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    『だまされない』にだまされない

    わたしは、文章の書き方とか、小説の書き方の本が、好きなんですよ。
    その割にわたしの文章が下手だ、と思われるでしょうが、まあ、これはマニュアルでなんとかなる部分なんてたかが知れてるって実例です。

    そんなわたしが先日読んだ本、『だまされない<議論力>』です。
    この中に「美を語る方法とは」という、芸術批評について書いた章があります。
    で、作者の吉岡友治は、すぐれた理解力や鑑賞力を持つエリートにしか、美は語れないという考え方を批判し、「読解ー解釈ー批判・提案」という構図がヴィジュアルを語る際にも使える、と主張しています。
    そして、この本の中で芸術を語ることに挑戦していらっしゃいます。
    ですが、その、あんまり言いたくないのですが、見事にこけています。
    「レダ」という神話中の女性をモチーフにした彫刻を、解釈していらっしゃるんですが、この人、肝心の神話を間違って覚えていて、特に調べ直しもしなかったんですね。
    以下に引用します。

    レダはギリシア神話の中の女性の名前で、ゼウスにレイプされそうになった彼女が白鳥に姿を変えたというお話になっている。



    岩波文庫のアポロドーロスのギリシア神話によると、「ゼウスは白鳥に変身して、レダと交わった」ということになっています。
    この吉岡氏はメインのブランクーシの「レダ」の他にも、レオナルド・ダ・ヴィンチの「レダと白鳥」にも言及しているんですが、神話を間違って記憶しているがために、すっごくわかりやすいダ・ヴィンチの絵の解釈すら間違っているのですよ。

    結果として「批評の技術だけでは芸術は語れない」という、著者本人の主張とは正反対の実例に、この人の芸術批評はなっています。
    吉岡氏の解釈では「女のようにも白鳥のようにも見えるブランクーシの彫刻は、レダが白鳥に変身する瞬間を表している」ということだそうなのです。でも、レダは白鳥に変身なんかしません。では、この彫刻は? 「女のようにも白鳥のようにも見える」という吉岡氏の観察が正しいのなら、「人の女と神である白鳥が一体化した瞬間」の表現ってことなんじゃないでしょうか。

    うんちくだけで芸術を語るのは、嫌みかもしれません。ですが、やはり批評に知識は必要だなあ、とわたしはこの『だまされない<議論力>』という本を読んで思いました。
    実は神話の本を読むのがいいかげん面倒になっていたんですが、この本のおかげで、読書を続けられそうです。

    追記 ギリシア・ローマ神話では白鳥に変身するのは、男です。
    昔、キグナス氷河は男なのに白鳥の聖闘士で、なんだか男らしくないと疑問を持ったものですが、今はそれで正しいって思えますね。
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