最後になる。


    作画監督は名前から確実に女性と推測できるのは佐藤多恵子さんで、第11話からの参加。
    佐藤さんの紅一点状態が破られるのは、第44話の山縣亜紀さんの参加から。
    三人目の女性作画監督は、第71話からの堤弘子さんで、この三名の名は最後までたびたび登場する。

    だから、二年目、特に後半となると、女性脚本家に女性作画監督の回も多くなる。

    なお、絵コンテで唯一の女性と名前から推測される、栗原葵さんが参加するのは、87話からだ。

    女性作画監督二人目の参加時期と男性脚本家の消える時期から推察するに、二年目に突入する少し前から、少し時間をかけての路線変更があったものと思われる。

    なお、第49話のアニメ中アニメの「星のデデデ」でキャラクターデザインと脚本と作画監督をつとめたのは、女性のフームである。
    アニメ『星のカービィ』のキャラクターデザインは島袋美由紀さんで、おそらく女性である。だから、ここもセルフパロディなんじゃなかろうか。

    途中から女性スタッフに入れ替えた理由はわからない。
    しかし常識的に考えて「関連商品の購買層に女性が多い」とか「視聴者に女性が多い」とかいう調査結果が出たからだろう。

    実は『星のカービィ』って女性向けアニメだったのか。
    最初の頃は、「男の子向け冒険アニメ」みたいなノリもあったが、
    最後の方は「女の子向けギャグアニメ」にかたむいたような気がする。

    スタッフの性別はほぼ全て名前からの推測である。
    でもウィキペディアで男性の吉川監督の別名義が「京春香」「高橋和美」とか聞くと危うい判定方法だなとは自覚する。
    ということで、野口木ノ実さんとはしもとかつみさんの性別がわからない。
    あんのうんさんは名前の通り(不明)とすべきなのかもしれない。一応、脚本家Hさんの別名義であるという、ウィキペディアの情報を元に女性と推測した。しかしウィキペディアに「あんのうん」が脚本家のHさんの別名義であることの根拠が書かれていないため、このサイトではあんのうんさん(たぶん女性)で通す。
    野添さんはご本人のツイッターとアマゾンでの検索から、友永さんはアマゾンでのプロフィールから、女性であることに間違いはなさそうである。

    最後に、wikipedia星のカービィ (アニメ)の項目の編集者の方々に感謝する。

    タグ : アニカビ

    操られるデデデの考察 ‐洗脳・解離・催眠・憑依

    デデデ大王といえば、「憑依体質」とか「よく操られる」というイメージがある。だが、これは最初にデデデを作った桜井政博さんが、ディレクターを担当した『星のカービィ』『星のカービィ 夢の泉』にはない描写だ。
    憑依されるデデデは、下村真一さんがディレクターの『星のカービィ2』からだ。この憑依される下村デデデの物語は『星のカービィ3』、『星のカービィ64』と続いていく。

    『星のカービィ2』の下村デデデはいわば夢遊病だ。詳しくは睡眠時遊行症で検索。子供に多いこの病を扱った有名作品は『ハイジ』だろう。原作小説でもアニメ版でもハイジは夜に一人でふらふらとあるく。『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』を参考にすると、下村デデデは真面目なタイプで、当時ストレスを感じていたということにでもなるのだろうか。睡眠時遊行症には解離性過程が関係しているそうだが、この障害は睡眠障害として分類されている。『DSM-IV-TRケースブック』にも子供の症例がある。
    『星のカービィ3』は最初から「操られたデデデを救う」がゲームの目的のひとつ。
    参考 『星のカービィ3』公式サイト
    『星のカービィ64』ではデデデは起きているときに、足下から入り込まれている。カービィに対する意地悪な気持ちが、64の下村デデデの心の闇だったのか。それを克服するために、カービィに協力するという物語なんだろう。

    アニメ『星のカービィ』制作前の時点では、憑依されるデデデといえば、下村デデデしかいなかった。これは実体のない何かに、入り込まれる形で、体を乗っ取られるデデデだ。
    体の外側にいる、誰かに操られるデデデが最初に登場したのは、吉川惣司監督が脚本を書いたアニメ『星のカービィ』第一話だ。この話でデデデを操ったのは、タコの化け物である。第100話でも吉川デデデは、ナイトメアに操られている。
    悪夢によって操られるデデデというのも、第14話にあった。これは『星のカービィ 夢の泉』の「ナイトメア(悪夢)」という敵をふまえつつ、「寝ている間にとりつかれた」という『星のカービィ2』の下村デデデも合わせつつ、トラウマ的な方向にまとめた面白いアイデア。しかも回想シーンの多用で予算節約だ。

    逆にアニメには他人を操ろうとするデデデもいた。第6話 「見るぞい! チャンネルDDD」 (脚本 吉川惣司)はそういう話だ。

    このアニメシリーズの脚本に途中から参加したあんのうんさんって、吉川監督に黒魔術的な作風を見込まれてレギュラーになったのだろうか。アニメシリーズの脚本家は11人いるが、「操られデデデ」を書いているのは、吉川監督とあんのうんさんしかいない。でもこの二人で、人が操られることの多いアニメになっている。

    憑依と洗脳や催眠は違う。下村デデデに比べて、吉川デデデはやや催眠より。
    正しくは催眠と言うより、見つめることで呪いをかける魔術、邪視(邪眼)なんだけどね。ホラーの世界では、吸血鬼の能力としても有名だ。
    邪視 - Wikipedia

    目を合わせた相手を操るのは、『ルパンvs人造人間』にもあった描写だ。マモーが不二子を操ってさらう。吉川監督の『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ小説版』では、洗脳された人物が標的の目を見ると、発作的に相手を殺したくなるという話もあった。なので、他人を操るパターンは吉川監督の個性なんだろう。

    また吉川監督は、かなりSFよりの描写だ。2003年に携帯電話を通して他人を操るとか、オリジナリティのある発想ではなかろうか。

    アニメでの憑依されデデデといえば、第55話 「ある愛のデデデ」 と第95話 「デビル・カービィ! 」(共にあんのうん脚本)だろう。ただ、これらのゲームへの影響は明確ではない。この後、憑依される(体の中にいるモノに操られる)デデデがゲームに登場しないからだ。

    この吉川監督の操られデデデが、アニメの影響が濃い『毛糸のカービィ』に受け継がれる。
    糸操り人形のようなデデデは、『毛糸のカービィ』からだ。『毛糸のカービィ』のデデデの人物像に関しては、ハル研究所の山本正宣さんが重要な人物なんじゃないかと推測する。ただ、誰がデデデに吊り糸と手板をつけたのかはわからない。
    参考 社長が訊く『毛糸のカービィ』
    『毛糸のカービィ』のディレクターは瀬井健太郎さんという人らしいが、検索しても情報が少ない。
    『毛糸のカービィ』の他には『ワリオランドシェイク』 開発スタッフインタビューにプランニングとして登場している。

    しかしゲーム『毛糸のカービィ』の操られデデデにとって、カービィはどう見えているのだろう

    1 「よくわからないヤツがきた。とりあえず倒す(健忘状態)」
    2 「カービィだとわかっているが、それでも戦う。そうしなければいけない」
    3 「カービィだとわかっているから、戦う。戦いは楽しい」
    4 「カービィには恨みがある。ぶっ殺す」

    アニメカービィのデビルカービィ回は、主に3だろうな。しかし、初回や最終回の吉川デデデは1っぽいんだよね。たぶん、毛糸も1だろう。
    ディレクターが熊崎信也さんの『星のカービィ トリプルデラックス』の時点では、デデデはカービィにやられまくって二十数年なので、心の底では恨んでいてもおかしくないが、どれなんだろうな。

    トリデラだと「命がけで助けようとした、ともだちと戦わなければならないなんて」という切なさのあるvsデデデ戦だがアニメにそんなものはない。

    その吊り糸の見える操られデデデがトリデラに受け継がれる。
    トリデラでデデデを操る糸はタランザのクモの糸。
    熊崎デデデは間接的に、吉川監督の影響を受けているってことになるな。
    操っている人物が側にいるのが、『毛糸のカービィ』とは大きく異なる点だ。
    アニメだと第89話「オタアニメ! 星のフームたん」がそれに近いな。

    それから、毛糸のデデデはアミーボ・アモーレに、毛糸で縛られてさらわれている。
    毛糸以前のカービィシリーズに詳しくないから断言はしないけど、縛られるデデデってこの時点ではたぶん珍しいよね?
    アニメを見ていると「デデデはよく拘束されるキャラ」みたいに思ってしまうが、それはほぼ国沢真理子さんという脚本家の担当回のみだ。毛糸とトリデラの「捕獲されるデデデ」は、実は国沢デデデからの流れなんじゃなかろうか。
    吉川監督と国沢さんの共同脚本回の、第89話のゲームコントローラーっぽいもので無理矢理操られるデデデという、実はこれメタフィクション?なネタは、どちらが考えたのだろうか。
    タランザはデデデがカービィに倒されたとき、デデデのキャラ性能のせいにしているが、自分の操る能力が足りないせいかもしれないじゃないか。……と、自分が使うとデデデもカービィも弱い、へぼゲーマーとしては思うのです。

    トリデラのデデデのずっと半開きの目を見ると、タランザはクモなんだし、神経毒でも使って抵抗を封じているんじゃないかと疑う。
    単に暴力で気絶しただけなら、少ししたら目を閉じそう。
    熊崎さんは、虫に詳しい可能性がある。
    例えば、クイン・セクトニアは蜂だ。そして、寄生蜂は種類が多く、植物に寄生する種類も現実にいる。

    暴行拘束拉致監禁薬物投与か……たとえ、デデデが健全な精神の持ち主でも、錯乱しそうだな。
    しかも、ゲームのデデデはトリデラの時点で、過去に何度も憑依されたり操られたりしているわけで、壊されやすい人物なんだろう。
    アニメ版は吉川監督自ら、デデデに関して「訳あり」の設定しているけど、ゲームもそういう認識なんだろうか。
    アニメ版デデデの「訳あり」については「アニメ『星のカービィ』のデデデのトラウマについての考察 (前編)」を参照

    もし、カービィと出会う前のデデデが憑依されやすい人物じゃなかったとかいうなら、カービィがデデデの心に消えない傷をつけたってことになるんじゃなかろうか。
    桜井さんが初期に想定していたのは、いい意味での「カービィに負けて恐れを知り、デデデは変わった」だと思う。
    しかし、シリーズが長期化した結果として「カービィに負けてから、デデデは壊れやすくなった」という話になってないか?

    デデデが「辛い目にあわせれば壊れる」というのなら、タランザにとって話は簡単だよね。

    まずその目の前でワドルディ達を倒して、死の恐怖を与え、部下を守れなかった罪悪感を抱かせ、本人に暴力で苦痛を与えるとともに、戦士としての自尊心を打ち砕く。
    さらに拘束して無力を思い知らせ、闘争も逃走も不可能にする。
    逃げ場のない心身の苦痛を薄めるために、脳内麻薬物質が大量に分泌され、現実認識がおかしくなる。
    そうして自分を見失っている者を、暗示にかけて操る。
    時々、なでたりご飯をあげたりして、優しくしてあげると懐柔に効果的だ。
    さらに目の前に闇側の世界を生きている者がいるということが、人に影響を与える。より暗い闇へ引きずり込まれるのだ。
    また仮面は、普段の人格を忘れ何かになりきるための手段として、古代から用いられている。
    そして恐怖と苦痛と屈辱の中で、攻撃的な人格が、脳内麻薬による陶酔をともなって覚醒する。

    しかし、トリデラのデデデは、どれくらいの時間監禁されていたんだろうな。
    私はオープニングを見てから、デデデ戦まで二週間かかったんだが。タランザが洗脳する時間はたっぷりあっただろうな。いくらカービィでも、1日で突破したりはしていないだろう。もしかして「デデデのことが心配だったから、あの山あり谷あり火あり水ありの仕掛け満載のステージを1日で駆け抜けて、並み居る強敵もみんな倒してきた」とかいうのだろうか……なんて熱いストーリーなんだ。

    問題は、デデデがなぜ「記憶を失うか」「操られるか」の方ではなく、あっさり元に戻ることのほうだろう。
    「夢から覚めるように」「酔いから覚めるように」正常に戻るのがゲームやアニメの常だが、現実は違う。
    逆洗脳は大変だ。

    RPGでは、誰かのかけた洗脳や呪いは、その相手を倒すことによって一瞬で溶けますが、現実的にはそうはいきません。
    その行為によって、より強くその教義などを信じてしまうこともあるので注意が必要です。
    •スーパーリアルRPG •過去ログ7 第66章 洗脳



    デデデに当てはめると誤読してしまいそうだが、引用文の「相手」というのはトリデラでいうタランザのことだ。

    ゲームでは「操られているデデデを止めるために、デデデを殴り倒す」は必ず通るルートだ。
    しかしアニメでは「デデデを操っている奴を倒して、結果的にデデデを助ける」というパターンが主だ。トリデラもアニメならタランザの方を、やっつける展開だろうな。

    現実的に考えるとデデデがすぐ正気に戻るのは「アニメ『星のカービィ』のデデデのトラウマについての考察(後編)」で引用した、『DSM-IV-TRケースブック』冒頭の外傷後ストレス障害(PTSD)の症例「魔法」のように「過去に何かあった人が、解離性の発作を起こして暴れたので、拘束して病院に運んだら、落ち着いた本人が平常に戻った」というのに近いんじゃないかと。

    つまりカービィはデデデの暴走を力で止めているのであって、その壊れやすさ自体を治しているわけではないから、何度でもデデデはとりつかれるし、操られるって話かな。

    正常に戻すという行為は、実際のところ「術者に都合のいい状態を正常だと思い込ませるために、心を操る」に近いものがあるような気がしてならない。

    まあ憑依にしろ、洗脳にしろ、放置したら確実に悪化している状況なので、カービィがデデデを救っているということには間違いない。

    ゲームとアニメ通して、暴行拘束拉致監禁された上で洗脳されたのは、毛糸のデデデとトリデラのデデデだけだろう。さらに肉体改造まで受けたのは、毛糸のデデデだけだな。吉川監督は『ボトムズ』とか大人向けアニメでは、拘束監禁薬物投与の世界も描いているけど、『星のカービィ』では穏当な表現だ。

    憑依表現もアニメ版より、原作のゲーム版の方が魔物の表現が強烈だ。
    腹に口が開いているデデデとか怖いよね。
    アニメでは95話で筋肉もりもりになったりしているが、魔物的な不気味さがあるというわけではない。

    アニメ版のあんのうんさんの脚本だと、とりつく側やデデデの心の裏側が怖いのではなく、第55話の「力を求めて、正体もわからない魔物を召還」や、第95話の「力を求めて、邪悪だとわかっている魔物に自らとりつかれる」という行動に走る、デデデの素の人格がすでに怖い。第55話に関しては、第1話も同じようなものだ、とはいえる。
    逆にトリデラのデデデは、何も悪くない拉致被害者である。

    まとめ

    乗っ取られデデデの歴史は、時系列順だとだいたいこうなる

    『星のカービィ2』『星のカービィ3』『星のカービィ64』の下村デデデ(憑依)
    アニメ版『星のカービィ』の吉川デデデ(操作)
    アニメ版『星のカービィ』のあんのうんデデデ(憑依)
    『毛糸のカービィ』の瀬井デデデ(操作)
    『トリプルデラックス』の熊崎デデデ(操作)

    憑依系デデデの歴史がゲームでは64で途絶え、アニメでは95話で終わり、アニメ第1話からの操作系デデデの流れが、ゲームではトリデラまで続いている。アニメの監修は桜井さんだが、スマブラも含めて、彼がディレクターのゲームに登場するデデデは常に、身勝手であることはあっても、正気であったと思う。

    デデデの歴史は長く、関わったゲームディレクターやアニメの脚本家も多いが、実は少数の人物によって、デデデのよく乗っ取られるイメージは作られた。

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    バカもカゼをひく-『星のカービィ』63話を免疫学的に考察

    「馬鹿はカゼをひかない」
    「カゼは人にうつすとなおる」
    両方とも迷信。前者は微妙な部分が残るが、後者は明らかに間違い。
    しかも「流れ星にお願い事をするとかなう」のような人畜無害な迷信と違い、うっかり信じると他人をばかにしたり、害したりとろくな展開がなさそう。
    少なくとも「免疫とは何か」について誤解を広める。
    これが「刷り込みとは何か」についての誤解なら、そうそう視聴者の人生に関わらないだろうけど、カゼは視聴者全員がひくだろう。
    アニメの台詞をそのまま信じる人はいない、という人もいるかもしれないが、上のふたつがなぜ間違っているか説明するのは大人でも難しい。ましてや子供では「ふーん、そうなんだ」になってしまう。そして親が「それは違うのよ」と訂正するのも、特に前者はかなり面倒くさいことになるんじゃなかろうか。

    詳しく知りたい人は、本文どうぞ。

    なお、私も医師ではないので以下の文章の中には、大ざっぱというのをこえて、明らかに間違っている部分があるかもしれない。疑問があったらご自分で検索されるか、書籍にあたられることをおすすめする。

    ストレスと免疫

    以下、数行はアニメ『星のカービィ』63話からの引用。この「ナントカ」が「バカ」のことだというのは、番組内で明言されている。
    また、カゼにも色々あるけど、アニメ内に高熱を出しているらしい描写があるので、この文章ではインフルエンザを想定する。

    「ナントカは風邪をひかないというのは本当かぞい」
    「それは科学的事実」
    「脳を使わないと色々なところが鈍くなり 結果的に体がばい菌に近くなるから 風邪をひきません。これを免疫と……」
    「わけがわからんぞい」


    本当にわけがわからないな。
    まず「脳を使わないと鈍くなる色々なところ」って、具体的にはどこだろう。
    「体がばい菌に近くなる」とは、どういう状態のことか。
    そして「体がばい菌に近くなる」と、なぜカゼをひかないのか。
    一般に「免疫」といえば「一度かかった病気には二度とかからない。あるいは軽くて済む」という獲得免疫のことだ。「免疫がつく」の「免疫」はこの獲得免疫だ。
    もっともこの場合、獲得免疫は関係がなさそうだ。

    体内に侵入したばい菌を片っ端からやっつける、自然免疫というのもある。
    白血球がばい菌を食べる光景はよく知られているが、もしかしてあれを原始的ととらえてこういう表現をしているのだろうか。
    自然免疫も人間の場合、かなり高等化されたシステムだ。
    「免疫」を「白血球が近くのばい菌を食べるだけの単純な仕組み」と考えてるのかな。一般人の認識はそうかもしれないが、それは違う。
    それにそれは「鈍くなる」のではなく、免疫が鋭くなるのだ。

    同じようにウイルスに曝露されながら、ある人は感染しやすく、ある人は抵抗性を持っている。このようなウイルス感染に対する感受性の違いは、それぞれの個体が持っている「自然免疫」と呼ばれる抵抗力の差によって決定されると言われる。
    (中略)
    自然免疫は、気道などの粘液中に含まれるリゾチームなどのタンパク質分解酵素や、インターフェロンなどの抗ウイルス性のタンパク質がつくられやすいかどうか、ウイルスに感染した細胞を破壊する能力を持ったナチュラル・キラー細胞(NK細胞)や、異物を処理するマクロファージなどの機能が高いかどうかによって決まるとされている。
    免疫・「自己」と「非自己」の科学 多田富雄

    わけがわからないと思われる方が大半だろうが、体の抵抗力が高まることを「鈍くなる」とか「ばい菌に近くなる」とかいうのは、見当違いだということはなんとなくわかっていただけるだろうか。それは高度な防衛システムが、きちんと機能するということなのだ。
    そしてバカだのなんだのという脳の問題の他に、様々な要素が「カゼをひきやすいかどうか」には、関わっているという前提もここで確認しておきたい。

    むしろ「脳を使いすぎると、体のあちこちが鈍くなりますから、カゼをひきます」の方が正解に近いような。
    この場合の「脳を使いすぎる」は「あれこれ思い悩む」の意味ね。

    脳ではなく白血球が主導権を握ることを「体がばい菌に近くなる」と表現するのは、脳のおごりだろう。もしある人間の体に他の人間の脳を移植すれば、その脳は白血球に殺されてしまうだろう。これを拒絶反応といい、よく知られた現象だ。
    自分が何者かを決める権限は、脳ではなく白血球をはじめとする免疫系の側にあるとすらいえるのだ。

    あえて原文を残し気味に書き直すならこうかな。
    「脳や体を使いすぎなければ、そのぶん白血球が元気になり、ばい菌をよく退治してくれるから風邪をひきません。この自分の体を守る働きを免疫と……」

    おそらく以下のような「科学的事実」が元ネタなんだろう。

    ストレス時に分泌されるコルチゾールやノルアドレナリン、アドレナリンなどの、いわゆるストレスホルモンは、すべて「免疫力低下」を誘導することが分かっている。
    ストレス時に副腎皮質から放出されるコルチゾールは、リンパ球を減らし、免疫を低下させるため、免疫抑制剤として広く使われている。

    こころの免疫学 藤田紘一郎

    人間の精神と神経、免疫のつながりを研究する学問は「精神神経免疫学」という。
    ここで、人間の体について、基本的なことを確認しよう。
    肉体は、脳につながる電線である神経を通じ、電気信号で脳と情報をやりとりしているる。それと同時に、内臓その他で作られ血液中に溶け込む様々な化学物質で、脳をふくむ体の様々な器官同士が互いに情報をやりとりしている。
    血液中に溶け込み、心臓の鼓動を早めたり遅くしたりする、主に内分泌系の情報伝達物質をホルモンという。コルチゾールはこれにふくまれる。
    人の神経系は交感神経と副交感神経に大きくわけられ、ノルアドレナリンは「闘争か逃走か」といわれる緊張状態をつかさどる、交感神経から分泌される神経伝達物質である。
    脳は神経のかたまりとして電気信号とともに、化学物質で情報を処理している。アドレナリンの他に、ドーパミンとか、セロトニンとか、β-エンドルフィンとかが脳内の伝達物質として有名である。
    人の気分が変われば、脳を流れる電気信号と共に、化学物質も変化する。そしてそれらの変化は脳から神経、神経から血管、そして血管の中の白血球へと伝わる。

    白血球は、様々な化学物質の影響を受け、また白血球達自身も様々な化学物質でおたがいに情報をやりとりしている。
    上記引用文は、白血球が脳からの情報伝達で、活動をおさえめにすることを語っている。
    免疫系が情報をやりとりする際に、使われるたんぱく質を特別に「サイトカイン」という。
    カゼの際の発熱は、この「サイトカイン」の一種の「インターフェロン」の働きによる。カゼをひいたときに、眠くなるのもこのためだといわれている。ウイルスの侵入を察知した白血球は、逆に脳に命令するのだ。
    「自分達の戦いの邪魔をしないように寝てろ」

    二十世紀初頭に、十年以上にわたり結核患者の治療に従事していた本邦大阪在住の医師・石神亨も、以下のような観察(1919)を残している。
    「仕事上の失敗、家族間の不和、羨望などが認められたり、神経質な患者の経過は一般的に良くなかった。(中略)一方、検査結果は進行性の結核を示唆しているにもかかわらず、良好な経過をたどった患者たちに共通していたのは、彼らが楽観的で、心配しない性格の持ち主であったということである」
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)


    ここでは「楽観的で心配しない性格」が良いとされている。

    しかし63話の展開だと、デデデは自分が風邪をひかないことに悩んで風邪をひきそうだな。
    「風邪をひく人民どもは、心も体も弱い免疫弱者ぞい」ですまして、後は笑ってテレビを見ているようなら、風邪をひかない種類の馬鹿かもしれない。賢い気もするが。
    自分が風邪をひかないことを、全く悩んでないカービィは真の免疫強者だ。
    ゲームで「なやみのないやつです」と形容されるだけはあるな。

    過度のストレスを受けていると感じているときに風邪をひきやすい、という傾向は、1991年、厳密に計画された大規模な実験的研究によって、医学的に妥当なものであることが米国のコーエンたちの研究によって示された。
    彼らは、三百九十四名の健常ボランティアを募り、用意した同一の施設で生活してもらった。(中略)そして、五種類の上気道感染ウィルスを鼻から投与し、感染症の発症率を調べたのである。その結果、日常生活で受けているストレスが強いと答えた者ほど発症率が高いという相関がみられた。
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)

    なお、『こころと体の対話』ではストレスを受けても、自分でそれを回避出来る場合は発症率に影響しないというようなことが書いてあった。
    同じような仕事をしていても、「今日はここまでにしよう」といえる上司は、それを決められない部下より健康に生きられるそうだ。

    嫌なことがあったらすぐ行動するデデデは、他人を不健康にしながら、自分は健康に生きてそうだな。

    ロンドンのペッティンゲールらは、乳がんの告知を受け、単純乳房切除術を受けた患者が、その後どのような精神状態にいたったかを面接で診断し、また同じ患者たちの経過を十年以上にわたって調査した(1985)。
    その結果、患者たちはその精神状態によって、
    (1)医学情報を得て病に対して積極的に対応しようとする患者
    (2)たとえば「用心のために医師が乳房をとっただけよ」のように、診断を否定したり軽視する患者
    (3)病を禁欲的に受容する患者
    (4)診断を告知されて絶望した患者
    の四つのカテゴリーに分かれた。
    こころと体の対話―精神免疫学の世界 (文春新書)


    簡単にまとめると
    「ストレスにより人は風邪をひきやすくなる」
    「特にストレスから逃れられないと感じている人は、免疫力が低下する」
    「ストレスがあっても気にしない人間や、解決に前向きな人間は病が重くなりにくい」
    こういうことのようである。

    つまり、能天気で苦悩しない人間だけでなく、積極的に脳を使っている人間も風邪をひきにくいようだ。また脳を使っていても、自分の力で多くのことを決められる権力者も病を得にくい。

    デデデに関しては「あれだけ好き勝手に生きていれば、風邪なんかひかないだろ」という方向に話を展開すればよかったかも。

    辛いことがあっても悲観せず、問題解決に前向きで、考えた上で多くのことを自分で決めて、努力する「かしこい」人をもバカ扱いすることになるので、「バカはカゼをひかない」の真偽は偽である。

    悩みがないという悩み

    一番簡単な修正方法は、どこかにさらっと「それ、迷信」というツッコミをまぜておくことだろう。こんな感じで。

    「カスタマー、馬鹿は風邪をひかないというのは本当かぞい」
    「それは迷信ですから、お気になさらず」
    「迷信でもいいから、風邪がひきたいぞい」
    色々と間違った解説をするぐらいなら、こっちの展開の方が無難だった。

    あるいは、最後の場面で、オチをつけておくとか。
    「カゼが辛いぞい。でもこれでわしが馬鹿でないことが証明されたぞい」
    「はぁ? 陛下、まさか本気でその迷信を信じていたんでげすか?」
    「え? じゃあ、わしの苦労はなんだったんだぞい」

    正しく詳しく解説しないのならば、「馬鹿は風邪をひかない」は健康な人を馬鹿にするためだけの言葉にしかならない。風邪をひいた人が「自分は馬鹿じゃない」と慰められるとしても、科学的には「馬鹿で後ろ向き」の可能性もあるし、むなしい慰めではなかろうか。
    「風邪をひいたりしないため、前向きに生きましょう」というのなら、教育的で感動的なメッセージになりうるが、
    「風邪をひいたりしないため、脳をつかわないようにしましょう」では何がなんだか。

    だいたい「脳を使わないから」というのを風邪をひかない理由にするなら、「よし、脳を使うぞい」とかいう方向に流れる方が、水風呂に入るより話としてはなめらかではなかろうか。絵は地味だろうけどね。

    「脳を使いたいぞい」
    「はあ、それでは難しい本でもお読みになれば」
    「そもそも、文字が読めんぞい」
    「そうでげしたね。では免疫学のビデオを見るでげす」
    「ぐー(居眠り)」
    「まあこうなるでげしょうよ」

    後はストレスをあえて求めるとか。水風呂も肉体にストレスを与える行為ではある。

    「エスカルゴン、わしは風邪がひきたいぞい」
    「げほげほ……私のようにストレスまみれの生活をしていれば、脳が疲れて免疫力が落ちるでげすよ」
    「そうかぞい? だったら、どうしてこんなにストレスの多いわしが、風邪をひかんぞい」
    「へ? だったら、陛下を鎖でベッドに縛りつけた上で、一晩中陛下の悪口を枕元でいってあげるでげす。」
    「それはいやぞい」
    「ストレスを感じたいんでげしょ? ついでにそばでセキもしてあげるでげす。それで飛沫感染が成立して、陛下もカゼになるでげす」
    「もっとましな方法はないのかぞい」

    生物にとって拘束されることは、非常にストレスを感じる行為だ。たとえば、ネズミを板に貼りつけて、二四時間放置すると、典型的なストレス症状が現れる。ハンス・セリエは、実験動物を拘束し、注射をする実験をしていて、現在のような「ストレス(ストレッサー)」の概念を発見した。参考『カラー版 細胞紳士録 (岩波新書)


    「フーム、わしは悩みが欲しいぞい」
    「国王なんだから、国の行く末について悩めばいいんじゃない?」
    「我が国は平和で食物にも恵まれ、識字率も99%で、愚民どもは幸せそうぞい。何を思い悩むことがあるぞい」
    「……まず村人全員が同じ感染症にかかるような、公衆衛生の問題を悩めば? きっと熱が出るわよ」
    「こうしゅうえいせいとはなんぞい?」
    その後は保健所を建てようとか、予防接種をしようとか、手洗いうがいキャンペーンをしようとか、感染者を隔離しようとか、汚物は消毒とか、医療性廃棄物は焼却とか、医大や看護士学校をつくろうとか、適当に保健教育的な話に。
    でも、結局それで悩むのはデデデ以外。

    それから上記に書いた「楽観的な人はカゼをひかない」の他にも、バカはカゼをひかないについての説があるようなので、軽くふれておこう。

    ホント!?「バカは風邪ひかない」には医学的根拠があった! - NAVER まとめ

    上記リンク先によると、馬鹿はカゼを自覚しない、という意味での使われ方が古くからあるそうだ。つまりこういうことだろうか。

    アニメとは逆にデデデ一人だけ、カゼをひいている想定。
    「わしはカゼなんかひいてないぞい。げほっ。コンビニに行ってお菓子を買って、カワサキの店で食事してくるぞい。くしゃん。ついでに村中を視察するぞい」
    「パンデミックを引き起こす気でげすか。カゼをひいたら、おとなしく寝てなきゃだめでげしょー」
    「そんなのつまらないぞい。ずずっ。でかけたいぞい」

    割と教育的に展開できそうだな。あんのうんさんより、国沢さんっぽいけど。

    国沢さんの第32話「歯なしにならないハナシ」は「歯を磨きましょう」というひじょーに常識的な教訓話。
    吉川監督の第85話「まぼろしの紫外線!」も「オゾン層を大切にしましょう」だな。
    吉川監督とか国沢さんは「科学的に正しいかどうか」を、かなり気にして脚本書いているよね。

    この63話の脚本を担当した、あんのうんさんは「名誉」をめぐる話を多く書いている。
    例えば、第37話「お昼のデデデワイドをつぶせ!」と第70話「トッコリ卿の伝説」はこの人だ。
    この話のテーマはあえていうなら、「バカにされまいと、つまらない見栄をはるのはバカである」ということだろう。


    風邪をひかない理由あれこれ

    デデデが風邪をひかなかった理由をアニメでは「脳をつかわないから」だけですませているが、風邪を引かない理由なんて様々だろう。
    話が複雑になるから、他の可能性には言及しなかったんだろうが、ここでは考察しておく。

    現実的に考えれば、一番の理由は「デデデは他の人物と種族が違うから」だろうな。

    例えばイヌのジステンパーに人間は罹らないし、ブタのコレラにはニワトリは罹らない。こういった自然に持っている体の抵抗力も、「免疫」の働きである。
    免疫・「自己」と「非自己」の科学 多田富雄

    同じく風邪をひかなかったカービィは明確に宇宙人なんだし、地球の微生物で火星人が滅んだ『宇宙戦争』の逆の話なのかもしれない。

    次は、前に風邪をひいていた、かな。
    第4話あたりでデデデがひいた風邪がしばらくたってププビレッジで流行したが、白血球に免疫学的記憶があったので、デデデは発症しなかったとか、そういう獲得免疫の話。

    他に考えられるのは「デデデが引きこもりだから」かな。
    人にあわなければ、うつされることもない。
    インフルエンザにかからないためにはどうすればよいですか?
    6) 人混みや繁華街への外出を控える
    インフルエンザQ&A

    いくら寒い思いをしても、誰にもあわない引きこもりは風邪をひかない。
    デデデは水風呂に入っているけど、その後でワドルディ以外の誰にも会っていないのなら、カゼをひかなくても当然だな。
    カゼも感染症という基本に立ち返るなら、感染者への接触も正しいカゼのひき方だよね。

    「カスタマー、どうしたらカゼをひけるか教えるぞい」
    「他人にうつされればよいでしょう。すでにカゼをひいている人の看病でも、すればよろしい。多くの医療従事者が、それでエボラに感染しました」
    「そうかぞい」
    その少し後……。
    「えーすかるごーん。看病してやるぞい。注射とかどうぞい?」
    「あっ、あのちょっと。乱暴はやめて、よして。いま、熱があるんだからぁ。いやーん、もうっ」
    エスカルゴンに迷惑をかけた後は、他人に看病を申し出て、片っ端から「結構です」と断られる展開。
    「誰かわしにカゼをうつすぞーい」

    これに関連してもうひとつ。
    「カゼは人にうつすとなおる」
    カスタマーの言ったこれは間違い。でもこの番組中に訂正はない。
    実際に他人にうつそうとする人は少ないだろうけど、迷信を広めないで欲しい。
    おおざっぱにいって、ウィルスの侵入により、免疫が本格的な戦いを始めるのに2、3日かかる。白血球が応戦することで、発熱などの症状が出る。
    実は発熱はウイルスのせいというより、白血球のせいなのだ。
    そして通常、インフルエンザは2、3日で本格的な症状は治まる。
    だから、うつした人がなおった頃に、うつされた人が発症する。
    この獲得免疫は鳥類をふくむ高等生物にしか存在しない。たとえば、下等生物であるカタツムリには存在しない。カタツムリは変温動物でもあり、感染症にかかっても、おそらく人間のように発熱はしない。
    下等生物はカゼをひかない。正しくは免疫の組織的な応戦がないまま、生き延びるか、弱っていく。これは科学的事実。しかし、エスカルゴンはその点でも進化したらしい。

    体内の冒険

    この話の脚本を書いたあんのうんさんは「体内の冒険」を書く傾向があるみたいだ。
    デデデとエスカルゴンとカービィがパイ魔獣「パワーストマック」の胃袋に入ってしまう、第57話「パイを笑う者はパイに泣くぞい!」と、デデデがヘビに飲まれる第95話「デビル・カービィ」もこの人だ。
    このアニメシリーズで、他に「体内の冒険」をやった脚本家は、クジラにのまれる第71話「密着! ホエール・ウォッチング」の柔美智さんかな。クジラにのまれるパターンでは、ディズニー版ピノキオが有名。原作の小説版ピノキオではサメにのまれる。お腹を切ったときに人が出てきそうなのは、クジラよりサメだろうけど、サメは小さいからディズニーはクジラにしたのだろうか。

    巨大な生物の体内を冒険する話は、古典的である。
    ヘビに飲まれる話は日本では「夏の医者」として、古典落語にもある。
    もっとも95話の描写だと、「赤ずきんちゃん」か、「狼と七匹の子ヤギ」のような、外の誰かに助けてもらう話の方が近いかもしれない。
    57話のパイの回は大きな相手を内部から倒すという点では、「一寸法師」とおなじようなものかな。

    体内の冒険について詳しくはこちらを参照 生ける洞穴

    しかし、この63話のように機械で小さくなって、通常サイズの人体を冒険するパターンは、かなり近年の話だ。『ミクロの決死圏』(1966年)という映画がこの63話の元ネタだろう。

    しかし、手塚治虫先生の言葉を信じるなら、この「主人公が小さくなって人体の内部を冒険する」「それによって病気を治療する」というパターンのルーツは手塚治虫なのだ。

    リチャード・フライシャーが監督した特撮映画『ミクロの決死圏』は、手塚治虫のマンガ『吸血魔団』(1948年)と、それを元にテレビアニメ化した『鉄腕アトム』「細菌部隊の巻」(1964年)をヒントにしたとも言われていて手塚マンガとも縁がある。
    虫ん坊 2012年09月号:手塚マンガあの日あの時 第24回

    上記のとおり、『吸血魔団』は『ミクロの決死圏』の18年前に出版されている。
    この『吸血魔団』は五年後に手塚自身により、焼き直しされていて、私はその『38度線上の怪物』の収録されたコミックスを持っている。
    38度線上の怪物 TezukaOsamu.net 
    これは『吸血魔団』と違い、http://www.amazon.co.jp/gp/product/4063738221/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4063738221&linkCode=as2&tag=suisyokyu-22" target="_blank">アマゾンでも買える。
    『38度線上の怪物』はカビの毒で主人公達が小さくなって、結核の人の体に入る話だ。

    残念なことにこの昭和28年(1953年)の漫画の方が、2002年の『星のカービィ』のこの63話よりも科学的なんだよね。
    手塚先生は医者だから、解剖学的に正確に描けて当たり前ではあるが……漫画家としてはやはりすごいことだ。医学は50年でとても進歩したんだが、それに興味のない人は未だに迷信の中にいるのが、この21世紀の現実なんだな。

    デデデの体のどこに魔獣とカービィは入ったのか。
    どうやらアニメスタッフの誰も設定しなかったようで、何の説明もない。
    デデデが鳥類かどうかすら不明だが、人類と同じという前提で話を進める。

    デデデのカゼが「カゼ(上気道感染症)」なら、ウイルスのいるところは、せいぜい鼻からのどの上の方。
    悪化して「気管支炎(下気道感染症)」になっているのなら、胸の上の方の真ん中。
    でもカービィの入った所って、デデデが手をあてている位置からしても、それよりさらに下のような。もはや肺炎?
    肺炎にしては、カービィの入った場所が広いし、肺胞っぽくない。
    しかし感染性胃腸炎では、セキやくしゃみや鼻水は出ない。代わりに吐くかトイレ行きだ。
    どちらにしろ気管支や胃までは、前から見てまっすぐに落ちていく。肺に入るなら途中の気管支で右か左に大きく曲がる。アニメではなんだか左右にうにうにしているけど、誤解を生むだけのギャグだな。
    動きが欲しいのなら、手塚先生のように呼吸にあわせて、上下にカービィを揺さぶればよかった。
    そして、デデデがくしゃみをしたのがカービィのせいならば、鼻のあたり(上気道)で戦っていることに。肺や気道でカービィが暴れて苦しくなったというのなら、せきをするだろう。
    気道の図はこちらに

    素人考えだが、この部分を科学的に描いても、アニメーターの手間はそんなに変わらない気がする。デデデがお腹ではなく、のどをおさえて苦しむだけでだいぶちがう。

    また、人の気道(息の通り道)は一面粘膜で覆われている。
    気管や気管支のぬれた粘膜の表面には線毛細胞があり、たくさんの毛をはやしている。参考『カラー版 細胞紳士録 (岩波新書)
    でも、カービィが入ったのは、ふさふさなところじゃなかったな。
    手塚先生は主人公達が気道に入ったあたりで、さりげなく背景をふさふさに描いている。
    カービィやウイルス魔獣が細胞ひとつと等しい大きさに縮んだなら、ふかふかぬるぬるのじゅうたんに描いてもよかったんでは。

    つまり、ウイルス魔獣とカービィが戦う場所は「まっすぐすいこまれた」「のどのあたり」で「ふさふさ」で「ぬとぬと」なところで、はき出された原因は「せき」であるべきだったんじゃないかと。

    デデデは人間じゃないから、とか、あれは未知のウイルス魔獣だから、とか言い訳はあるだろうけどね。

    科学的に正しく描写することのアニメ制作者側のメリットは、「バカにされずにすむ」ことだと思う。視聴者側のメリットはもちろん「なんとなく正しい知識が身につく」だ。
    半世紀前、漫画の地位が低いことを気にしていた、手塚先生は漫画に積極的に文学を取り入れようとしていた。『38度線上の怪物』にも「椿姫」の話が出てくる。科学的な描写に力を入れた理由もそうだろう。

    でたらめでも面白ければいい、というのも正論だろうし、ギャグとは人をバカにすることで成立するものでもあろう。くだらないギャグアニメには、免疫を活性化させる力もあるだろう。
    そして間違った知識をかいてはいけないとか言い出したら、10代や20代の作家は多くがデビューできないだろう。
    ただこのケースでは、バカはカゼをひかないという迷信を真実とする以外に、カゼをネタに話を書けないということはないだろうし、デメリットの方が大きかったんじゃないだろうか。

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