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    機甲界ガリアンの脚本について

    アニメ『機甲界ガリアン』の脚本についての、全25話を見ての考察です。この文章は全話を見た人のための脚本家の作風の違いについての分析であり、ネタバレしかありません。

    前置き

    アニメの脚本に興味を持って、「伏せられたカードはあてられるのか」という試みを行っている。
    脚本家の名前がわかっている時点で、「この回は脚本家が○○さんだから、こういう話」と論じるのは、確実ではあるが、「この回はこういう話だから、脚本は○○さんだろう」と推測してあたるのかと。

    というわけで、ガリアンでこういうことをやってみた。

    アニメ本編を見終わり、スタッフロールまでの時間で「今回の脚本家は鳥海尽三氏、五武冬史氏、吉川惣司氏のうちの誰か」を推測する。「吉川氏だと思ったら、手の甲を上にする。思わない場合は、手のひらを上に」や「紙に名前を書く」などして、答えを自分に対して明確にする。
    ネットで検索すれば答えがわかる旧作じゃなく、新作のアニメでやるべきなんだろうが。

    結論としては、ガリアンの脚本家当ての正答率は68パーセントで、全くの偶然であたるのが33パーセントであろうと考えると、一応は何かを読み取れているらしい。
    しかし、ボトムズを全話見た後でも、3割も間違うのか……。


    一般的に最終回間近の「脚本家当て」は当たらない。それは監督や原作者、シリーズ構成などの上が徹底的に管理するからであり、また、登場人物がこれまでとは、違った行動に出るからだ。例えば、拒絶していた相手との和解を試みたりする。
    それから、後半になるにつれて正答率があがるとは限らない。脚本家達がお互いの個性や監督の要求を理解し、それにあわせるようになっていくので、差が見えにくくなっていく。

    ちなみに以前鬼太郎五期で「この回が三条陸脚本回かどうか」をやった時は、確率的には50パーセントで、実際の正答率は71パーセントだった。

    0は正解できた回。xは不正解だった回。

    第一話 0 鳥海
    第二話 x 五武
    第三話 0 吉川
    第四話 0 鳥海
    第五話 0 五武
    第六話 0 吉川
    第七話 0 鳥海
    第八話 0 五武
    第九話 0 吉川
    第十話 0 鳥海
    第十一 0 五武
    第十二 0 吉川
    第十三 x 吉川
    第十四 0 鳥海
    第十五 x 鳥海
    第十六 x 五武
    第十七 0 五武
    第十八 0 五武
    第十九 0 吉川
    第二十 0 吉川
    第二十一x 鳥海
    第二十二0 鳥海 
    第二十三x 五武
    第二十四x 吉川
    第二十五x 五武

    各脚本家の特徴

    鳥海尽三氏
    典型的な展開は「対立から和解へ」

    アニメ・シナリオ入門 (シナリオ創作研究叢書)』(鳥海尽三著 1987年)では、アニメ脚本の例として鳥海氏ご自身の「白いサメ」が紹介されているが、この話も「二人の少年の対立と協力からの和解」を描いた話である。


    4話では主人公のジョジョを盗賊のウィンドウが助け、反発しあいながらもコンビとして行動し合うようになる。同じくチュルルをさらった後のヒルムカが、気の強いチュルルにいじわるなことをいいつつ、あれこれ教え導き、協力関係を築く。二人ずつで仲を深めていく話になっている。
    7話ではヒルムカの話を聞いて、ジョジョ達が協力しようとする。
    14話では勝手について来たチュルルが主人公と協力して、難所を突破する。15話では、ヒルムカがウィンドウの頬にキスするという和解の場面で話が終わった。
    また、ヒロインが助けをまたず、自力で戦うことが多い。

    五武冬史氏

    典型的な展開は「危機に陥った者を誰かが助ける」

    援助や協力によって物語が動く。
    例えば11話では、ヒルムカが機械の修理や、チュルルを助けるなど活躍。ウィンドウと背中合わせでも戦う。ウィンドウが誠意ある援助者(伝令)として活躍。
    18話ではスラーゼンが主人公達を助けに来る。ジョジョがウィンドウにアズベスの救援を頼む。アーストの人々が鉄の都を包囲して、ジョジョたちの助けになる。ハイ・シャルタットがマーダルを助ける。
    最終回でも、ウーズベン達がマーダル達を助けようとしたり、マーダルがフェリアを解放したり、ハイ・シャルタットがマーダルの助けになろうとしたりしていた。


    吉川惣司氏

    典型的な展開は「支配に抵抗する」「真実を探す」「女性が人質になる」だ。

    好きな相手が自分の言うことを聞かなかったら、殴っていうことを聞かせようというのが、吉川脚本によくある展開だ。ハイ・シャルタットはそして反撃され、拒絶される。
    例えば、ガリアン24話の中に、それが三回ある。ハイがジョルディに「好きになった」といいつつ共闘を申し込むが、手を払われて格闘になる場面。マーダルがフェリアのあごをつかんで、おまえはすでに私の后だ、みたいなことをいい、心は渡さないとか言われる場面。ウーズベンがヒルムカを無理にでも連れて行こうとして、撃たれる場面。この3つ。
    13話は真実を知った主人公が、母親代わりのヒルムカに反抗して、実母を求めて一人旅に出る回。これは後述する、「真実を探す」物語でもある。
    吉川脚本では、敵側の目指すところは暴力と権力による、他者の支配である。「他人を思い通りにしようとする」敵と、主人公は戦う。「よく女性が人質になる」というのもその延長かもしれない。

    「真実を探す」について
    6話でヒルムカが真実を探っていた。ウィンドウはヒルムカに本音を言えと迫っている。
    9話の裁判の場面で、ヒルムカだけが真実に気がついている。
    12話はそのタイトルも「マーダルの正体」だ。正体を調べ、また正体を自ら明かす話。
    また、19話の「この連中には何もわかっていない」という感じの場面は、限られた者だけが真実に気がついているという状況を描いている。


    「女性が人質になる」について
    ガリアンは大筋として、敵の手から、母親であるフェリアを取り戻すのが主人公のジョジョの戦いの目的のひとつである。それを考慮しても、吉川回には女性がとらわれる場面が多い。
    3話では勇気がないとジョジョをなじったチュルルが、直後にヒルムカのUFOにつれさられる。
    6話ではチュルル達が敵に捕らえられそうになって、ジョジョが助けに向かう。
    20話ではジョジョの母親であるフェリアがとらわれていて、ジョジョは彼女を助けようとする。チュルルがマーダルに人質にとられた結果、主人公がつかまる。
    24話ではとらわれているフェリアが自らマーダルの妻になると言うが、すでに「余の所有物なのだ」と言われ、とらわれていることが更に強調される。

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    漫画版『星のカービィ』には誰がよく登場するか

    こちらの企画に参加させていただきました。



    今回は時間制限があるので、一部の巻をサンプリングした。

    調べた『星のカービィ』の漫画

    さくま良子版
    ひかわ博一版
    谷口あさみ版
    川上ゆーき版

    以上全て小学館でコロコロ系列


    結論

    これら4種の漫画ではデデデ大王がほぼ全話に登場する。
    さくま版とひかわ版にはメタナイトはほぼ登場しない。谷口版では時々出てくる。川上版ではほぼ全話出てくる。
    カービィの友人はさくま版では初期はリックカインクー。後期はいない。ひかわ版では初期チービィ、中期グーイ、後期リックとクー。谷口版では最初から最後までクールとバウ。川上版では明確ではない。
    デデデの部下は、さくま版では一貫してポピージュニアとワドルディ。ひかわ版では一貫してポピー。谷口版では初期は設定されてないようで、中期にバッティーとヘビーナイトだ。谷口版は後期に登場人物が増え、その分カービィ以外のキャラは総じて出番が減る。川上版ではワドルディ(バンダナをかぶっている)。

    デデデ大王は一貫して重要キャラ。デデデの部下が重要キャラだったのは、さくま先生とひかわ先生の時代(桜井氏がハルにいた時代に開始された作品)。おそらくはアニメ版をきっかけとして、メタナイトがレギュラーキャラに昇格。

    カービィの友人が同一作品内でも安定しないのは、原作であるゲームのシステム次第だからだろう。デデデの部下は作品ごとに違う。


    以下、簡単なデータ。

    デデデ大王の出番

    さくま良子版
    1巻 19話中1話を除き全話登場
    11巻 全話


    ひかわ博一版
    1巻 全話登場
    13巻 全話登場
    25巻 全話登場


    谷口あさみ版
    1巻 9話中1話を除き全話登場
    5巻 11話中全話登場
    12巻 12話中7話登場


    川上ゆーき版
    2巻 全話登場

    番外
    ゲーム 鏡の大迷宮をのぞく全ゲーム登場
    アニメ 全話登場
    小説 全巻登場

    メタナイトの出番

    さくま良子版
    1巻 全話登場せず
    11巻 全話登場せず


    ひかわ博一版
    1巻 全話登場せず
    13巻 全話登場せず
    25巻 全話登場せず

    谷口あさみ版
    1巻 9話中2話
    5巻 11話中7話
    12巻 12話中5話

    川上ゆーき版
    2巻 全話登場


    カービィのパートナー

    さくま
    1巻 リック カイン クー
    11巻 いない


    ひかわ
    1巻 チービィ
    13巻 グーイ
    25巻 リック クー

    谷口
    1巻 クール バウ
    5巻 クール バウ
    12巻 クール バウ

    デデデの側近

    さくま版
    1巻 ポピージュニア ワド
    11巻 同上

    ひかわ版
    1巻 ポピー
    13巻 ポピー
    25巻 ポピー

    谷口版
    一巻では決まっていない
    5巻 ではバッティーとヘビーナイト
    12巻 ではヘビーナイトが一話でただけ

    アニメ版『星のカービィ』は何のためにつくられたか

    こちらの企画に参加させていただきました。




    アニメ版『星のカービィ』は何のためにつくられたか

    結論を言えば、主に欧米の子ども達にカービィの名前を、知ってもらうためだ。数千円のゲームソフトは子ども達にとって、高価な買い物であり、気軽に買えるものではない。そこで無料で見られるTV番組としてカービィを流し、カービィに興味を持ってもらうという戦略がとられたのだ。

    テレビのおかげで
    意味無いけど健全な娯楽を!嘘だけど迅速なる報道を!!
    無駄だけど楽しいCMを!!!どれでもタダで楽しめるぞい!


    というのは当のアニメ版『星のカービィ』中の台詞だが、アニメ版はたしかにゲーム版カービィの楽しいCMだった。「意味ないけど健全な娯楽」だったかどうかは、見た人の判断に任せる。

     カービィの人気は急上昇し、日本のゲームのよく知られたアイコンとなりました。
     しかし、米国ではそうではありませんでした。そこで『星のカービィ』を宣伝するために異なった戦略を取ることに決め、アニメーションを通じて紹介し、大成功を収めました。

    United World社による谷村 正仁へのインタビュー記事の翻訳 Papen's Piling
    http://dougin-1809.hatenablog.jp/entry/2017/02/17/221721

    原文
    HAL Laboratory bets on unique attention to details and customers’ happiness to be at the forefront of the dynamic gaming industry
    http://www.theworldfolio.com/interviews/hal-laboratory-bets-on-unique-attention-to-details-and-customers-happiness-to-be-at-the-forefront-of-the-dynamic-gaming-industry/4306/


    ポケモンのアニメ版がアメリカでヒットし、ゲームのヒットにつながったので、日本で稼いでいて、余力のあった大手ゲームメーカーは、海外向けのアニメを作って、自社のゲームを宣伝しようとした。米国でしか放送されなかった日本のゲームが原作のアニメはいくつもある。例えば、スーパーマリオブラザーズやカプコンのヴァンパイアシリーズの日本語版の存在しないアニメがそれだ。『スーパーマリオブラザーズ』や『ストリートファイターII』『バイオハザード』の実写映画も、単なるブームで作られたわけではなかろう。宣伝による知名度の上昇、幅広く訴求できるブランドの確立が狙いでもあったのだ。

    アニメ版カービィはカービィとメタナイトが善で、デデデが悪だ。欧米の子ども達向けにわかりやすくしたからだろう。ちなみにヴァンパイアも原作のゲームではそんな線引きはなかったのに、海外アニメ版では「善と悪との戦い」にはっきりとわかれていて、ゲーム版だと個人的な理由で戦っていたキャラクター達が、善人は善人らしく、悪人は悪人らしく描かれていた。キャラクターがゆがめられたといえば、そうだろう。


    アニメ版カービィは日本のゲームのファンのためのグッズというよりは、欧米や日本で新たなファン層を開拓するための広告であった。カービィアニメ放映当時の大口スポンサーは、当然のことながら任天堂である。そして広告としての目的を果たし、海外でカービィを有名にした。日本でも知名度はあがっただろう。現在カービィグッズを買う層には一定数「最初にアニメでカービィを知った」人たちがいるのではないか。
    現在、日本ではアニメ版は「ファン向けのグッズ」としても売られていない。
    しかし、カービィのアニメ版のDVDは、英語版なら普通にAmazon本家で売っているようだ。

    Kirby: Right Back at Ya!: Vol. 1: Kirby Comes to Cappytown DVD
    https://www.amazon.com/Kirby-Right-Back-Comes-Cappytown/dp/B00006JU7G/ref=pd_sim_74_2?_encoding=UTF8&pd_rd_i=B00006JU7G&pd_rd_r=DRAJ68QZV2GYX08GQVRK&pd_rd_w=jqC8y&pd_rd_wg=aIyJH&psc=1&refRID=DRAJ68QZV2GYX08GQVRK



    誰がアニメ版カービィを作ったのか

    監修の桜井政博氏

    アニメカービィは桜井色が強いが、それは桜井氏が責任を持てる範囲で作ったということでもある。例えば、この時期に「暗黒物質とは何か」を桜井氏が決めるのがはたして正しかっただろうか。それだと次に出るはずだった、新たな下村カービィ作品の足かせになりそうだ。

    アニメ版カービィの監修を下村氏が単独で引き受けたら、下村色の強いアニメ版カービィができていただろう。
    しかしもしそうなれば、アニメ版のカービィやデデデやメタナイトの性格を決めるのは、下村氏の仕事になる。吉川惣司監督はアニメのベテランだ。下村氏が、桜井氏のように説明上手で強気な指揮官ではないクリエイターだったとしたら、「アニメとしてはこっちの方がいい」と説得されて結果的により吉川色の濃いアニメ版カービィができあがっていたんじゃないか。


    企画の谷村 正仁会長

    インタビューを読むとハル研究所側に「アニメ版カービィはこうしたい!」という強い意志というか、プランがあり、それにそう形でアニメ版は作られたようだ。アニメスタッフ側に任せきりにしたわけでも、暴走を許したわけでもない。計画通りの無茶をやった印象だ。

    アニメとゲームは分けて考えていますが、このアニメはゲームを踏まえながら進めてきましたのでゲームと重なっているところがとても多いんですよ。ですから、その重なっている部分を、もっといい形で強めあい、高めあっていきたいですね。

    N.O.M 2001年10月号 No.39 アニメ『星のカービィ』制作現場突撃レポート!! - 関係者が語るアニメ版カービィの魅力 加藤直次プロデューサー(CBC)、谷村正仁社長(ハル研究所)インタビュー
    https://www.nintendo.co.jp/nom/0110/miryoku/



    設定協力の皆様

     山本 洋一(ハル研究所)
     能登谷 哲也(ハル研究所)
     山本 正宣(ハル研究所)
     別府 裕介(任天堂)
     藤江 宏志(ハル研究所)

    上記の四人については以前も書いたので、新情報があった、当時新人だった藤江氏についてだけ記す。彼はハル研究所の子会社であるワープスターの人としてニンテンドードリーム2016年12月号に登場する。この号を読むにグッズ展開の重要人物らしい。

    藤江宏志さん
    ハル研究所入社時に始まったアニメ「星のカービィ」を担当し、ワープスターと兼任して監修を務めた。以降、グッズなどゲーム以外のカービィの監修やブランド管理に携わる。


    アニメとゲームは別物というのは開発者の方々もおっしゃってるのだが、重なるようにも作ったから、スタッフが重なっている。


    関連文書

    アニメ『星のカービィ』に関わったハル研究所の関係者
    http://powderblue484.blog40.fc2.com/blog-entry-90.html

    暗黒物質がデデデ大王に寄生する表現のルーツは?

    こちらの企画に@hosiniiru として、自由テーマで参加させていただきました。



    下村真一氏ディレクションのデデデ大王が暗黒物質に乗っ取られる、カービィシリーズは以下の3つ。

    『星のカービィ2』1995年発売
    『星のカービィ3』1998年発売
    『星のカービィ64』2000年発売

    この発売時期を念頭において、デデデ大王に寄生するダークマターの表現に影響を与えてそうな作品を三つあげる。『遊星からの物体X』(1982年)、『寄生獣』(1988年~1995年)、『ゲゲゲの鬼太郎』(アニメ第三シリーズは1985年~1988年)だ。

    『遊星からの物体X』

    1982年公開のSFホラー映画。原作はさらに古い。宇宙から飛来した謎の生物に人や犬が取り込まれる。宇宙生物は同化、擬態、変形して、他の生き物を襲う。

    それは、細胞の一つ一つが単独で生きている
    それは、生物に同化して擬態する
    それは、すでに我々の中にいる…





    この映画のキャッチコピーは、カービィ世界の暗黒物質にもあてはまりそう。


    『寄生獣』
    上の映画から3年後の1988年から1995年までに、アフターヌーンで連載された漫画だ。当時の話題作である。

    寄生獣というのは、こういう内容の漫画だ。
    別の生命体が人間に寄生して、体を操り、普段は人間の姿をして暮らしている。しかし、時に頭に巨大な口が開くなどして、変形自在な化け物の姿を現す。主人公はそんな人間を捕食する寄生獣達と戦う。

    参考に表紙画像を掲載しておこう。



    『寄生獣』では、頭が変形するということは、すでに脳を食われているということだ。
    おそらく、デデデの頭ではなく腹が変形した主な理由は、当時のゲームの絵では大きく変形した方が映えたからだろう。

    暗黒物質憑依中のデデデの内臓が無事なのかという点についてだが、寄生獣と同じと考えると、かなり食われたか、端っこに追いやられているのではなかろうか。
    星のカービィの世界はかなり酷いけがでも、トマトひとつできれいに治る気がする。だから、暗黒物質が抜け出た後のデデデが傷一つ無くても、不思議ではない。しかし、寄生獣の新一とミギーのように、寄生体が宿主の一部となっている可能性もある。
    わかりやすい言い方をするなら「大王様の肉体はだいぶマターさんに食われてしまっていて、体内に残ったマターさんの一部が、皮や肉の代わりをしている。残ったマターさんにも多少の意識はある。残ったマターさんを、無理に分離させると大王様が大けがをする」という話になるかな。


    『ゲゲゲの鬼太郎』

    ダークマターの絵的なモデルが鬼太郎のバックベアードであることは、ご存じの方も多いだろう。


    『ゲゲゲの鬼太郎』の原作漫画は古くに発表され、何度かアニメ化もされている。だから、時期の話は省略しよう。
    このバックベアードには、人を操る力がある。
    また、『ゲゲゲの鬼太郎』は寄生や呪いによって、鬼太郎が化け物に変身させられる話がいくつもある。
    狸に変身させられる、八百八狸の話。吸血木に寄生されて木になってしまう話等。以下の記事にもいくつか掲載されているので、ご参考に。

    原作・鬼太郎はけっこうやられまくりだった!?
    http://www.excite.co.jp/News/bit/00091196264334.html

    ブラックデデデとは何者か

    こちらの企画に@hosiniiruとして参加させていただきました。



    ※この文章は「うちのブラデはこう」ではなく「様々な資料と照らし合わせるに、十数通りのブラデ像が考えられるな」という路線なので、様々な可能性を検討するだけで結論はない。


    桜井Dの作風でブラデを考える

    ブラデについては、桜井ブラデか熊崎ブラデか、という問題がまずある。
    桜井Dは影と和解可能だと考えていて、『新・光神話 パルテナの鏡』のブラックピットの話では、従順でいい子の本体と反抗的で乱暴な影がお互いを認め合う。
    熊崎Dは影と和解する気がしない。熊崎世界の影(ソウル)は自分を忘れ、ひたすら暴走し、力で倒される。

    ブラックデデデが出てくる鏡は、『鏡の大迷宮』で初登場するディメンションミラー。
    空の高所で割れる鏡とは、アンデルセンの雪の女王の「悪魔の作った、ほんとうの姿を写すと言いながら、ものごとを悪くゆがめて写す鏡」が話の元だろう。『星のカービィ』と同じく桜井政博氏ディレクションの『新・光神話 パルテナの鏡』のブラックピットの方がこれに近いかな。
    『雪の女王』の話を元に考えるなら「ブラックデデデは、デデデの本音」みたいな話ではなく、「ブラデは本物より、悪くゆがめられた偽物のデデデ」という話になるのだろう。

    「善なる本体と悪なる裏側」という話だとして、ブラデとデデデ本人との対立軸がわからない。カービィが好きな本人とカービィを恨んでいる裏側とか? 特に桜井Dのゲームではデデデは善要素のある悪役だ。桜井デデデはカービィの敵でも味方でもあり得る道を自らの意思で進む。それが「悪といわれてもいい」強さ。亜空の使者もこの路線。

    桜井Dは、鏡の迷宮のシャドカビ等→スマブラXの亜空でのダメタやダークリンク等→パルテナのブラピなどと「影との戦い」を連続して描いてた。
    おそらく桜井Dの描く「影」はユング心理学でいう「シャドウ」なんだろう。シャドウに関しては『ペルソナ4』が心理学的に正解だ。
    で、これらの場合は主に「本人の認めたくない一面」の問題。桜井Dは2008年のコラムで影の話として「ペルソナ4の巽完二」をたたえている。「心の闇」の物語でよりによって「実はカマホモ?」みたいな話を紹介している。これは必ずしも「悪」とは言えない影である。
    いわば「過剰なまでに男であることを強調するような本体」と「過剰に女っぽく振る舞う影」の組み合わせが、巽完二。ブラデをこう考えると「ねえ、アタシとイイコトしなーい?」と挑発して本体に「お前なんかおれさまじゃない!」と逆上される影かも。
    パルテナのハデスは筋骨たくましいのに「あらあ、ピットちゃん」みたいなカマっぽい言葉使い。桜井Dの作風でブラデを考えるなら、ブラデもコミカルな悪役キャラかもしれない。


    熊崎Dの作風でブラデを考える

    桜井Dは、鏡の迷宮のシャドカビ等→スマブラXの亜空でのダメタやダークリンク等→パルテナのブラピなどと「影との戦い」を連続して描いてた。
    だから熊崎Dとしてはトリデラのブラデは単に鏡でそれが出なかったから出した、というだけではなく「続きを描いた」もかも。
    ブラデの出てきた鏡をたたき割った熊崎デデデにとっては、自分ではコントロールできない「もうひとつ」の自分は否定されるだけの存在。熊崎デデデには桜井デデデと違い、自分の意思で「悪であること」を引き受けるつもりがない。

    マホロアやハルトマンのように誰かが自分を支配していて、記憶を奪ってしまったから、本当の自分が思い出せない。というのが、熊崎Dのシナリオだ。
    このパターンに従うのならブラデは「暗黒物質に支配されて、自分がデデデであることを忘れて力のままに暴走する存在」だな。下村デデデに忠実だな。

    「誰かが自分を支配していて、記憶を奪ってしまったから、本当の自分が思い出せない」という熊崎シナリオがさらに先に進むのなら「ブラデに支配されたデデデは本当の自分が思い出せなくなった」となるのだろうか。デデデソウルってことだ。デデデvsブラデのシナリオにバッドエンドが用意されていたら、こんな感じでは。

    熊崎Dの『トリプルデラックス』の描写なら「悪意と情欲の塊で本人を襲いにくる」という典型的な「悪霊」と見なしてもOKか。

    ところで、ブラデやダークメタナイトやシャドーカービィの性別は男で決定なのだろうか。実は女! という衝撃の展開の余地はあるように思うのだが。ブラピのように、もう一人の自分路線なら本人と同じ性別だろう。しかし、夢魔のたぐいと考えると、異性の魔物にこそ誘惑されたり憑依される話が多い。


    暴力的なもう一人の自分

    ブラックデデデは精神医学的にいうなら、多重人格者の幻覚という話になるんだろう。
    ここからは、ブラックデデデを「多重人格(解離性同一性障害)」の別人格が実体化したような存在、と仮定し、精神科医岡野氏のブログを参考に、考察をすすめていく。

    ブラデの元になったのは誰か

    「暴力的な交代人格」はかつて自分に加害的な振る舞いをした誰かのイメージが取り込まれて交代人格としての体裁を獲得したものであり、しばしば畏れの対象となるのだろう。

    解離に関する断章 その14. 「暴力的な交代人格」をコントロールする
    http://kenokano.blogspot.jp/2011/01/14.html



    「暴力的な交代人格」をブラデとして、このデデデ本体に対する「過去の加害者」とは誰か。実の両親とか、養父母が精神科ではお約束だろう。被虐待児の病としての解離性同一障害というパターンだ。
    しかし、デデデの親はどんな人物であったのか、一切不明なのでここではその可能性もある、ということで他の可能性も考える。
    多重人格者路線ならトラウマ(想起しにくい過酷な体験)というのは関連するんだろう。まずはカービィ。見知らぬ相手に殴り飛ばされた恐怖と敗北の屈辱から、デデデの心には闇が出来たとか、そういう話。
    次はダークマター。自分ではない何かに心と体を支配された恐怖と屈辱から、ブラデが生まれたという説だ。ブラデはダークマター憑依時の技を使ってくるので、この可能性はありそう。


    自傷行為の一種

    暴力的でコントロール不可能と思われる人格の非常に多くが、実際はとても苦痛で恐ろしい体験を担っている人格である場合は多い。その苦しみを今まさに味わっている状態で現れている時に、傍目には暴力的に見えるということはあるだろう。そのような人格が急に出てきて目が据わり、いきなりカッターナイフを持ち出して自分の腕を切りつけようとするかもしれない。

    解離に関する断章 その14. 「暴力的な交代人格」をコントロールする
    http://kenokano.blogspot.jp/2011/01/14.html


    これはこの自傷をする人格が引っ込んだ後、他の人格がいつの間にか自分の腕に傷がついているのを見つけるという話になるな。

    二人の人物の争いに見えて、自傷行為であるというのは、デデデにとっては「他人に襲われている」でも、ブラデにとっては「憎むべき自分を罰している」とか、そういう状態。目の前にいるのが「もう一人の自分」であるということを、デデデとブラデがそれぞれどう認識しているかは、一切不明である。
    ちなみに自傷の理由は色々いわれている。自分が嫌いだとか、苦痛で脳内麻薬(βエンドルフィン)が出るとか、心理的苦痛を肉体的苦痛に置き換えるためだとか。
    最初の理由だとブラデは自分と違うデデデが嫌い。次だとデデデが苦しむと楽しい。最後のだとブラデには何らかの苦悩があるのだが、鏡の国で何かの妥協をしてダメタやシャドカビと幸せになる方法を見つけるとか、そういう地味で面倒くさい解決法から目を背けてデデデを倒すことに執着しているという話かな。


    抵抗性の暴力

    純粋に加害的な暴力としばしば混同されるのが、「抵抗性の暴力resistive violence 」である。これはある行動を他者に制止されたときに発動するものだ。一般の社会人にもこれは容易に誘発される可能性がある。

    解離に関する断章 その14. 「暴力的な交代人格」をコントロールする
    http://kenokano.blogspot.jp/2011/01/14.html



    つまりブラデは自分こそが被害者だと思って暴れたのかもしれない。例えば、鏡の国でダメタやシャドカビと三時のおやつを食べるところだったのだが、なぜか異世界に召喚されてしまったので、怒っていた、とか。
    前々から、「(本体である)デデデが自分の邪魔をしている」というような怒りや恨みをブラデが抱いていた、という可能性もある。
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