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    あまちゃんの三陸鉄道

    以前、朝ドラのあまちゃんで電車の運転手の大吉さんが
    タクシー運転手の正宗さんに
    「北三陸鉄道は電線がない。つまり電車じゃなくて、汽車なんだ。
    ディーゼルなんだ。
    もっといえば、線路を走るバスなんだ」というようなことを自虐を込めていっている場面がありました。
    そういえば、オープニングの電車に電線はない。

    春子さんを正宗さんにゆずろうとする場面とはいえ、
    北三陸鉄道(モデルは三陸鉄道)を悪く言っていないか? と
    ちょっと引っかかったのですが、月曜日から
    東日本大震災編ですよね。

    >地震直後から停電し、携帯電話も通話不能が続く中、
    >ディーゼルの車両は電気も暖房も問題なく使用できた。
    【望月正彦】津波から逃れた奇跡の1両 地域のために死力を尽くす

    電車じゃない、をはじめとする大吉さんの自虐は
    大吉さんと北三陸鉄道が復旧のために大活躍する場面の前振りだったんですね。
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    NHK朝ドラ「あまちゃん」の神話構造

    東京編のあまちゃんのあらすじ。

    母親の離婚によって田舎の母子家庭で過ごしていた主人公が、
    東京の芸能事務所の社長にアイドルとしての力量を試されることになる。
    主人公は、若いプロデューサーとともに、人気ランキング上位を
    狙って不利な状況で戦う。

    うん、ベタだね。これがどれだけベタか神話にさかのぼって、説明しようか。

    オットー・ランクというフロイド派の研究者が、エディプス(オイディプス)からモーゼ、イエス、ヘラクレス、ジークフリートといった人物を主人公とする古今の英雄神話から抜き出した共通の構造を紹介しよう。

    a 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
    b 彼の誕生には困難が伴う。
    c 予言によって、父親が子供の誕生を恐れる。
    d 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
    e 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
    f 大人になって、子供は貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる。
    g 子供は、生みの父親に復讐する。
    h 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

    大塚英志の『物語の体操』より



    これが典型そのままなら、

    天野アキは社長である太巻きが、
    美人の天野春子との間に作った私生児で
    幼い頃はいじめられっこで、
    タクシーや船に乗せられて海に捨てられて、
    田舎で貧しい海女である天野夏に育てられ、成長した天野アキは
    アイドルになれなかった母の仇を討つため、
    魔法使い鈴鹿ひろ美の助けで、
    父親である社長の太巻の出す、1952人が不合格して
    いるような厳しいテストに合格し、トップアイドルとして
    日本中から祝福される、

    という話になるんでしょう。

    これでもだいたいあってる気がするが、
    たぶん、荒巻太一は実父じゃないでしょう。
    こういうパターンは太巻が「王様(強大な支配者)」であるほど、
    試練が過酷なほど燃えるよね。
    そして童話なら、試練に失敗した者には死あるのみ。
    茨姫の城に挑んで、何人もの王子が死んでる。
    解雇は優しいよね。

    鈴鹿ひろ美のポジションは神話なら女神、童話なら魔女。
    シンデレラに味方する、魔法使いのおばあさんね。
    太巻の奥さんが出てこないので、鈴鹿ひろ美が
    愛人の子に立ちはだかる、正妻の継母ポジションなのかもしれないけど。ヘラクレスに試練を課す、女神ヘラ様のように。

    ただし、上に引用したのは男性主人公のパターン。
    たぶん、天野アキの物語は、「王の試練に挑みに来た、若き勇者を助ける王の姫」の物語とまざるんじゃないかな?

    つまり水口をあきちゃんが助ける。今日の話(第15週 1話目)は
    そんな感じでした。

    ギリシア神話で言う、イアソンを助ける王女メディアやテセウスを
    助けるアリアドネ、日本神話で言う大国主命を助ける
    スセリビメのポジションだね、がんばれあきちゃん。
    水口が英雄になれるかどうかは、あきちゃんの知恵にかかっている(´艸`o)゚.+:

    ベタを狙うなら、水口マネージャーの父親が実は有力者とか
    いう展開になるんだが、話数に余裕がなかったら、水口の親の話は出てこないでしょう。
    まあ水口さんは役者さんが「高位の父の血を引く人物」だからね。
    松田龍平は松田優作の息子。
    なのでそういう人に「実は自分の両親は有力者なんだ」という役を
    やらせたら、面白いのか、くどいのかわからない(´-ω-`;)ゞ

    トランスフォーマーの天使と堕天使

    この間、トランスフォーマーの映画を見たんのですが、敵のボスが南極で氷付けになっていた光景は、ダンテの神曲の氷付けルシファーの影響ですよね。永井豪のデビルマンや魔王ダンテにもあった光景ですが。
    ルシファーは、空から落ちてきた暁の明星です。そういうわけで、映画の終わりで、トランスフォーマー達が、宵の明星を見ているのは、なんかの伏線かと、深読みするのが、神話マニアの性です。

    そして、空から火の玉として落ちてくる味方側のトランスフォーマーは、「天の火」、つまり天使なんでしょう。そういうイメージで、オプティマス・プライムのデザインが炎燃ゆる感じなのはわかります。

    敵の総大将が「氷」で、味方の総大将が「炎」なんて、ゆでたまご先生並みに、ベタな対比には、それなりの効果があるでしょう。神話をお手本にするのが、ハリウッド脚本家の常識ですよね。

    が、まあ、ファンから文句がくるのもわかります。天使の総大将の立場なんでしょうから、ガンダムW(ウィング)みたいに、コンボイ司令に羽をしょわせたら、きっとわかりやすく……わかりやすく、オタクくさいですか。

    『ハウルの動く城』に関するメモ

    西洋の『シンデレラ』や『白雪姫』だけでなく、日本の昔話や王朝文学にも、『落窪物語』や『鉢かづき』や『姥皮』などの継子いじめ譚がいろいろとあります。
    そのパターンは「継母をもち生母を慕う美しい姫が、一旦いやしい婢女に身を落として、最後に貴公子に見いだされる」です。
    虐待されている女の子にとって、希望は結婚しかないみたいな話ですね。

    最近では映画版『ハウルの動く城』がこの「継母を持つ少女が一旦お婆さんに姿を変えられ放浪し、たどり着いた場所でかまどの番などをし、好きな人の役に立つ知恵ある女であることを証明し、愛によってその優しさを美しく開花させ、貴公子と結ばれる」というパターンを描いていると思います。
    釜焚きとかかまどの番というのは、女の主な役目である他に、炎による変容とか、そういうものも象徴しているのでしょう。

    先ほどあげた『姥皮』のあらすじを、記しましょう。

    継母にいじめられ家を飛び出した姫は、夢枕に立った観音に身につけると老婆の姿になる「姥皮」をもらいます。それを着て旅に出て、行き着いた先の家で釜焚きの姥として雇われるが、そこの家の息子に若い娘だとばれ、その息子と結ばれて、ついには幸せになる。

    『ハウルの動く城』が公開されるかなり前に、『鉢かづき』やこの『姥皮』と『千と千尋の神隠し』の類似性について論じていた人がいるのですが、このゆら庵の人は次回作を予見したわけですね。そういつもりはなかったでしょうが。
    というか、『鉢かづき』の次に『姥皮』を撮る宮崎監督がベタですね。次はきっと『落窪物語』に似た話を撮るのでしょう(大嘘)。
    これらは、少女の通過儀礼の物語なので、当然、類似性はあるでしょうが、それに気付いたゆら庵の人はやはり鋭いでしょう。

    きっと宮崎監督の心の中には、永遠の少女が住んでいるのでしょう。そんな宮崎監督は、何度も何度も少女が美しく成長するおとぎ話を撮るのです。
    でも、ハウルにしろ、魔女の宅急便にしろ原作が「女性による少女の成長の物語」というところはやはり注目すべき点かもしれません。監督は高畑勲ですが、『おもひでぽろぽろ』も原作は女性です。宮崎監督本人から出力される少女は、やや気高くて現実の女性には共感されにくいですからね。千尋は少し年齢が低めだから、雰囲気は気高くないのかもしれませんが、やっていることは無欲の奉仕です。

    『オペラ座の怪人』 2004年製作

    原作「オペラ座の怪人」…ガストン・ルルー
    製作・作曲・脚本…アンドリュー・ロイド=ウェバー
    監督・脚本…ジョエル・シュマッカー
    ファントム…ジェラルド・バトラー
    クリスティーヌ…エミー・ロッサム
    ラウル…パトリック・ウィルソン

    オペラ座の怪人、ファントムと呼ばれる男は醜い顔に生まれつき、音楽と建築の才能に恵まれながらも、オペラ座の地下深くで暮らしていた。ある日彼は美しい少女の歌声に才能を感じ、顔と正体を隠したまま彼女の音楽の教師となる。早くに父を亡くした少女は、その謎の人物を天国の父の送ってくれた音楽の天使だと思いこむ。父の代理として怪人を慕うクリスティーヌだが、彼女がその歌で主役の座を射止めた頃から、二人の関係は揺らぎ始める。それは、クリスティーヌがファントムの仮面を剥いだときに決定的になる。

    ファントムの顔にはケロイド状の傷があり、幼き日に彼はサーカスで見世物にされていた。傷深い者は恨み深い者である。体の傷は周囲の扱いによって、心の傷へと容易に転嫁し、それは時に憎しみにかられた狂気へと変貌する。
    だが、傷深い者には時に他者を魅了する才能が宿る。
    屈辱は高みへの憧れを生むからだ。
    そして孤独な魂には愛を求める心が宿り、時にそれは歌となって他者の心を震わす。

    ファントムはその音楽で孤独なクリスティーヌを魅了し、その歌でクリスティーヌはラウルに愛される。
    そしてまた怪人に愛されたというクリスティーヌの不幸は、ラウルの義侠心を刺激し、彼は怪人から彼女を守ることを誓う。

    最終的にクリスティーヌがラウルを選んだことについては、少女の父親の影からの自立であるかもしれない。だが、芸術的才能がしばしルサンチマンとしかいいようがないものに支えられていることも確かで、ファントムは典型的にそれだ。恨み深い者と人生を共にしないのは、人間的幸福を求めるなら、賢明な選択であろう。

    わたしはかつて原作を読み、劇団四季の舞台を見、劇団四季のCDも持っているので、新鮮な驚きというものはあまりなかった。そんなわたしだが、この映画のスタッフロールの時は、ほんとうにぞっとした。映画が終わった後で流れるのは、Learn To Be Lonelyという、本来怪人が己の孤独を歌い上げる曲だ。ドラマには必要がないということで、スタッフロールの際に流されることになった。荒野に独り立つ、愛を夢見ぬ孤独な子供よ……という感じの歌詞で、ものすごく印象の冷たい歌だ。
    現代的な曲といえなくもない。だがクリスティーヌ(元妻、サラ・ブライトマン)に去られたこのファントム(アンドリュー・ロイド=ウェバー)の孤独は、未だ癒されていないのかと、わたしは思ったのだ。

    ところで、この映画はクリスティーヌ役の演技がいい。わたしは日本人の解釈でしか見た(聞いた)ことがなかったせいか、天使はクリスティーヌにとって夢ではなくて、信仰なのだとエミー・ロッサムの演技を見て初めて気がついた。

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